Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

韓国は見られちゃったから必死に誤魔化そうとしてるんじゃないの

韓国駆逐艦が火器管制レーダーを自衛隊機に照射した問題ですが、段々と話しが変な方向にずれていってますね。
 
これに限らず、韓国が絡む諸問題はだいたいがこういう傾向にあります。
 
論点をずらすというか、話しが全く噛み合わないままいつの間にか問題をすり替えるといった具合。
 
そういうことに既に慣れっこになっている日本人からすると、またかって感じと、もう無理に付き合わなくてもいいじゃん、という諦めの境地に達してしまってる人がほとんどでしょう。
 
ですが、自分が住む家の問題と同じで、騒音おばさんのような困った人が隣人に住んでいれば、ただ付き合わなければいいという話しにはなりません。
 
警察に間に入ってもらうか、自分が引っ越すぐらいしか手段が無い。
 
これが国家同士レベルとなると、その解決の難しさは想像がつくというものです。
 
中には過激な事を書いてるネット記事やコメントも見かけますが、個人的には、日本はあくまで冷静に大人としての対応を継続すべきかなと思います。
 
ここで短気を起こしてしまえば、世界中が日本の見方をしてくれなくなります。
 
粛々と事実を突きつけることを積み重ねていくしかないかなと。
 
で、なんで韓国が論点をすり替えて、日本側に謝罪を求めるなんて話しになったのだろうと、ちょっと推測してみたんですが。
 
単に、日本に頭を下げたくないからという理由だけでしょうか?
 
そいうのも少しはあると思うのですが、当時、あの現場において見られたくなかったのを自衛隊機に見られてしまったからでは?と、邪推してしまいます。
 
韓国は北朝鮮船を救助していたところを、自衛隊機が異常接近してきたと言っておられます。
 
動画を見ると、確かに小さな民間船も映ってます。
 
北朝鮮船を救助していたというのは、本当なのかもしれません。
 
ただし、その北朝鮮船は、ただの北朝鮮船ではなかったのではないでしょうか。
 
今回のレーダー照射事件は日本の排他的経済水域の上空とのこと。
 
そこで北朝鮮船は何をしていたのでしょうか。
 
経済制裁を受けている北朝鮮ですから、燃料面含めて物流はかなり厳しい状況であると想像できます。
 
もし、その北朝鮮船が密漁船であったなら、密漁資源の物流の手助けを韓国軍がしていた?
 
それとも、韓国軍が北朝鮮船の燃料や食糧を補給をしていた(いわゆる瀬どり)?
 
それとも、北朝鮮の密漁船が遭難しかけたので助けていた?
 
個人的には、どれも本当にこれまでやってる事なんじゃなかろうかと思っています。
 
この時は、本当にたまたま救助していたのかもしれないですが、色々と後ろめたい事があるため日本に対し逆ギレしているんじゃなかろうかと。
 
韓国軍が北朝鮮に対し、独断でそういった支援活動をできるわけがなく、当然、韓国大統領も承認済みのはず、もしくは大統領指示の案件となるはずです。
 
であるならば、自衛隊機の無線呼びかけにも応答しなかったのも納得できます。
 
見られたくない場面を見られてしまったので、自衛隊機を追い払いたかったのだろうと。
 
あくまで想像ですが、そういう事は全くもってあり得ない話しではない。
 
逆に、単に日本に頭下げたくないからという理由だけで、ああした反論動画を作ったのだとしたら、もはや完全に騒音おばさんと同じ隣人レベルです。
 
なので、見られたくないものを見られてしまった故の謝罪要求だと、せつに願っているところです。

2018年12月末の投資状況

クリスマスショック以降、株価は乱高下しておりましたが、予想通りの下げ傾向で新年を迎えることになりました。
 

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投信だけでみると、一時の損益マイナス10%台よりはマシになったものの、平均でマイナス8~9%となりました。
 
まあ、あれですな。
 
東京オリンピックまでは景気・経済は順調に推移するだろうといった、素人的、一般的な予想は全く当てにならないってことですね。
 
結局のところ、アメリカが風邪を引けば、日本も含めて世界中が風邪をうつされるという構図は、今も変わってないってことだよねぇ。
 
良くも悪くも、世界はそういった見えない糸で繋がっている。
 
繋がりを絶とうとすると、北朝鮮のように孤立して独自路線でやっていくしかないわけで、でもそれは嫌だから、繋がりの中でお互いが経済を良くし合っていくしかないという単純な話しでもあります。
 
