Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

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Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

Charlotte(シャーロット)

アニメ

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けっこう世間的には高評価のアニメらしく、原作者や制作会社の元々の人気もあり、盛り上がったみたいです。
 
でも、そこまでアニオタになりきれてない自分には、特に感慨深いアニメではなかったというのが正直な感想です。
 
あらすじ
主人公の乙坂は、自分以外の体を5秒間のみ乗っ取ることができる特殊能力を持つ男子高校生。
 
この能力を悪用して、学園では成績優秀の生徒となり、楽しい学園生活を送っていました。
 
しかし、同じように特殊能力を持つ少女の友利菜緒が彼の前に現れ、主人公の能力を阻止したことから話しが動き出すのです。
 
同じ能力者の友利は、自分達のような能力者を見つけ出し、その能力が使われることを阻止する活動をしていると言い、乙坂を仲間として迎え入れました。
 
その中で、特殊能力は思春期の少年少女のごく一部に現れる病気のようなもので、一定年齢を過ぎると消えて無くなることもわかりました。
 
不完全な能力
主人公乙坂の能力は5秒間だけ他人に乗り移れるというもの。
 
ヒロインの友利は、任意の一人のみ視界から消え去ることができる。
 
同じ高校の高城は、中途半場に高速移動が可能のおかげで怪我が絶えない。
 
といった具合に、彼らの持つ能力はビミョーなもので、使えそうで使えないのがほとんど。
 
これも、思春期にありがちな中二病的なものが突出することによって生まれた能力なのでしょうか?
 
主人公が意外にゲス
そして、主人公の乙坂があまりにゲスすぎるという面白い設定になっています。
 
人に乗り移れる能力を使って、テストでカンニングし成績を維持することで学園内の地位を築いているのですが、友利達にその能力を暴かれ封じ込められたおかげで、一般人以下に落ちてしまいます。
 
そのヘタレでゲスな主人公が、やがては仲間を窮地から救い、最後は世界の能力者達を救おうとすることになるのですが、そこへの成長の変化の過程がちょっと弱いんですよね。
 
多分、前半の学園生活の描写部分が無駄に多すぎたせいだと思います。
 
 
主人公の心境の変遷
先ほど述べたように、最初の主人公はゲス設定ですが、話しが進むにつれ色々と変化していきます。
 
ヘタレ&ゲス→友利の小間使い的な役→歩未が能力暴発で死にダーティーなキャラへ変貌→友利によって救われた後はマザーテレサ的なキャラとなり能力者を救う旅に出る、
 
といった感じです。
 
最初と最後の彼が同一人物か?というぐらい変貌します。
 
ここの変遷部分の描き方が、個人的には今ひとつで、結果、全体的には普通のアニメだったなという感想になってしまったような気がします。
 

まとめ

壮大な設定の物語にしたかったんだと思いますが、キャラの掘り下げが友利ぐらいしかなく、高城とか生徒会のキャラがほったらかしだったり、マフィアとの戦いでご都合的にタイムリープ能力が出てきたり、世界中の能力者を救う旅に突然出かけたりして、非常にやっつけ感のある仕事が残念でした。
 
世界中に能力者が何億人いるかは知りませんが、いくら物語とはいえそんな短時間では無理だろってすぐに突っ込み入れてしまいました。
 
ということで、世間の評価と違って僕的には今ひとつの作品でありました。
 

政治家に口利きをお願いするなんてどこでもやってること

時事ネタ
森友学園問題の話ですが。。
 
籠池氏の証人喚問をTVで観ましたが、100万円の寄付が安倍総理もしくは夫人側からあったかどうかは、証明するのが難しいとは思います。
 
でも、別に森友学園に寄付するしないは別に安部さんの自由なので、特に問題視する必要ないような気もします。
 
選挙区も違いますしね、
 
さすがに、安部さんも今になって実は寄付をしたとは言いづらいでしょうが。。
 
安倍首相側にとっては、寄付なんかしてないと今まで言ってきて、実際はそうじゃなかったとは言えないということが問題なのですが、そんなの証人喚問してまで騒ぐ話しではないのではと思ってます。
 
