Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

ツライ時、しんどい時、詰まった時はできるだけ遠くから自分を見ている感覚を持つ

僕がよくやる方法というか、苦し紛れに身につけたやり方なんですが。。
 
自分の生き方に手詰まり感が出てきた時、逃げたいけどどこへ逃げればいいんだ?って絶望しかけた時などに、よく使います。
 
Googleマップを使うとイメージが湧きやすいです。
 
Googleマップを起ち上げて、GPSで自分が今いる場所を可能な限り大きい尺で地図表示させます。
 
今、オレは地図上で表示されている青い○の位置にいて、そこで絶望を感じていると自覚しておきます。
 
そこが、会社だったら、当然自分以外の他人もその近くにうごめいているわけで、そういった関係者の中で今の自分が堪え忍びながらそこにいるという状況をイメージするのです。
 
少し縮尺を小さくしてみます。
 
今度は、会社以外の場所も地図の中に入ってきます。
 
そうすると、会社以外の知らない人達もこの地図の中にはいて、その人達はどう思って今を過ごしているんだろうかと想像してみます。
 
楽しそう?
 
しんどそう?
 
悩んでる暇などないぐらい忙しそう?
 
どんな風に想像しようがかまいません。
 
それは自由。
 
でも、自分が知らない人達も地図の中には存在しているということを自覚し、その中で手詰まりで悩んでいる自分なんだと思ってみましょう。
 
そう思いながら、次は都道府県や地方エリアが入るぐらいに縮小し、また同じようにその地図の中にいる自分を想像してみます。
 
色んな人がうじゃうじゃいるはずで、色んな人間がそこで生きています。
 
極悪人から良い人まで、頭の良い奴から馬鹿なヤツまで、綺麗なお姉さんからおばあさんまで、色んな人を想像してみます。
 
そしたら、次は日本が表示されるぐらいまで縮尺を変えると、中国大陸なんかも視界に入ってきます。
 
そこにも大勢の人がいて、しかも言葉も通じない。
 
でも、やっぱり人間なので色んな思いを抱えながら生きているはず。
 
そしたら次は地球丸々表示されるサイズにしてしまい、宇宙から地球を眺めている自分を想像します。
 
マップ上で表示されている青○のところに、確かに自分は存在しているはずです。
 
この時、そこで抱えている悩みとか辛さが無くなるわけではないですが、こういうスケールで考えていくと、まあ、別にいっかと一瞬ゆるく考えられる自分も出てきます。
 
すると、少しだけですけど、気が楽になります。
 
もし、気持ち的に余裕があれば、宇宙から見た自分だけじゃなく、地球以外の天体も想像してみて欲しいです。
 
太陽系を飛び出して銀河系、銀河系を飛び出して他の銀河系といった具合に。
 
想像しにくかったら、NASAのHPに色々と面白い宇宙の画像がありますので、それ見てみると良いかも。
 
そうした遠くの天体にも、未知の知的生命体がいるかもしれません。
 
そいつらもやっぱり生きることに悩みながら仕事していたりするんだろうかと、想像してみると少しだけ気持ちが軽くなります。
 
広大な宇宙の中、数え切れないほどの星がある中の一つが地球で、その地上にいる自分が、行き詰まり感を抱えて悩んでいる。
 
そういう風に考えてみるだけで良いです。
 
それで問題が解決するわけじゃないですが、限り無い時間軸と空間を擁するこの世界ではどうでもいい事象に過ぎない。
 
ああ無情(^_^;、と軽く失笑できたらしめたものです。
 
ちょっと宗教っぽい感じでしたが、突き詰めると宗教も要はそういう事が言いたいんじゃねぇの?って勝手に思ってます。
 
とまあ、僕がよくやってる脱鬱方法の紹介でした。
 
 
 

どこかに辿り着きたいとか、何者かになりたいとかを思わなくなって久しい

昔は、自分が何かを成し遂げるはず、その何かはよく分かってないけど、こうありたいみたいな自分があって、そういう風に生きようとしていました。
 
もちろん、中二病っぽい部分でもあったわけですが、要は、自分は他人とは違うはずだ、っていう変な自信みたいなもん。
 
RPGで言えば、村人Aじゃなくって、勇者もしくは勇者パーティの一員という位置付け。
 
そんな風に思ってたのって、40歳ぐらい迄かなぁ。
 
いつの間にか、どこにも辿り着けないであろう自分、何者にもなれないであろう自分を徐々に受け容れて生きていくようになりました。
 
自分の努力が足りないのか、手段が駄目なのか、自分の事をそもそもよく分かっていなかったのか。
 
そこのところは、まだよく分かっていません。
 
もし、今の会社で働いてなくて、もっと放漫にやりたいように生きていたら、今でも何処かに辿り着こうとしている自分であっただろうか?
 
