ハフィントンポストの浜田とかいう記者
テニス全米OPを制した、大坂選手が帰国して記者会見を開きましたね。
いや~、予想通り?イラッとさせられた会見でした。
もちろんイラッと感じたのは、質問する記者側にですが、これはあの会見を見ていた大半の人がそうであったろうと想像します。
テニスの事、全然聴かないのね?あなたたち。
試合見てなかったけど、記者会見場には入って質問することを許されたのかな?
そういう人は、質問する権利は剥奪しておいてあげたら良かったのに。
ラケットの事とか、セリーナ選手に2度も勝てたのはプレースタイルで相性が良いところがあったのかなど、こちらが知りたいことはたくさんあったんですけどねぇ。
特に酷かったのがハフィンポストの浜田っていう記者。
(敢えて呼び捨てにしますが)
「古い日本人像を変えたと思う?」って、見ている自分も「はぁっ??」となりました。
彼の質問は、大坂選手に日本は差別的な国だ、みたいなワードを引っ張り出せようとする質問ばかりで、全米OP優勝をひっさげの帰国会見なのに、全部ぶち壊しにしてくれましたね。
大坂選手も「それって質問かな?」と返していましたが、素晴らしい返しです。
「差別されている大坂先週」という像をハフポストの浜田は作りたかったようですが、そんなのがマスコミの記者であって良いのかって話し。
戦前の扇動政治家と同じレベルじゃないですか。
こういう人達が、日本や隣国を戦争の道へ導いていくんだろうなと実感します。
でも、若い人達は賢い。
そういう質問をする記者に対し、おかしい、恥ずかしいときちんとネットで表明してくれています。
そして同様に若い大坂選手も、
「私は自分のアイデンティティをあまり深く考えたことはないです。私は私であると考えています。私が育てられてきた環境の通りになっていると思う。まあ、私のテニスは日本のスタイルらしくはないと思っています」
と、見事なコメントで冷静に受け流しています。
その点、すぐ頭にきてしまう50歳間近の僕は、まだまだ修行が足りませんね。
ハフポストの浜田のような質問がきても、「はいはい、お馬鹿さんね」と心の中で呟いて軽く対処できるようになりたいものです。
かなり毒々しい文章になってしまいましたが、それぐらい、あの記者会見の質問内容が酷かったってことです。
オレの皿に金箔を入れるな!
たまに料亭とか、高級料理店で食事する機会があったりします。
ほぼ仕事での接待ですが。。
そこで出される料理で、時々なんですけど金箔をあしらった一品が出てくることがあります。
この時、金沢の人には申し訳ないですが、僕は何故、金箔を料理に入れるんだろう?という疑問にいつもかられるのです。
理由はわかりますよ。
第一に高級感、第二に料理の盛り付けとして綺麗に映える。
たぶん、これが一番の理由だと思うのですが、他にあれば教えて欲しいです。
で、僕が金箔を料理に入れなくてもいいって思うのは、別にそれで味がどうこうなるというものでもないから。
金箔=金なので、味はありませんよね。
金は無味無臭で、日常生活の使用ではほとんど化学変化しにくい物質ということで、金歯などにも使われていると言われます。
水に溶けやすかったり、味が付いていたら、金歯にした時、困りますもんね。
つまりは料理の味付けや風味に関係者以外を入れる必要ないだろう、ていうのが僕のスタンス。
TVのバラエティ番組とかでも、金箔の入った料理を持ち上げてみたり、美味しいって言ってみたりするのを見てると、興ざめしてしまいます。
いや、金箔に味はありませんからって。
こういう風に思う、僕の心が狭いという人もおられるかもしれません。
逆に無味無臭で化学変化も起こらないんだから、見栄えのために料理に入れたってかまわないじゃないか、むしろ入れた方がインスタ映えするし、みたいな考えも当然あるでしょう。
でも、金箔の分、料理の値段が高くなっているのだったら、やっぱり僕は入れないで欲しいって言いたくなります(^_^;
世界を駆け回っている人との差
私、くろばこはここ最近でこそ、会社の仕事で国内のあちこちに出かける機会も多くあり、マイルも貯められてラッキーてな感じですが、それまではそんなに移動することは少なかったように思います。
それでも、周りの人達よりはプライベート含めてあちこちに出かけていた方だと思うのですけど。
毎週のように出張に出かけている取引先の人はたくさんいて、そういう人達は、国内だけでなく海外にも行ったり来たりしています。
僕は、今の仕事に就いてなければ、そんなに出る機会もなかったかもしれないと想像します。
家好きのプチ引きこもり系ですが、東京やら大阪やらに行くことは苦にしない、というかどちらかというと好きです。
旅する人が集う、空港や駅の雰囲気が好きだったりもします。
そんなことをあれやこれやと考えていたら、なぜ自分の行動範囲はこんなに狭いのだろうと思ったのであります。
ちょっと近所のコンビニへ買い物に行く感覚で、海外を飛び回っている人達がいる一方で、自分はほぼ自宅アパートと職場を通勤者で20分往復するだけの人生。
この違いはなに?