投資をやってると、くろばこのような素人でも、色々と考えさせられますね。
 
しかしながらマイナスになる時は簡単に、しかもあっという間に損益△10%を超えちゃいます。
 
プラスの時は、良くて8~9%。
 
インデックス投資だから、そこはしょうがないにしても、投資というのはそういった側面もあることも実感。
 
落ちる時はあっという間で、落差も激しい。
 
それでも投資活動を続けますか?という問いを突きつけられているようにも思います。
 
もちろん続けますけどね♪
 
今後は、円の動きにも注目した方が良さそう。
 
円高と株価下落はセットと言われてますから、円高傾向が続くようなら、それに対応した投資商品に目を向けるって事も必要になりそうです。

2018年を振り返って

昨年の年末での振り返り記事がこちら。
あきらめの境地を悟ったっていう内容になってますね(^_^;
 
それから1年後の今、50歳を迎えたくろばこはどう感じているのか?
 
う~ん、上手く言えないんですが、ざっくり言うと「あきらめることすら意識しなくなった」って感じです。
 
Like a Rollingstone。
 
転がる石のように、、ってかっこよく言えばそうなのかな。
 
いや、そんなカッコイイもんでもないか。
 
流されるままに生きている、流れに身を任せきっている、そんな風に感じる一年でありました。
 
どこに終着したいのかもわからない。
 
何者になりたいのかもわからない。
 
ただ、なんとか死なないように生きている。
 
しかしながら、何故かこの先どうなるんだろう?という不安はほとんどありません。
 
今のところ無い、というべきか。
 
深く考えているつもりで、実は何も考えてないのが自分の本性なのでしょう。
 
思慮深い人間になりたいと日頃思い続けているのは、自分が思慮深い人間とは全くの真逆タイプだからこそなのです。
 
まあ、そのおかげで楽観的に半世紀も生きてこられて、死にたいとも思わない所以なのかなと。
 
それと、時間が過ぎるのもあっという間です。
 
相対性理論の体験実証なのか知りませんが、年齢を重ねるほど、時間の感覚は速くなるようです。
 
先週テレビで見たはずのアメトークなのに、もう今週の放送日なの?って感覚がしょっちゅうあります。
 
よく言われることですが、新しい体験を重ねている人ほど、時間が過ぎる感覚は遅く感じるそうです。
 
僕のように、日々、変化を好まず、ひたすら同じような日常を繰り返す人間は、あっという間に臨終へ向かってしまうことでしょう。
 
う~ん、それは嫌だなぁ。
 
そこまで生きることをあきらめてはいないと、密かに思ってるんですけどね。
 
手相占いでは、大器晩成型で2019年2月4日に何らかの転機が訪れると言われたので、それを楽しみに新年を迎えることにします。
今年を締めくくる、どうでもよい雑文読んでいただきありがとうございました。
 
それではみなさま、良いお年を♪

最近の仕事の愚痴

ここ最近のくろばこの仕事状況を記しておきます。
 
それなりに忙しく、それなりに嫌な仕事もあったんですが、メンタル面での凹みもなく何とか年末まで辿り着けました。
 
めんどくさかったのは、組織の意識改革に係る業務を押しつけられたことですかねぇ。
 
詳しくは書けないんですが、我が社もなんだかんだで厳しい状況は他と変わりない。
 
事業縮小や撤退、経費削減という締め付けの一方で、そもそもの組織としてのあり方論みたいなことも上の方から出てきたわけです。
 
お客さんとの関係性、地域貢献など、そこをしっかり見直して事業活動に取り組むべきだという理想論を振りかざしてきました。
 
そのためには、ただ数字を追い求めるだけではない従業員教育なり、お客様との対応を変えていくことだったりといった、いわゆる意識改革系の取り組みが必要で、本店がそのプロジェクト委員会を作り、お前もそこに出ろってなり、渋々とその業務もこなしていたという感じ。
 
まあプロジェクト委員会が言ってる建前論は、それはそれで組織にとって大事な事だというのは分かりますが、やってることは、上意下達の雑務みたいなもの。
 
社員の意識改革と称し、チラシを持って回って声を掛ける一声運動をやってどれだけ声かけしたか数字を報告しろ、あるブックレットを読んでレポートを全員提出させろ、地区役員に担当社員が同行し主要取引先全て訪問し要望や意見を聞いて結果を報告しろといった、そういう業務の事務局を各委員がするわけです。
 
