Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

努力の仕方を誰も教えてくれなかった

よく読ませてもらってるブログの記事ですが、まさにその通りって感じでいたく同意しました。
 
努力は必要、努力は尊いもの、努力してる人をバカにしてはいけない、などなど、努力という言葉がほぼ聖域化してしまっていて、教育現場や職場などではチート的な強さを誇っています。
 
もちろん、僕自身も人が努力する行為をしなくなったらやばいと思ってますし、努力を小馬鹿にする側に立ちたいとは思いません。
 
ただ、努力、努力って言われても、それがいったい具体的に何をどう指すのかが、実はよく分からないまま生きてきました。
 
最近は努力すれば報われる、みたいな風潮に歯止めをかける空気も少しずつですが出てきており、それはそれで良いことかなと感じます。
 
つまり、努力はしなくちゃ、努力は必要だと思っている人の大半は、僕もそうなんですが、あまり考えずに努力すればいいってのがほとんどだと思うのです。
 
例えば上記ブログでも事例にあがっていたフルマラソンで、自分が結果を出したい、入賞したいと思い必死に練習し努力したとします。
 
ここで、僕の思考レベルで浮かぶ努力というのは、毎日50kmを最低でも走り込む、というたぐいなんですよ。
 
さすがにベンチプレスを毎日やるという努力は選択しないにしても、フルマラソンより長い距離を毎日走り込めばなんとなかなるっていう発想の努力なのです。
 
おおまかな努力の方向性はフルマラソンに沿ってるかもしれませんが、ただ長距離を走り込めばいいっていう努力では駄目でしょ?ってのが今はわかる(^_^;
 
なので、努力という言葉を否定しない生き方をしてきましたが、結果を出すための努力をちゃんと考え実行してきたか?と問われれば、No!です。
 
受験勉強なんかもそうでした。
 
特に計画を立てずに、分厚い問題集を最初から最後までやればなんとかなると思い取り組むも、案の定、途中で挫折とか、、、
 
自分の苦手教科や不得意分野の分析をせず、やりやすいところだけ勉強してしまうとか、、、
 
歴史とか好きなんだけど、参考書をノートにひたすら書き写す勉強で得点できた小中学校時代の成功体験が忘れられず、大学受験ではそんな非効率な勉強が通用するわけもなく、結果苦手科目にとか、、、
 
勉強方法になんの工夫もなく、でも努力してるはずなのに合格ラインに届かないという学生時代でした。
 
今思えば、もうちょっと努力の仕方、やりようはあったろうにと思います。
 
50年かけて、生きるという経験を積むなかでそういうことがやっと分かったのが、今の自分。
 
でも、若くても結果を出す努力とはどんなものかを直感的に理解し実行してきた人もいて、そういう人達はやっぱり自分の人生を思い通りに生きているのです。
 
やっぱり、不適切な努力ってのはあって、割と大勢の人もそれをやっちゃっていて、でも努力は否定しちゃいけないし大事だしで思考停止してしまってて。
 
結果を出すために必要な努力は何か?
 
人生はいつだってやり直せると思うなら、今からでも、そういう考え方にシフトして生きていくのも悪くないかなと、ちょっとだけ思いました。