自分がそれを望んだのか?
世界を飛び回る生き方を望んだら、違う人生だったのだろうか?
先ほど書いたように、僕はまだ月に1~2回程度は国内ではありますが、仕事で出かける事ができます。
それすら機会が無い人も実際にはたくさんいるんですよね。
あちこちを飛び回っている人の日常は、変化を受け容れるのが当たり前の感覚として持っているのだろうと想像できます。
家にいようが、アメリカで仕事してようが、全て自分の日常風景の一つ。
逆に自分は、世界は広いはずなのに、頭では分かっていても自分の行動範囲はもの凄くちっぽけ。
いったいこの差はどこから来るのだろうかと、ふと疑問に思ったので書いておきました。
ちょっと整理が出来ていないまま書いちゃったので、全然まとまりのない記事になっちゃいすいませんでした^_^;
干し柿で儲かるって話しを信じる人
以下、毎日新聞ニュースから。
干し柿など加工食品のオーナーになると利息が得られるとうたって多額の資金を集めた通信販売会社「ケフィア事業振興会」(東京都千代田区、鏑木(かぶらき)秀弥社長)が、オーナーに対する支払いを遅延しているとして、消費者庁は31日、消費者安全法に基づき事業者名を公表した。支払い遅延による同法の適用は初めて。ケフィアは消費者庁に対し、未払い分は全国で約2万人、約340億円に上ると説明。遅延理由としてシステム故障や解約による資金減少を挙げているという。
国民生活センターには昨年9月~今年8月、全国から計1447件の相談があり、東京都と名古屋市で8月までに被害対策弁護団が結成された。消費者庁や弁護団によると、ケフィアは関係会社の通信販売の利用客らを勧誘し、ケフィアが8~10%程度の利息を上乗せして商品を買い取る仕組みを展開。たとえば1口5万円で干し柿のオーナーになると、7カ月後に5万4000円になるとうたっていた。しかし昨年11月以降は支払いが滞り、個別に損害賠償訴訟を起こされると、その度に返金する状態だった。
名古屋市に住む無職の男性(77)は約5年前からメープルシロップなど18種類の商品のオーナーになり、約1100万円を出資。「心配はあったが、当初は利息分が振り込まれたので続けていた」と言う。しかし昨年11月から利息の支払いが滞り、ケフィアからは「システム障害で支払いが遅れる」との説明を受けたが今も支払われず、「返金してほしい」と訴える。
…というトホホなニュース。
どうやら、最終的な債権者総数は3万人を超え、負債総額も1000億円以上になるという話しも出ています。
今更ながら、こんな話しに乗る人が多くいることに驚きですね。
銀行の預金金利が0.01%の時代ですから1000倍の利息ですよ?
投資信託で上手いこと運用できて6~8%ですよ?