まあ、籠池氏の証人喚問での話しぶりから察するに、恐らく寄付はあったのでしょうね。
 
そんな印象を受けました。
 
ただ、それを証明しろとなると、誰がどうやって明確にするのかはわかりませんが難しいでしょう。
 
安部さんが本当にしてないのだとすれば、してないことの証明をする=悪魔の証明でもありますから、政治犯罪でもない寄付の問題にこれ以上時間をかけるのは無駄だと感じます。
 
土地購入の問題も、実際のところはそんなに複雑な話しじゃないと思います。
 
問題とされているのは、隣の公園の土地が14億円で、森友学園の土地が8億円のはずだったのに何故1億円程度で売却されたのか?ということです。
 
でも、実際には隣の公園は14億円のうち13億円以上が補助金で負担され、豊中市の負担は実質2000万円で済んでいるのです。
 
そこのところが、ここ最近話題になった「忖度」にあたるのだと思います。
 
つまりは、官僚なり関係者が、「安部首相夫人が名誉校長を務める学校が敷地購入しようとしているが、隣の公園が2000万円の負担で市が購入しているのに、森友学園には8億円というのはさすがにどうか」、という「配慮」が働いただけのことでしょう。
 
それを政治的介入、支援というのかは人によって判断が分かれると思いますが、行政担当者が議員の動きや言動を敏感に察知してあれこれ手を打つというのは、特に珍しいことではありません。
 
僕もよく県職員と仕事を一緒にする機会が多いですが、ベテラン県議からの電話一本で職員達がバタバタしだし、それに対応する場面をしょっちゅう見ました。
 
別に県議は職員に圧力をかけたわけではなく、「あれはどうなってる?」とか「あのことについて聞きたい」という程度のレベルなのです。
 
そして、そうしたちょっとしたことで行政が動くということを知ってる業者や有権者は実に多く、そのため県議などに陳情に行ったりして色々と要望を言うのです。
 
このようなことは、実際、日本全国いたるところで普通にある話しなんですよね。
 
今回もそのレベルの話しと本質は同じのような印象を僕は持ってます。
 
マスコミだって、ほとんどの人はそのことに多分気づいているはず。
 
でも、それじゃあ話しが面白くならないから、証人喚問だ、安倍政権の圧力だ、寄付金だなどと煽るのでしょう。
 
いい加減、こうした茶番やめて欲しいんですよね。
 
それよりも、今後の日本をどう運営していくか?に集中する政治を展開して欲しいものです。

犬や猫の命を守りたいとは思うけど

思考
 
僕も犬や猫が好きです。
 
どちらかというと猫派でして、できれば猫を飼いたいと思うのですが、僕の住むアパートはペット禁止なので当分実現しそうにありません。
 
子供もいないのに猫なんか飼ってという声も聞こえそうで怖いし(^_^;
 
保健所で殺処分になる犬や猫がゼロになればいいとも思ってますし、もっと言うと、ペットショップなんてこの世から無くなればいいとさえ思ってます。
 
捨てられるペット達が可愛そうと言いながら、片方ではペットショップでせっせと高額な動物を購入してくる人たちは、なんて身勝手な存在なんだろうと。
 
命の平等さを訴えつつ、命に値段を付けたり差別することを平気でしてるのですから。
 
そういった事を踏まえると、上の記事のような取り組みは確かに良いことなんだけどなぁと思うのですが、一方ではなんか割り切れない思いが常に出てくるのです。
 
犬や猫など、ペットになる動物だけが可愛そうだから保護すべき対象というのが、いつも引っかかるんですよね。
 
歌にもあるように、「カエルだってオタマジャクシだってアメンボだって、毛虫だってみんなみんな生きてる、友達なのさ」の精神でいくと、昆虫や魚は別にほっといてもいいの?と思うわけです。
 
家畜で人間に食べられるために飼育される牛や豚、鶏は?
 
競争のためだけに飼育される馬は?
 
なぜ犬や猫だけしか、可愛そうだから何とかすべきの対象にならないのだろう?
 
それって、結局は命を差別してるってことじゃないのかなと、常に疑問がつきまとうのであります。
 
「差別じゃなくて区別だ」という論もあるかもしれませんが、総論的な視点で見る限り詭弁にしか思えませんし。。
 
僕も本当は捨てられた犬や猫を救う活動をしてみたいなとも思います。
 
でも、犬や猫のようにペット動物だけを救おうとする事については、やっぱり、それはエゴだよなと思ってしまうのです。
 
こうした考え方について、誰かわかりやすく「それは○○だからいいんだよ」と諭してくれると、悩みから解放されるのですが。

映画って観る?

