血の繋がりの重要性がわからない
どこかの記事でちらっとカミングアウトしてしまいましたが、今の母親とは血が繋がっておらず、いわゆる産みの母親は別にいます。
このことに気づいたのは、小学生ぐらいの時でしたが、なんとなく違うんだろうなというものでした。
でも、ドラマや映画みたいに、
「母親とは血が繋がっていない!?」
「ガビーン!!!!」
「グレてやるっ!俺様の満たされない気持ちは母親のせいだっ!」
(思春期を過ぎて)
「僕を産んでくれた母親を探しに行こう!きっとどこかに生きてるはずだ!」
………、、、
な~んて、展開にはなりませんでした。
というか、別に今の母親と血が繋がってなくても特に問題ないし、ドラマの設定によくある、家庭の事情から心が満たされない主人公キャラとか、正直いって意味不明でした。
とりあえず、自分がメシ食えて生きていける状況なら、それはそれでいいんじゃんって。
自分が早熟だったとは決して思いませんが、10代の頃、特に理由も無いのにグレてるヤツらの事が理解できなかったし、バカにさえしてました。
まあ、彼らには彼らなりの事情があったのでしょう。
話しが逸れた。
今の母親とは実は血が繋がっていないんです、って話しを嫁にいつだったかしたことがあります。
その時、嫁から「本当のお母さんに会いたと思ったことないの?」と聞かれ、なるほど、一般的にはそういうものかと少し考えさせられたのであります。
今までそんな気持ちや欲求を抱いた事なんてなかった、何故なんだろ?と。
その時、ふと思ったのが、僕自身が血の繋がりのようなものについて関心が無く、どーでもいいというスタンスだったということ。
いつだったか、僕ら夫婦が子どもが出来ないことについて親父と喧嘩したことがあります。
「子どもを作る気が無いのか」という問いに対し、「作る気があるとか無いとかじゃなくて、出来れば嬉しいし、出来なければそれはしょうがないというレベルの話しだ」と返したら、
「○○家(僕の名字ね)が、お前の代で終わるってことだぞ?」と言われました。
けど、その言葉は僕に全く響かなかったし、逆に親父がそんな風に考える人間だったんだと驚いたぐらいです。
人間も生物である以上、種を残し繋ぐという欲求が遺伝子に組み込まれているのは当然でしょうし、そうやって人類が繁栄してきた以上、子どもを産み育てるというのは、それだけで社会貢献になるとは思います。
でも、僕にはどこか別の世界の話しなんですよね。
血の繋がりを残せない、もしくは残そうとする欲求がない僕は、生物学的にみてアウトだとは思いますが、血の繋がりに囚われすぎて、不幸になっている人も多いんじゃないかなぁと思った次第。