くろばこも委員に任命された以上、本店指示通りに動かなければなりませんから、各支店長等にあれをやれ、これをやれとお願いするのですが、現場を預かる支店長からすれば、このクソ忙しい時に何言ってんだ、そんなことより人を増やせってなもんです。
 
いやいや、これから更に人員削減されますぜ、とは口が裂けても言えす、そこを何とかお願いしますよ、本店にも報告しないといけないんで、せめてやった体ぐらいのことはお願いできませんか、という感じで日々過ごしておりましたね。
 
本音と建て前、現実と理想、会社での仕事は常にこのせめぎ合いです。
 
片方で事業縮小、経費削減と言っておきながら、片方で地域貢献や社会貢献を唱える事は、ともすれば相容れない盾と矛のようなもので、一種のダブルスタンダードとなります。
 
そして、組織のそのダブルスタンダード姿勢が、そこで働く人達を追い詰めていきます。
 
それも、無垢な人達ほど追い詰められ、分厚い面をした人や機械的に物事を処理できる人達が多く生き残っていくようになるのだなと、サラリーマン生活の中で何となく実感しているところです。
 
では、管理職として組織に残っている僕もそういう人間なのでしょうか?
 
たぶん、半分は当たってるかなと思います。
 
僕は、ある面において心が無いというか、人を人とも思わない冷淡な言動を取れることを、自分で自覚しているからです。
 
ただ、別の面では情に脆いという面もあり、そんな自分がよくわからなくなり、思い悩む人生を送り続けてしまうのでしょう。
 
もっと色々と書きたいことがあったような気がしますが、今回はここまでにしておきます。

株価暴落初体験

巷ではクリスマスショックとか言われているようですが、日経平均株価1000円以上落ち、19,000円台となりました。
 
これを暴落と呼ぶのかはちょっと疑問がありますが、下げ幅は確かに大きい感じ。
 
僕的には本格的に投資活動をしだしてから、初の株価暴落体験となったわけです。
 
感想としては、特に何も無いってところでしょうか。
 
今朝のポートフォリオを確認したところ、インデックス投資枠で-12.2%の含み損益、金額にして-14万円ちょっとという数字になってました。
 
わぉ~!
 
初めて見た、こんな数字(^_^;
 
投信7銘柄全部がマイナスなんで、今回の場合、分散も何もあったもんじゃないですね。
 
一応、国内株、先進国株、先進国リート、新興国株、アメリカ株という感じに分散して積立購入してますが、全てマイナス。
 
こういう場合、お手上げ状態ですから、笑うしかない。
 
なので、特に感想が無いって話しなんですよね。
 
今後、アメリカ市場が先に回復するのか、日本が先に回復するのかで、分散投資の効果が出てくるのだろうと想像します。
 
ただ、このまま更に全部が下がり続けるのであれば、もはや今の分散投資では手の討ちようがないということになりますな。
 
そこは少し考えなくてはいけないのかなとは思ってますが、そもそも、長期投資に関してはいちいち騒いでいてもしょうがないです。
 
地道に日本や世界の市場へ積立投資するだけです。

久しぶりの更新なので近況を

1ヶ月以上、更新してませんでした。
 
何かあったというわけではなく、でも、割と仕事で忙しい日々が続き、それはそれで自分としては充足していた部分もあり、筆が進まなかったという感じです。
 
以前にも書いたように、メンタルや体力的なもので病んでいる時、凹んでいる時に雑文を書きたくなる衝動にかられ、順調な時は逆にブログに見向きしなくなるという自己分析があります。
ということは、ここ1ヶ月半ぐらいは割と安定且つ満ち足りていた生活を送っていたということでしょう。
 
もちろん、仕事なんで、それなりにイライラしたり衝突したり、小さな暴言吐いたりとかもありましたけど、そういう自分を客観的、俯瞰的に見てる自分もいましたので、そこらへんが良かったのかも。
 
