Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

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Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

初めて金縛りを経験したよ

初金縛り。
 
半分は夢、半分は起きているのはなんとなく自覚していました。
 
ふっと何かの気配が寝ている自分に向かって来るのもわかっていました。
 
半分は怖かったのも確かです。
 
そのまんま表現するなら、やっぱりそれは霊的な何かっぽかったから(^0^;)
 
でも、なぜか金縛りがくるという予感があり、金縛りで発生する霊的な体験は自分の脳内で起こっている幻覚を見せられているという予備知識があったので、怖いと思いつつも冷静にその状況を受け入れていました。
 
そして、本当に体が動かなくなる感覚が襲ってきました。
 
お~、これが金縛りかと思いつつも、金縛りから脱出するには、腹部に力を込めて声を出すか息を吐き出すことだと、これまた何故か夢うつつながらはっきりと自覚しており、その通りにしたら金縛りが解けました。
 
未だに、半分はやっぱり不思議な体験であり、霊的な感覚が自分に近づいた時を思い出すと怖いきもします。
 
しかし、すべては人間の脳内で起こっていることなんですよね。
 
人間の脳が未だに解明されない部分があるのもわかる気がします。
 
たとえば、なぜ、人間の脳は右脳と左脳に分かれて、それぞれが対極に位置するような活動をしているのか?
 
普通に考えたら、左右に分かれなくても最初から一つでいいのにと思うのですけどね。
 
こう考えていくと、色々と面白いなぁっていう話でした。

「自分のブログであらためてわかること」の続き

「自分のブログでわかること」の捕捉的な続きです。
 
 
嫌なことがあった時、不安や悩みに襲われている時、こういう時はひたすら「自分に関する」文章を書く傾向がある。
 
逆に気持ちが安定している時や、不安や悩みがあまり無い時は、アニメや映画、読書といった好きなものに関する記事を書けるようになってるみたいです。
 
あと、書きながら、どうしても他者目線を意識してしまっている時が多いです。
 
ほぼ、ほとんどだと思いますが。
 
こう書いたら、不快に思われたり自分の事を下に見られたりするかも、とか、他者から尊敬の念で見られたいとか、小さな事からアホっぽい部分まで全てに於いて、他者目線を意識している感じは、未だにあります。
 
好きな事、書きたいことを自由に書けばよいのにと思うのですが、この癖はなかなか治りません。
 
たぶん、一生治らないんじゃないかな。
 
そこはもうあきらめるしかないか。
 
また、他のブログと交流を図ろうとしないのも、ずっと変わってないですかね。
 
これも、俺は他人の事を気にしないけど、他人は俺の事を気にかけて欲しいという、実にワガママな願望の一部です。
 
自分からコミュニケーション取りにいっても、先が続かなくて苦しくなるというのもあるんですが。
 
それと、自分が相手からその他大勢として扱われるのが嫌なんです。
 
でも、たぶん、実際の自分は「その他大勢」の一人です。
 
映画やドラマで出てくる、通行人だったり、まとめて殺される住民の一人だったり、主人公に不満や暴言をぶつける脇役Aのような存在です。
 
そこのところを、まだ自分では認めてない、受け入れたくないんでしょうね。
 
ブログやってると、色んな事を少しずつわかるようになってくる、というお話でした。

悩み事や不安があると何もできなくなる

もう、タイトルそのままですが、自分のことです。
 
毎日ギター弾きたいのに、仕事の悩みや不安、ストレスがあるとギターを手に取ることすらできなくなります。
 
弾いてる時は、不安や悩み事から離れられるとは思うのですが、結局は悩んでいる現実に戻るわけだから根本的な解決にならないという気持ちが先行するのです。
 
そして、それは悩んでいる自分と向き合おうとしない自分自身をも意味しています。
 
結局はそういうことなんですね。
 
自分に向き合いたくないから、何も手に付かなくなる。
 
なんか、普通は逆じゃないかとも思われますが。。
 
でも、少なくとも自分についてはそうなのです。
 
不安や悩みから逃げる、見たくない、認めたくない、そうした思いが強すぎて逆に囚われてしまい、他の事が手に付かなくなるのだと、最近理解しました。
 
僕と同じような人って、他にもいるんでしょうか?
 