どう考えたって、10%の利息がついてくる儲け話があるわけがない、もしくは、道理としておかしいです。
10%の利息を、誰がどうやって負担して自分だけが儲かる仕組みになっているのか、ちょっと考えてみればわかる理屈。
そんな話しはあり得ないと。
昔も和牛商法なんてのがありましたが、どんなに時を経ても似たような儲け話に転がされる人は大勢いるって事なんでしょうね。
僕は臆病なんでね、その手の話しには乗れません。
なんせ、インデックス投信で100万円買い付けるだけでもびびっている人間ですから。
そもそも加工食品というのは、市場はそこそこあるにせよ、そんなに多数が儲けられるようにはなっていません。
儲かっているのは、ニッチな部分だけです。
何故かっていうと、人間の胃袋の数や量ってのは上限が決まっているので、食品や飲食業界というのは、その胃袋の取り合いをしているだけだから。
そんな中で、干し柿で10%の利息が得られるなんて、どう考えても無理があるわけです。
まあ、自分の金だからどう使おうが勝手だと言われるでしょうが、日本や世界、いや人類にとって重要な技術や研究に投資するというお金の使い方をできる人が増えると良いのにと思います。
8月末の資産運用実績を晒しておきます
8月末時点の成績はこんな感じでした。
個人向け国債を除くと9.4%、投信だけだと4.8%という成績。
こんなトーシローの僕でも、証券会社のHPで数字をチェックしていると、アメリカの経済は調子が良いんだなぁと肌で実感できます。
そういう人というのは、投資に限らず色んな場面や状況において底力を発揮できるはずです。
僕は、残念ながらそのレベルに達していませんが。
でもいいんです。
昔はただ思ってるだけの人間で、証券会社の口座作ってもなかなか実行に移せなかった頃に比べたら、今の自分は格段の進歩です。
そう考えると、当時、10万円でさえ投資運用で使う事にドキドキだったのが、今や200万円を運用に回しているんですから、慣れというのは恐ろしい。
まあ、そのうち70万円は個人向け国債ですが。
いやいや、昔は国債買うのだって、そんなことにお金使って良いのだろうか?って不安に思ってましたから(^_^;
もちろん、元本が半分になる可能制だってあるわけで、今のままでずっと続くとは思っていません。
下がった時も平気な顔をして続けられるか?
そこが今後の投資生活の分岐点でもあるような気がします。
過去記事にも書いてますが、ずぼらな僕が運用を続けられるのは、自動積立のおかげですね。
思考停止状態で続ける事ができます。
それが良い悪いって話しは当然あるでしょうけど、気軽に続けられる手段もあって良いはずですし、どれを選ぶかは個々が自分で責任持って決めれば良いだけの話し。
なのでもうしばらくは、何も考えずにこの積立を続けていく事になるのかなと思っています。
リサーチすれば良いのでしょうが、不精者なもんで、まあ仕方ない、しばらく様子見るかって感じです。
トルコリラの暴落とか関係しているんですかね?
だれかご教授してくれる方がおられると嬉しいですが(^_^;
さまぁ~ずの日常を面白く切り取るスキルは見習いたい
「さまぁ~ず×さまぁ~ず」って番組がありますよね。
さまぁ~ずの2人だけで進行する番組で、前半は三村さんと大竹さんのフリートーク。
小休止でシュールな人形劇を1~2分挟んで、後半はスタッフが考えたテーマに沿ってのチャレンジイベントという形になっています。
基本、ゲストは出ない(たまに、つぶやきシローが突発的に引きずり出されるぐらい)し、全体的にゆる~い構成の番組であります。
僕は、この番組が好きで録画して暇な時によく観るのですが、さまぁ~ずのフリートークが非常に面白くて素晴らしいのです。
アメトークのようにテーマが決まってるわけではないので、喋る内容は完全に2人にお任せ。
トークの内容も、すべらない話しみたいに大仰なものは一切ありません。
すべらない話しだと、前振りがあって最後にドカンと落として大笑いってパターンを演者が喋るのですが(最近はけっこう滑ってる話し多いと思います)、「さまぁ~ず×さまぁ~ず」のフリートークは違います。
大きなオチがあるでもなく、これから面白いこと話すぞって感じでもなく、でも、日常の一コマや風景を面白おかしく2人で喋り合うのです。
家族のこと、マネージャーのこと、飲み会のこと等々、三村氏と大竹氏それぞれの視点で感じた事を面白く喋ってくれます。
それは、さまぁ~ずの2人に毎回面白いハプニングや事象が起こっているからなのか?
だから、TVのフリートークであれだけ喋ることがあるのか?
違うんですよね。
仮に、僕が大竹さんと入れ替わって、彼と同じ生活を体験してみたとしましょう。
1週間して番組の収録があったとして、その時に1週間にあった仕事場や家での出来事をネタにフリートークで喋って笑いを取れるか。
僕では笑いを取れないです。
何故かって、それは日常の出来事を面白いと感じる感性や感覚が僕には欠けているからだと思うのです。
日常の何気ない出来事や一コマを、実に面白いと感じ切り取って話すことができるか?