仕事の近況ですが、ちょっとした変化がありそうなので書いておくことにしました。
 
我が社も年々業績が厳しくなってきており、来年度は早々に事業計画でマイナスが出る事が判明しています。
 
そうした状況に対処すべく、組織改編が行われることになりました。
 
その組織改編によって、自分の部署も他の課と年明け3月に統合されることになり、自分的にもいよいよかって思ったわけです。
 
ただね、その組織改編の発表のやり方に納得がいかなくて少し憤っております。
 
組織改編の発表が資料として提示されたのが、非常勤役員までが出席する運営委員会でのことでした。
 
そこでは各所属長も出席するのですが、ほとんどの管理職が寝耳に水という感じで、「え?そうなの?」って。
 
その委員会の2日前ぐらいに所属長会議があったんですが、そこでは組織改編の資料はおろか、口頭での報告すら無かったのですね。
 
そのわずか2日後の委員会で発表するって、、、。
 
別に、非常勤役員がどうのってわけじゃないですが、内部の事なのに先に教えてもらえない管理職っていったい何なんだ?って感じで、ちょっと残念でありました。
 
どちらにしろ、来年3月には我が部署は存在しなくなり、恐らく自分がやっている特殊な業務はそこでは出来なくなるでしょう。
 
となると、自分も異動対象となるはずですが、抱えいてる特殊業務を他で引き継いでやってもらえるのかも未定、引き継いでやってもらえなければ自分がどこかに持って出るのかも未定、ということで先がよく読めません。
 
となると、これを機にいよいよもって退職のチャンスと考えるべきじゃなかろうかと密かに思っています。
 
まずは2ヶ月かけて身辺整理し、タイミングを見計らって退職願いを出せるよう準備をしなくちゃいけませんね。
 
ついに、辞める辞める詐欺も卒業できるかもって感じ(^_^;

努力の仕方を誰も教えてくれなかった

よく読ませてもらってるブログの記事ですが、まさにその通りって感じでいたく同意しました。
 
努力は必要、努力は尊いもの、努力してる人をバカにしてはいけない、などなど、努力という言葉がほぼ聖域化してしまっていて、教育現場や職場などではチート的な強さを誇っています。
 
もちろん、僕自身も人が努力する行為をしなくなったらやばいと思ってますし、努力を小馬鹿にする側に立ちたいとは思いません。
 
ただ、努力、努力って言われても、それがいったい具体的に何をどう指すのかが、実はよく分からないまま生きてきました。
 
最近は努力すれば報われる、みたいな風潮に歯止めをかける空気も少しずつですが出てきており、それはそれで良いことかなと感じます。
 
つまり、努力はしなくちゃ、努力は必要だと思っている人の大半は、僕もそうなんですが、あまり考えずに努力すればいいってのがほとんどだと思うのです。
 
例えば上記ブログでも事例にあがっていたフルマラソンで、自分が結果を出したい、入賞したいと思い必死に練習し努力したとします。
 
ここで、僕の思考レベルで浮かぶ努力というのは、毎日50kmを最低でも走り込む、というたぐいなんですよ。
 
さすがにベンチプレスを毎日やるという努力は選択しないにしても、フルマラソンより長い距離を毎日走り込めばなんとなかなるっていう発想の努力なのです。
 
おおまかな努力の方向性はフルマラソンに沿ってるかもしれませんが、ただ長距離を走り込めばいいっていう努力では駄目でしょ?ってのが今はわかる(^_^;
 
なので、努力という言葉を否定しない生き方をしてきましたが、結果を出すための努力をちゃんと考え実行してきたか?と問われれば、No!です。
 
受験勉強なんかもそうでした。
 
特に計画を立てずに、分厚い問題集を最初から最後までやればなんとかなると思い取り組むも、案の定、途中で挫折とか、、、
 
自分の苦手教科や不得意分野の分析をせず、やりやすいところだけ勉強してしまうとか、、、
 
歴史とか好きなんだけど、参考書をノートにひたすら書き写す勉強で得点できた小中学校時代の成功体験が忘れられず、大学受験ではそんな非効率な勉強が通用するわけもなく、結果苦手科目にとか、、、
 
勉強方法になんの工夫もなく、でも努力してるはずなのに合格ラインに届かないという学生時代でした。
 
今思えば、もうちょっと努力の仕方、やりようはあったろうにと思います。
 
50年かけて、生きるという経験を積むなかでそういうことがやっと分かったのが、今の自分。
 
でも、若くても結果を出す努力とはどんなものかを直感的に理解し実行してきた人もいて、そういう人達はやっぱり自分の人生を思い通りに生きているのです。
 
やっぱり、不適切な努力ってのはあって、割と大勢の人もそれをやっちゃっていて、でも努力は否定しちゃいけないし大事だしで思考停止してしまってて。
 
結果を出すために必要な努力は何か?
 
人生はいつだってやり直せると思うなら、今からでも、そういう考え方にシフトして生きていくのも悪くないかなと、ちょっとだけ思いました。