そういえば、「マツコ・有吉の怒り心党」で取り上げていた話しで、マツコがドラマとかで、誰かが失敗したり恥ずかしくなるような場面を見たくない、見ると自分じゃないのに自分のことように辛く思えて見られない、というのがありました。
 
詳細はここで。
あ、それ、自分もそう、同じだと思ったんですよ。
 
学術的には、「共感性羞恥」と言うらしいです。
 
数は多くないですが、何割かはそういう人がいるらしい。
 
この「共感性羞恥」、実は自分の人生に結構な影響を及ぼしているのではなかろうかと、密かに思っています。
 
だからなんだ?というものでもないですが。
 
不安や悩みにどう立ち向かうかの解決には、なってないですし(^^ゞ
 
ということで、相変わらずグダグダ考えてしまってます。

駄文つらつら

書きたいことがないわけではないですが、書こうと思うと頭の中が無風状態になるという感じが続いております。
 
精神的な安定が欠けているのが原因かと思われますが、そういう時こそ心に抱えているものを吐き出すと良いとは思います。
 
今は、なかなかそういう作業もできない状況なのかなぁと。
 
毎日の生活において、気持ちの上げ下げ含めて変動があるのは当然。
 
昔はその変動に対して、何も考えること無く対処できていたのだと思います。
 
変動があっていることすら気付いてなかったのでしょう。
 
思い返せば、ある意味非常に羨ましい状況だったんだなと。
 
では、なぜ今頃になってそうした気持ち変動に耐えられなくなったのか?
 
半分は、今までの積み重ねが原因。
 
何度も書いているように、何も積み重ねてこなかったことによる耐ショック防御の脆弱性です。
 
それと、やりたいこと、好きな事はいずれ見つかるだろうという楽観視が裏目に出たこと。
 
やりたいことや好きな事は、たぶんその気になって探さないと自分の中で自覚できないんだろうなといういことです。
 
特に僕はあれこれ目移りして、一つの事に没頭できないタイプなので、そういう人間はなおさらそうなんでしょう。
 
今になって悔やんでもしょうがないので、少しずつ一つのことを確実にこなしていくしかないんでしょうかね。
 
とりあえず、最近生きている時点での人生の観想でした(^^ゞ

あるブログ主の訃報

昨年から読み始めていたブログでした。
 
読者登録はしていましたが、特にコメントしたりとかの交流もしてませんでしたが。
 
でも、ここ最近更新が途絶えていたもので、ずっと気になっていたのです。
 
最後の記事が集中治療室に移された話しでした。
 
その後、ぷっつりと更新が無くなるも毎日、RSSでチェックしていたのです、、。
 
僕よりは年上だったようですが、とても親近感の湧くブログ記事で飄々と白血病に向き合う姿に引きこまれていました。
 
そのブログ主さんが亡くなられ、ある意味、自分にとって身近な人が亡くなった以上にショックでした。
 
もの凄く落ち込むとか、悲しむとか、そんな気持ちとはちょっと違います。
 
ちょっとした喪失感と、こういう表現は不適切かもしれませんが、ちょっとした感動みたいなものです。
 
合ったこともない、顔も知らない、どこに住んでいたのかも知らない、でも、ブログ記事を通してその人が亡くなったことについて喪失感を覚えることができる。
 
こういうのは、ネット社会ならではの感覚というか、非常に不思議な感じを覚えます。
 
それを感動と表現するのは間違っているかもしれませんが。
 
逆に言えば、僕がもしこのまま死んでしまったら、そう感じてもらえる読者も1人ぐらいはいるのかもしれない。
 
でも、自分で自分が死んだ事を記事にアップできませんから、この場合、僕以外の身内や親しい人にこのブログの存在を知っておいてもらう必要がありますね。
 
今のところ、このブログについてはそういう状況にないので、更新が止まっても休んでるのか本人が死んでるのかは、分からない状態となります。
 
たぶん、このブログは自分についてそこそこ赤裸々に語っているものでもあり、自分の道標でもあるため、ずっと続けたい(続けると言い切れないのが悲しい)です。
 
更新も毎日するつもりですが、もしかしたらそうならないかもしれない。
 
でも、休んでもせいぜい2~3日とかにしたい。
 
だから、もし、1ヶ月以上更新が無かったら、くろばこの身に何か起こったものと想像してください。
(とか言って平気で1ヶ月後に更新しだすかもしれませんが)
 
あと、人はいつどうなるか分からないと思うと、今の自分じゃいけないよなとも確かに思うのです。
 
どんなに辛かろうが、苦しかろうが、死ぬ事を思えばマシなんじゃなかろうか。
 
少なくとも、今の僕はそういう感覚です。
 
死んだ方が楽だと思うレベルまでは行ってないので、まだ重傷じゃないと思ってます。
 
まだ、逃げ道はたくさんある(^^ゞと考え、とりあえず生きていこうと思いました。

カルボナーラ風スープパスタ

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カルボナーラ風スープパスタと言っても、要は失敗作なんですが(-_-;)

カルボナーラが食べたかったのに、牛乳を多く入れ過ぎてしまって、スープパスタで誤魔化した一品。

本場のカルボナーラは牛乳入れないらしいので、その時点でアウトなんですが。

まあ、これはこれでそこそこ美味しくいただけました。

 

 

 

 

 

 

納豆パスタ

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納豆パスタといいつつも、大葉やシラスをてんこ盛りにした和風パスタ。

醤油をかけて食べるのが美味しいです。

今回のは、パスタを冷水で絞めてその上に納豆やら他の具材をトッピングするタイプ。

ただ、納豆とパスタが意外に絡まないので、最後はどうしても納豆だけが皿に残るパターンになります。