ふと、そんな事を考えたりします。
 
タラレバですけどね。
 
何者になれなくてもいいから、日々の生活の中で小さな楽しみを積み上げる人間になろうと思った時もありました。
 
でも、それもやっぱり挫折しました。
 
毎日をコツコツと大事に生きていくタイプじゃなかったようです(^_^;
 
村人Aにすらなれないです。
 
自分でも体感的にわかるんですよ、エネルギーがね、スカスカな感じが。
 
エネルギーが足りてないから、何事に対しても億劫。
 
でも、1人当たりのエネルギー総量って、個々でそんなに違いがあるんでしょうかね。
 
僕はこれまで、エネルギーを使い切るほどの生き方をしていない自覚があるんで、だとしたら、自分が生まれ持ったエネルギーの総量というのは、かなり小さなものだったのかなぁ。
 
もしかしたら、エネルギーはまだ自分の中にあるんだけど、取り出し口が詰まっていて使えてないとか?
 
じゃあ、上手にエネルギーが使えるようにこうしましょう、ああしましょう、、、となると、段々宗教っぽくなってくる。
 
だから、人類は宗教を生み出し必要としてきたのだろうと想像します。
 
ただ、辛いこと、嫌な事、面倒な事がある時は、遠いいつの日かの事を思っていると、ダメージを少なくしながらやり過ごせる事に気付きました。
 
会社辞めて新しい道を探すんだから、
 
イタリアに行って大好きな食材を輸入する仕事をするんだ、
 
投資の勉強をもっとして資産運用をメインに生きていこう、
 
ネットでお金を稼ぎながら生きていこう、
 
などと、人に聴かれたら恥ずかしくなるような(既にここで晒してますが…)レベルの「楽しそうなこと」を、妄想して荒波をしのぐのが最近のくろばこ。
 
とまあ、そんなことをグダグダ考えながら、残暑の中、会社で仕事しているフリをして過ごしているのでありました。

自分で研修に申し込んでいて、その研修会で文句しか言わないやつ

会社で、僕の部署が定期的に企画する研修講座があります。
 
何の研修かは伏せさせて頂きますが、基礎知識を学ぶ入門研修的なものです。
 
募集要項には、あくまでも初心者向けの研修ですので、経験者等はご遠慮願うよう記載しています。
 
そうは書いてあっても、実際には何人かは経験者がステルスで受講申込してきたりするんですよね。
 
こちらも、分かっていてもそれをむげに断ることも出来ないので、受付して迎え入れるわけですが、やっぱりね、そういう奴らはね文句が多いのです。
 
ともかく、あらゆる面で面倒くさい。
 
講師が喋っているのに、そのやり方じゃ駄目と隣の人に言ってみたり、段取りが悪いと文句言うけど自分は全く動こうとしなかったり、何様なんだって感じ。
 
一つには、自分の知識を初心者の前でひけらかしたい、自慢したい、オレは既に知ってるぜって言いたいというのがあるのでしょう。
 
こっちも、テキトーに「はいはい」と言って基本、受け流しますが、あまりに研修の妨害になるような場合はややきつめに注意します。
 
「○○さん、初心者向けの研修に自ら申込したんですよね?だったら、ちゃんと聞く耳もって受講しないと意味ないですよ」と。
 
それでもごちゃごちゃ言ってきたら「じゃあ、もうこの研修は○○さんには必要無いって事じゃないですか。もう次から来られなくてもいいですよ。研修料はお返しできませんが」と突っぱねておきます。
 
そこまで言うと、さすがに少し大人しくなります。
 
たぶんですが、そういうのはかまってちゃんタイプだと思われますので、適当に持ち上げながら、でも、度が過ぎてる時はきつくこちらも言うぐらいにしないと、真剣に受講している他の人達に迷惑がかかっちゃいます。
 
