Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

どこかに辿り着きたいとか、何者かになりたいとかを思わなくなって久しい

昔は、自分が何かを成し遂げるはず、その何かはよく分かってないけど、こうありたいみたいな自分があって、そういう風に生きようとしていました。
 
もちろん、中二病っぽい部分でもあったわけですが、要は、自分は他人とは違うはずだ、っていう変な自信みたいなもん。
 
RPGで言えば、村人Aじゃなくって、勇者もしくは勇者パーティの一員という位置付け。
 
そんな風に思ってたのって、40歳ぐらい迄かなぁ。
 
いつの間にか、どこにも辿り着けないであろう自分、何者にもなれないであろう自分を徐々に受け容れて生きていくようになりました。
 
自分の努力が足りないのか、手段が駄目なのか、自分の事をそもそもよく分かっていなかったのか。
 
そこのところは、まだよく分かっていません。
 
もし、今の会社で働いてなくて、もっと放漫にやりたいように生きていたら、今でも何処かに辿り着こうとしている自分であっただろうか?
 
ふと、そんな事を考えたりします。
 
タラレバですけどね。
 
何者になれなくてもいいから、日々の生活の中で小さな楽しみを積み上げる人間になろうと思った時もありました。
 
でも、それもやっぱり挫折しました。
 
毎日をコツコツと大事に生きていくタイプじゃなかったようです(^_^;
 
村人Aにすらなれないです。
 
自分でも体感的にわかるんですよ、エネルギーがね、スカスカな感じが。
 
エネルギーが足りてないから、何事に対しても億劫。
 
でも、1人当たりのエネルギー総量って、個々でそんなに違いがあるんでしょうかね。
 
僕はこれまで、エネルギーを使い切るほどの生き方をしていない自覚があるんで、だとしたら、自分が生まれ持ったエネルギーの総量というのは、かなり小さなものだったのかなぁ。
 
もしかしたら、エネルギーはまだ自分の中にあるんだけど、取り出し口が詰まっていて使えてないとか?
 
じゃあ、上手にエネルギーが使えるようにこうしましょう、ああしましょう、、、となると、段々宗教っぽくなってくる。
 
だから、人類は宗教を生み出し必要としてきたのだろうと想像します。
 
ただ、辛いこと、嫌な事、面倒な事がある時は、遠いいつの日かの事を思っていると、ダメージを少なくしながらやり過ごせる事に気付きました。
 
会社辞めて新しい道を探すんだから、
 
イタリアに行って大好きな食材を輸入する仕事をするんだ、
 
投資の勉強をもっとして資産運用をメインに生きていこう、
 
ネットでお金を稼ぎながら生きていこう、
 
などと、人に聴かれたら恥ずかしくなるような(既にここで晒してますが…)レベルの「楽しそうなこと」を、妄想して荒波をしのぐのが最近のくろばこ。
 
とまあ、そんなことをグダグダ考えながら、残暑の中、会社で仕事しているフリをして過ごしているのでありました。