日常
このブログでは、そこそこ映画を観た感想記事を書いたりしてるので、「映画って観る?」というタイトルそのものがおかしいですよね。
 
でも、僕は割と映画を観ない人間なのです。
 
正確には、これまでそんなに積極的に映画を観てこなかった、という感じですかね。
 
映画のCMとかがテレビで流れたり、雑誌で紹介されたりすると、その時は「あ、観てみたい!いつか観よう」と思うのですが、実際に行動することはありません。
 
学生時代、レンタルビデオショップに行って、「7泊8日オール100円」という文句に釣られて3~4本借りたりしますが、一本も観ることなく、ご丁寧に延滞料金つけて返すこともしばしば。
 
アニメや映画、読書の感想記事でも書いているように、物語は好きなんですよ。
 
でも、その物語にはまり込むまでの過程、時間がどうも自分にとっては億劫に感じるようです。
 
最初の導入部とか世界設定とかは、箇条書きでかまわないから簡潔に説明してくれよ!みたいなところでしょうか。
 
もちろん、実際にそんなことされたら、ラストの面白さも1割になってしまうことは理解してますから、それはご勘弁願いますけど。
 
今、鑑賞してるのは、BS放送等で放映されたものをせっせと録画し、いつか観るだろうと思って録りだめているやつです。
 
休日、一人で過ごしている時にそれを観るのですが、時間的に何の制約もないはずなのに、やっぱり観始めるまでに相応の気持ちが必要となります。
 
「なんかタイトル的につまらなそうだな」とか、「字幕読むのめんどくさいから吹き替え作品のやつにしよう」とか、「今日は重いもの観る気がしないから、程よく軽くてそれでいて深みのあるスカッとするやつ観たいな」とか、もう観る前から無茶苦茶にあれこれこじつけてるんですよ。
 
こういう感じになるのは、映画だけかもしれないですね。
 
ドラマは割と流す感じで見ていても頭に入ってきますし、小説もそこまで導入部で障害を感じませんし、音楽も全く知らないアーティストを聴くことに特に抵抗を覚えません。
 
ただ、アニメに関しては映画に近い感覚があり、やはり最初の1~3話ぐらいまでは、やや苦痛を感じたり早く次に進みたいと焦ったりします。
 
このように映画は好きだと自分では思ってるのに、実際に観ようとすると、色々と自分の中で弊害が生じるというお話でした。
 
同じような感覚の人、僕以外にもいるはずと思ってます。
 
 

家では意外とブログ記事を書かない

日常
会社から帰っての夜時間とか、休日の時とか、普通はそういう時にブログ記事を書き上げたり更新したりするものなんでしょうけど、僕は家ではあまりブログ書かないみたいです。
 
いつ書いてるかって?
 
会社です。
 
内緒ですが、、。
 
でも、一応昼休み中にやってます。
 
Evernoteに書きためて、古い日付の奴からHatenaブログの予約投稿にあげていく感じです。
 
たまに、仕事で一区切りついた時に気分転換で少し書き綴ったりもしますけどね。
 
どうして会社にいる時は書けて、家にいると書く気が起きないのだろうかと考えてみました。
 
このブログについては、嫁には内緒にしているのでそれで家にいる時は書かないのかとも思いました。
 
でも違います。
 
嫁が仕事で自分だけが休みの日であっても、やっぱり家ではそんなに更新しないし、ブログのページを開くことすらしません。
 
たぶんですが、家にいる時は、完全に自分のスイッチがオフっているんだと思うのです。
 
オフられているので、家で一人でいると、ほぼ録画してあるアニメや映画を見て一日が終わります。
 
後はメシ作って食べるぐらいかな。
 
つまり、自分にとってブログを書いたり更新したりする行為は、それなりに負荷やストレスがかかってるということなのかもしれません。
 
「したいこと=Want」ではなく、「しなければいけないこと=must」ということ?
 