そして、自分はそういうヤカラにはならないよう気をつけて生きていこうと、心に誓うのでした。

夏の甲子園の決勝戦としては試合内容が面白くなかった

今年の夏の高校野球甲子園大会は、金足農業高校フィーバーで幕を閉じた感じですね。
 
大阪桐蔭としては、ちょっとやりづらい決勝戦で何だか可愛そうでした。
 
金足農業高校の吉田投手は、確かに素晴らしい選手でプロが注目するのもわかります。
 
その彼がエースとして予選から甲子園決勝で交替するまで1人で投げきって、勝ち上がってきたわけです。
 
でもね、そのおかげで、決勝戦は試合としては凡戦になってしまった。
 
地力のある大阪桐蔭ですから、そんなに甘くいくわけがない。
 
連戦連投の吉田投手が大阪桐蔭を押さえる確率は、素人目に見てもかなり低いだろうとは予想できました。
 
結果は大差で金足農業高校が敗退となったわけです。
 
13-2というスコアについて、なぜ誰も言及しないのでしょうか?
 
地方大会であればコールドゲームとなる一方的な試合なのです。
 
でも、世間はメディア含めて、金足農業高校の活躍を美談でしか語ろうとしません。
 
純粋に試合を楽しみたい人間としては、息の詰まるような接戦を甲子園決勝では期待してました。
 
それだけに、吉田投手よく頑張った!という美談には、僕的にはどうも納得できません。
 
そういう声があまりあがってこないのも、ちょっと悲しいです。
 
球数制限とか色々と議論が持ち上がりつつあるのは、旧態依然とした高校野球にとっては良いことだと思ってます。
 
でも、その前に、1人のエースに頼り切った戦略、チーム作り、采配しかできない指導者をもう少し何とかすべきじゃかろうかと。
 
金足農業高校の野球部員は、全体では50人以上いるらしいですね。
 
にも関わらず、ほぼ毎試合同じメンバーで戦ってきたようです。
 
レギュラーメンバー以外の選手育成を怠ったのか、それともレギュラー以外はどんなに練習しても上手にならなかったのか。
 
どちらにしろ、指導者のスキル不足を問われても仕方ないように思いますが、どうなんでしょうか。
 
別に監督を悪者にしたいわけじゃないんですが、決勝で大敗したという事実だけに焦点を当てると、そういう反省も必要なのではと思うのです。
 
そして甲子園で優勝するためのチーム作り、采配が出来なかったという点は、厳しいようですがメディアもきちんと指摘すべきでしょう。
 
一応、僕も昔は野球少年でした。
 
中学校までやってましたけど、才能の無さに気付いて高校では野球から逃げましたが(^_^;
 
そんな僕が考えてみた、高校野球甲子園大会の改革案が以下。
 
1.投手の球数制限又は回数制限
→強豪校が更に有利になるという声もありますが、今でもそうなんだからやってみる価値はありそう。
 
2.投手枠を3人以上としてベンチに入れる事を義務付け
→これは簡単にやれそう。
 
3.ベンチ入り人数をもっと増やす
→これも簡単にできそう。
 
4.1試合で最低2人以上の投手を使うように義務づける
→完投とか完全試合達成とかが無くなるから反対は多そうだが、投手1人に負担をかけないやり方としてはあり。
 
5.試合間隔をもっと空ける
→これは効果ありそうだけど、応援団含めて滞在費がかさむ恐れあり。でも、そもそもなんで野球だけ大応援団で行かなきゃならんのだ?という疑問はあります。
 
6.涼しい10月に開催
→けっこう良さそうだけど3年生は受検シーズンに突入しているので大変かも。
 
7.選手交代しても何度でもまた試合に出られるようにする
→これだとしばらくベンチで休んで様子見てまた出してもらうってことも可能。プロとは違う仕様になることについては異論も出るでしょうが、DH制とかは高校野球にないし、金属バットは高校野球OKだし、そう考えたら別にいいような気がする。
 