これは、「面白いと思える感覚」が無いとダメなんでしょうね。
日常の中で起こった「A」という出来事は、僕にとっても、大竹さんにとっても出来事「A」という事実で、そこは変わりありません。
その「A」について、なんだか面白いとか変だなとか感じることができる、できないが僕とさまぁ~ずの差なのです。
「A」という体験を別に気にもとめずに、日常の中に埋もれさせ流して生きてく僕には、2人のようなフリートークができるわけがないんですよね。
毎日が退屈でつまらない、面白いことが無いって愚痴っている人の大半は、日常を大事に生きてないために色々と見逃しているだけなのです。
そして、さまぁ~ずの面白さというのは、そういう能力、スキルの高さにあるんではないでしょうか。
とんねるずのような爆発力とは対照的ではありますが、大好きな芸人さんであります。
自分の時間は大切にしたいけど
自分の時間は大切にしたい、だから長時間労働なんて嫌だ、というのは基本的には僕もそうなんで賛同しています。
でも、「自分の時間」の使い方や質は、人それぞれなんですよね。
趣味の時間にあてたい、資格勉強のためにあてたい、飲みに出る時間にあてたい、などなど。
ところが僕の場合は、大切にしたい「自分の時間」の使い方や目的は、ほぼ皆無です。
5時ダッシュで家に5時半頃帰ったとします。
まずはTVを付け、ついでにブルーレイレコーダーの電源をオンにします。
さくっとTVを見ますが、この時間帯はほぼニュースばかりなので、すぐにブルーレイレコーダーに録り溜めしてあるアニメの続きを見ることでしょう。
そうこうしているうちに、妻が6時過ぎ頃に帰宅します。
一応、夫婦2人の時間を大事にしたいので、アニメ視聴はやめて妻と「晩ご飯どうしようか」などと会話します。
で、とりあえず適当に何か料理して晩ご飯食べます。
食べ終わると、多分7時半ぐらいですかね。
食事すると体が重たくなるので、すぐに動けず、惰性でそのままTV視聴。
面白い番組がやってなければ、これまたBDに録り溜めてあるバラエティを見ています。
下手したら、こんなダラダラした時間が約1時間ぐらい続き、ここでやっと風呂に入ります。
風呂入るまでが面倒なんですよねぇ。
入ったら入ったでさっぱりするんですけど。
時間にして9時過ぎぐらい。
さて、まだ寝るまで時間はあると思いながら、ゲームでもしようか、それともギターでも弾いてみようかなんてウダウダします。
結局、何もせずにただTVを見てしまうパターンもありますし、ちゃんと?ゲームをプレイしたりギター弾いたりする場合もあります。
11時過ぎになると、そろそろ寝ましょうかとなり、でもすぐに寝るわけじゃなく、またまたBDで録り溜めたバラエティ番組見ながら寝オチし1日の終了となります。
そして朝は6時半に起床して、また会社勤めの一日がスタートするという感じ。
う~ん、こうやって改めて思い返してみると、堂々と胸張って「自分の時間は大切だから、長時間労働したくない」とは言いにくいですね。
でも、確かに生産性の無い時間を自分の時間として過ごしていますが、何もしないとかダラダラ過ごすというのも、自分にとっては「大切な時間」なんだろうと推測します。
たぶんですけどね、そのように過ごす事が、自分をリフレッシュさせたりストレス軽減させる手段なんだと無意識レベルでプログラムされてるのではと考えるのです。
昔は、こんなにダラダラしている自分が嫌でしたし、なんとか抜け出したいと思ってあがきました。
しかしながら、無駄な努力でしたね(^_^;
なので最近は諦めています。
人生を諦めたとはちょっと違って、ダラダラとした時間を過ごしながらも、たまに調子よくエンジンがかかった時に動けば、それでいいじゃんという諦めですね。
僕は消えたいとは思っても、死にたいと思った事はこれまで一度もなく、死への恐怖は人一倍あるタイプです。
なので、このままダラダラとした生き方が続くとしても、もしかしたら、何かの転機が訪れたり、流れに身を任せていればそれなりに楽しい事も起こるかもしれないと楽天的に考えてしまう癖がついてるように思います。
ということで、「自分の大切な時間」について、これまた仕事中に考えていたくろばこでした。