う~ん、、それはショックだなぁ。。
 
自分では好きでやってると思ってたのに。
 
しかしながら、家で一人でゴロゴロしている時は、ブログに限らずほとんどのことに対してやる気も行動も無いので、そこまで驚くことでもないのかもしれませんね。
 
基本、のび太君と同じなんですよ。
 
僕は何もせずに、何も考えずにただゴロゴロすることができる人間だってことです。
 
のび太君だって、ネット社会に生きていればたぶんブログぐらいは頑張ってやるはずと勝手に思い、なんとか続けているところです。
 
 

Facebookを一応やってるけど

マイセルフ
自分の顔や姿をFacebookで晒したことがないです。
 
僕のFacebookは、備忘録的な意味合いが強く、いつどこに出張に行ったとか、何を食べて美味しかったとか、フライパンや包丁を買ったとか、そんなことをけっこうマメに写真入りでアップしています。
 
日記というほどのものでもないけど、過去の記録としてあの時どこで何したっけ?が振り返れる便利なツールといった感じでしょうか。
 
でも、そこに自分の姿は出しません。
 
飯食ってる自分の写真なんか怖くてアップできません。
 
みんなと仲良くポーズしている写真なんかアップできませんし、そもそもそういう写真すらないです。
 
一応、公開設定にしてます。
 
自分の備忘録とするなら、Facebookを公開する必要はないのかもしれません。
 
ですが、もしかしたらどこで誰とどう繋がるかわからないし、公開したってどうせ誰も見てないしということで、公開設定にしています。
 
全くの隠遁生活を送っているわけでもないし、世の中は自分発信に夢中な人が確かに多いけど、そんな気概もない人間だってFacebookぐらいやったっていいだろって思ってます。
 
てめぇらリア獣だけのツールじゃねぇんだ、ネットは!(^_^;
 
今でこそこんなんだけど、昔のネットと言えばヒキオタ達の専売特許的な遊び道具だったのだから。
 
なんて愚痴りながら、Facebookもたまにアップしてるのです。
 
ただ、このブログとFacebookは全く連動していません。
 
PV的にも連動した方が良いのかもしれませんが、あまりそうする気がおきません。
 
理由はわかりませんが、リア友(知り合い)には、このブログを知らせたくないんだと思います。
 
ちなみにtwitterもアカウントはあるけどほぼやってないです。
 
未だにtwitterの面白さが理解できない自分です。

石原都前都知事の百条委員会

時事ネタ
ざっくりとニュースのダイジェストで見ただけですが、、。
 
何が問題なのか、誰もがわからなくなっている状況に陥ってるという感想でした。
 
そもそも石原慎太郎氏を百条委員会にかけることについて、そこから何か進展があると思った人は少ないと思うのですが。
 
案の定、石原氏の答弁は想定通りであり、質問する都議達の能力不足が際立っただけでした。
 
だいたいにして、質問者の話す時間が長すぎで、石原氏にもう少し喋らせるような工夫をしないとダメですよね。
 
豊洲の土地購入手続きの問題と、実際に移転する事案は分けて議論を進めるべきなのですが、誰もそのことについては触れません。
 
安全と安心を同じ土俵で語ろうとするメディアも同罪です。
 
放射性物質と同じで、有害物質についてのゼロリスクを追及し出したら、我々人間はどこにもいる場所がなくなるでしょう。
 
結局のところ、百条委員会で石原氏が仮に豊洲移転の手続きは間違っていたと認めても、それでその先はどうなると言うのか?
 
石原氏が言うように、自身は土壌汚染問題に関しては素人なのだから、移転するのに汚染の問題はクリアできるという専門家等の提言があれば、移転そのものを承認するわけで、現実的な話として移転は可能という話である。
 
個人的には、築地の雰囲気が好きなので移転して欲しくないと思っています。
 
でも、ここまできちゃってるんだから、小池知事はそれを実行しなければならないと思うのですよ。
 
百条委員会で石原氏や関係者を追求したところで、その先にあるものが誰にも見えてないから、どんどんと迷宮に迷い込んでしまうのです。
 
都民ファーストを掲げるなら、豊洲移転を実行に移さなければ業者負担も都民の負担も増えるばかりで、そのスローガンに反してしまうと思うのですが、いかがなもんなんでしょうね。