8.試合を7回までにする
→中学校の時がこれでしたが、高校野球も回数少なくすれば球数も抑えられるそう。でも反対多数だろうな。
 
9.暑い日中は避けて早朝とナイターだけで試合をする
→これは割と現実的にありじゃないかなと思うが、球数多く投げちゃえば一緒。
 
こうやって色々と考えてみると、もう少し選手のために考えることってあるんじゃないのかなと思います。
 
あと、甲子園大会が全て、そこで選手生命が終わってもいいって選手がいた場合、どうするかって話しですが、、そこで終わらないように指導するのも教育です。
 
高校野球は教育の一環らしいですから。
 
ということで、高校野球雑感でした。
 

雇い止めってそんなにツライものなのかな

以下は弁護士ドットコムで掲載されていた記事。
 
有期雇用から無期雇用に転換する直前に雇い止めされたのは無効だとして、神奈川県在住の40代男性が、玩具メーカー大手・バンダイ(東京都台東区)を相手取り、従業員としての地位確認などを求めている裁判の第1回口頭弁論が8月20日東京地裁で開かれた。バンダイ側は請求棄却を求めた。原告の男性は約12年間、有期雇用の契約社員として働いたが、労働契約法によって無期雇用となる寸前に雇い止めされたと主張、今年6月に提訴していた。
 
男性と代理人弁護士は口頭弁論後に、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いた。男性は「正直な気持ちとしては、くやしい。非正規というのは、法律すらまともに適用してもらえないのか。(会社が)涼しい顔して雇い止めするのは許せない」と怒りをにじませた。
 
●男性側「雇い止めは権利行使を奪うもの」
 
男性は2006年5月、バンダイに有期雇用の契約社員として採用された。2007年4月以降、1年契約が何度も更新されて、2018年3月に契約終了により雇い止めされるまで約12年間、本社で経費処理などの業務を担当していた。
 
労働契約法の改正によって、通算5年を経過すれば、有期雇用の労働者に無期転換できる権利(無期転換申込権)が発生する。男性も2018年4月1日、この権利を得る予定だった。ところが、バンダイは2017年12月、男性に次回の契約更新をしないと通告。男性が引き続き働きたいと求めたが、バンダイは2018年3月31日をもって、雇い止めした。
 
男性側は「2018年4月1日において就労をつづけていれば、無期転換申込権を行使できる状態だった。雇い止めは、この権利行使を奪うものであり、無効だ」と主張している。一方、バンダイは弁護士ドットコムニュースの取材に「係争中につき、コメントについては差し控えさせていただきます」と回答した。
 
 
 
要は、12年間、毎年契約更新してきたのに、なんで雇い止めなんだ、無期雇用寸前だったのに!
 
という嘆きのお話しだったわけですが、僕的にはなんか無期雇用より有期雇用の方が良いのになぁと思ってます。
 
ただ、記事の男性の話しでは、会社があのバンダイです。
 
それなりに大企業ですし、契約社員とはいえ、12年も勤めてそれなりに居心地も良かったって事なんでしょうね。
 
にも関わらず、無期雇用直前で雇い止めの判断をしたということは、その男性に対する会社側の評価はそれほどでもなかったと想像してしまいます。
 
僕も今の職場は今年で13年目ですが、3年過ぎたあたりから辞めたいとずっと思っていて今に至ります。
 
自分が契約社員だったなら、「もう契約の更新は無しでいいです」って自分で言って辞められるから、本当に気が楽なのになぁと思うんですよね。
 
お前は正規雇用の立場だから気楽に言えるんだ!って怒られそうですが、ずっと一つの組織に縛り付けられる正規雇用がなぜそんなに良いと思われているのか、僕には謎です。
 
今の会社でも何回かは、正規雇用じゃなくて臨時とか嘱託とかにして契約制にしてもらえないだろうかと、こちらから逆提案したこともあります。
 
全て、「お前、寝言は寝てから言え」的な感じで相手にされませんでしたが。
 
以前から言ってるように、今の社会が、転職したり解雇したりすることが普通の感じになればいいのにと常々思っています。
 
いわゆる雇用の流動化ってやつですが。
 
方や、無期の正規雇用に拘る人がいて、方や正規雇用なんか鬱陶しいと思っている自分がいるというのが、不思議な感じですね。
 
まあ、それぞれの立場があって、自分が望むような形にはなかなかならないのが人生って事でしょうか。
 
未だに会社を辞められない僕が言うのもなんですが、本当に無期雇用を希望しているのなら、居心地の良さとか何となく勤められそうといった漠然とした空気感に流されちゃ駄目なんじゃないかと思います。
 
特にバンダイなどのように大きな会社って、けっこうシビアでドライに人事はやりそう。
 
そこで自分がどういう立ち位置なのか、どう評価されているだろうか、どのレベルの仕事をしているだろうか、正規社員と比較してどうだろうか等々、俯瞰的に見ながら、場合によっては別の会社で就職を探す努力をするという判断も必要なんじゃないの?って感じます。

どんな仕事でもダメージエリアはあるわけで

◆以下は、ある男の職業遍歴です。
 
大学を卒業して、特に考えも無く商社に就職し営業職担当となった。
 
最初は新卒でそんなに数字のことも言われないし、行く先々の顧客から優しい言葉をかけられ、なんだ楽勝じゃんって思う。
 
運良く提案した商品を採用してもらい実績も作ったが、3年目ぐらいからマンネリな仕事を続けていたせいで売り上げも先細りし、数字が達成できなくなり、会社にも居づらくなって退職する。
 
自分には営業職は向いてないと思い、文章書く事が好きだから、そっち系の仕事探していたらローカルタウン誌の取材記者を募集しており、面接したら受かった。
 
中途採用ということもあり、それなりに結果を出さなきゃと思い頑張るが、実際の仕事は取材よりも広告営業がメインで、雑誌に広告掲載してもらうために取材するといったもので、面接時には聞いてなかった広告営業ノルマも課せられ、2年と持たずに辞めてしまう。
 
物書き仕事をあきらめて、やっぱり自分は事務仕事だったら続けられるんじゃないかと思い、その手の仕事を探すことに。
 
小さなの建設会社の事務に運良く採用が決まり働き始めたが、暇なときは現場に連れて行かれて現場職人と一緒に働かされる。
 
事務の仕事は実際にはすることがほとんど無く、恐らくは男だったら現場に行かせ、女性だったら事務やらせようというステルス採用だったのだと後から気付く。
 
これじゃあ、普通にアルバイトで現場作業やった方が単価が良いじゃんと思い、半年ぐらいで辞める。
 
次はちゃんと事務職として採用してくれるところを探そうと思い、中規模の建設会社に応募する。
 
何故か建設系の募集ばかりだが、だいたいにして地方とはそんなもんである。
 
その建設会社で募集していたのは、総務・経理の管理職的な仕事で、若干不安はあったものの、いつもの浅はかな自信で何とかなると思い応募したら採用される。
 
ここでは、前の会社の様に現場に出される事はなかったが、いきなり訳分からない建設経理事務の処理をやらされたりする。
 
自分もスキルが無いのが分かっていたので簿記の勉強をしたが、机上での勉強が実務ですぐに役立つわけもなく、徐々に追い込まれた感が出始める。
 
また、事務は僕以外は女性4人であり、そのうち2人は社長の親戚関係、もう1人は若い女性だったが僕とはそんなに馴染んでくれそうな雰囲気が無かった。
 
必然的に女性4人と男性1人という構図になり、仕事で分からない事を聞きたくてもなかなか聞ける空気もなく、目に見えない圧迫感に段々と耐えられなくなり、逃げるように会社を辞めた。
 
この時30歳。
 
さてどうしたものかと思い、とりあえず建設会社はあきらめて製造工場での募集を探すことに。
 
自宅からはやや遠いものの、食品ベンダー工場で業務係募集というのがあり応募してみる。
 
製造現場の仕事では無いが、総務系の仕事というわけでもないらしく、よくわからないまま採用され仕事を始めた。
 
どうやら自分は受発注システムの運用、保守担当を任されたようで、各店舗からあがってくる商品をシステム受注し、それを製造ライン毎に指示書にして日々伝達するのが仕事だった。
 
そこではオフコンやらWindows95やらを使って受注オペを行っていたが、基本はそこにいる担当者が自前で作ったシステムで、まずはその使い方を覚えることからスタート。
 
中でもロータス1-2-3のマクロで組んだ製造指示書関連のファイルには手こずったが、何とか努力してついていき、1年後には自分もそれなりのロータス1-2-3の使い手にまでなった。
 
システムオペの仕事は自分にも合っていたらしく、それなりに仕事も評価されすぐに管理職へ登用されたが、同じフロア内にいるお局様と一悶着やらかしてから歯車が狂い始め、自律神経を煩い休職を経て退職に追い込まれる。
 
しばらく療養するも、働かないと食えないので、また懲りずに仕事を探し始める。
 
まず見つけたのが、小さな防水工事会社の事務だったが、これも現場に引っ張り出されたことと、一緒に入社した性格の悪い女性事務員が嫌で3ヶ月で辞める。
 
次が、飲料系製造会社の事務で採用してもらうも、販売事務と品質検査の掛け持ち仕事だった。
 
これはこれで難なくこなしたが、事務所にいる女性社員と気が合わなくて1年ぐらいしんどい思いをする。
 
いつの頃からか女性社員に対して苦手意識が芽生えてしまっているようで、動悸が激しくなるぐらいに追い込まれ、もう辞めようと思い開き直ったらそこから普通にその女性とは話せるようになった。
 
結局、そこも辞める事になるのだが、この時だけは次の会社にお誘いを受けて行くことが既に決まった形で辞めることになった。
 
そして現在に至る…。
 
 
とまあ、ざっくり書き連ねてみましたが、男のモデルは自分です。
 
多少、脚色してありますので、100%そのまんまというわけではありませんが。
 
営業→ライター→建設作業員→事務→システム管理者といった遍歴を辿っていますが、要はどこへ行っても、何かしらのダメージエリアやモンスターは存在していて、そこをどう切り抜けて進んでいくかって事です。
 
若い時は、それこそ全て討伐しないと先に進めないと思っていましたが、こうやって年齢を重ねると、無理にモンスターを討伐しなくても逃げながら進めるってのもありだし、モンスターを仲間にするってのもありなんだと分かってきます。
 
あと、昔はスライムに苦労していたのが、今では全くの雑魚状態っていうのは、仕事経験の中でもよくありますが、これはやっぱり時間がある程度経たないと実感できない。
 
このことが30年近くかかって分かる僕のような人間と、社会人1年目から理解している人間では、その差は歴然ですね。
 
こう考えてみると、RPGそのまんまだったりします。
 
なので、希望としては転職しやすく、あちこちのフィールドに好きなように出かけられる社会だと、もうちょっと楽になれるんだろうけどなって、よく思います。
 
誤解しないで欲しいのは、転職しようが、色んなところに行こうが、そこはそこで自分のレベルよりやや高い問題(クエスト)が待ち受けているのは避けられないってこと。
 
その中で、討伐したり依頼をこなすことで、僕らのような凡人は生き抜いていくしかないわけで。
 
でも、一番はやっぱりRPGのルールを作る側に立てる人っていうのが凄いんでしょうけど。

メールや電話をできるだけ無視する

タイトルは、僕自身のことなんですが。
 
LINEはやってないですが、もしやってたらけっこう大変な事になってかも。
 
既読スルー連発は間違いなしょうから。
 
メールにしても、携帯メール、Gmailともにほぼスルーしちゃいます。
 
携帯にくるメールはほとんど開ける事無くゴミ箱行き。
 
妻からのメールも読んだり読まなかったりで、返信することもほとんどありません。
 
仕事のメールも、けっこう未読のまま無視してて、後からけっこう焦るパターンがあります。
 
友人から送られてくるメールは滅多に無いんで、あれば逆に何か必要な連絡事項なのだろうと思い、読んで必要だったら返信するぐらいです。
 
携帯電話も気分的に出たくない時は、できるだけスルーします。
 
それは仕事先の電話であっても、そういう場面があります。
 
まあ、酷い話しだと思われるでしょうが、こうやって自分の中のバランスを無意識に保っているんでしょうね。
 
しかしながら、全く繋がりたくないわけでもなく、このようにブログ発信は続けています。
 
とは言っても、このブログも積極的な交流ができているわけじゃないので、ある意味一方通行な発信ではありますが。
 
ただ、こんだけメールや電話を無視していると、変な詐欺メールとかにも引っかかりません。
 
なんせ、中身すら見ずにスルーするのですから。
 
これだけは利点と言えます。
 
こういう繋がり方していると、というか実際には繋がってないのですが、必然的に孤独な状況を作り出してくれます。
 
僕の場合は、奥さんがいるので、目下のところ話し相手も遊び相手もほぼ奥さんという状況が10年近く続いてます。
 
たまに、これで良いのだろうかという考えが頭をよぎりますが、今のところ充足しているのでいいかなと。
 
ただ、奥さんに先立たれたら困るなぁとも思っていますが(^_^;
 
孤独な状況を作り出しやすい人というのは、世の中には一定数存在していて、たぶん自分もそんなタイプなんだろうと自覚できるようになりました。
 
それが嫌だって思う人は、そこから孤独との戦いになるんでしょうが、別に嫌じゃ無くてむしろそれはそれで快適という人は、繋がりを必要最小限にして生活するのもありだなって思ってます。
 
という、とりとめの無い記事でした。