Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

新型コロナウィルス雑感再び

◆呼称
 
COVID-19というのが正式名称になったはずですが、ネットでもメディアでも、その名で呼んでいるところは全くと言っていいほどありません。
 
最初だけでしたね。
 
何故なんでしょう?
 
特に掘り下げるわけではないですが、ここのところずっと疑問に思っていたもので。
 
 
◆緊急事態宣言
ニュースでは最近こればっかりです。
 
いつ出るのか?なぜ出さないのか?と連日大騒ぎ。
 
祭り状態であります。
 
みなさん、何故そんなに緊急事態宣言を待ち望んでいるんでしょうか?
 
僕はずっと疑問に思ってるのですが、緊急事態宣言が出されることで何か具体的に変わったり良くなったりするのでしょうか?
 
せいぜい、国民の危機意識が少し変わるぐらいじゃなかろうかと。
 
もちろん、それだって十分大事なことなんだからという声もあるでしょうが、国民の危機意識を煽るために緊急事態宣言を出されても、なんだかなぁと思ってしまいます。
 
報道でもたまに触れてますが、日本は強制的に国民の行動を制限するのができない国です。
 
ロックダウンにしても、「生活の維持に必要な場合を除きみだりに居宅等から外出しないこと」を要請するだけで、外国のように道路や鉄道の封鎖、自宅待機の強制などは難しいと思われ、企業も業務を行うかどうかはそれぞれの会社によってまちまちみたいになるのじゃなかろうかと。
 
法律でそうなってるからどうしようもないんですよね。
 
なぜそんなことになってるかというと、まあ、これは戦後の国家権力に対する過剰なアレルギーからくるものなんだろうと想像します。
 
国に国民を強制させる権限を与えると、徴兵制だとか動員だとかそういうことも可能になりますから、特に戦後の昭和時代は極度の国家権力アレルギー派が台頭していたこともあり、そのような法整備がなされることはあり得なかったのでしょう。
 
ですがこれは、裏を返せば国防や緊急時における脆弱性を高めることにもなります。
 
今回の新型コロナ騒動において、人の移動が制限できなかったり、飲食店等の閉店を禁じられない状況を作り出しているの、こうした日本のやむにやまれぬ事情があるからでしょう。
 
なので、緊急事態宣言が出されたところで、それほど状況は変わらないし、好転することもないと自分では思ってるのですが、マスコミを含め世間はそうじゃないって考えてるのですかね。
 
 
 
◆全世帯に布マスク2枚配布
 
ネットやワイドショーでは圧倒的に批判の声が多いですね。
 
朝早くからドラッグストアに行列を作って、マスクを買い漁る時間のある老人たちを野放しにしてるのが元凶のような気がしないでもないですが、こればっかりはモラルの問題なのでどうしようもないです。
 
僕が住んでる島根県は、今となっては感染患者が未だ出ていない数少ない県の一つとなりました。
 
現時点で島根、鳥取、岩手の3県で、さすが陸の孤島と言われる地域であります。
 
そんなところでもマスクは手に入りません。
 
朝、ドラッグストアの前に行列している人たちを見て暗澹たる気持ちになってあきらめております。
 
まあ、マスク配布がどこまで効果があるかわかりませんが、暇な老人たちの行列を食い止めるのに一役買ってくれればと思っておりますので、特にこのマスク配布については批判する気持ちになれません。
 
全国民にマスク2枚配布だけが切り取られていますが、実際には介護施設への配布、医療機関への配布という流れで次は国民に配布というのは、割と自然なことだろうと思われます。
 
ただ、その費用対効果がどうかは正直なんとも言えませんが。。
 
それよりも、マスクや食料品の買い占めに店へ出かける人たちが、感染対策を一番妨げているということをもっと知らしめて欲しいと思います。
 
それと、布マスクはウィルスを通すから効果ないって批判がありましたが、それは不織布マスクであっても同じことです。
 
 
◆補償もしくは金を配れという話し
 
先ほども書いたように、日本は国民に対し強制することができないので自粛要請となっていて、にも関わらず補償しろというのは少々無理があるんじゃないのと思います。
 
自粛要請と補償はセットだと言ってるコメンテーターもいますが、じゃあいったいどこまでをどのぐらい補償すればいいんでしょうか?
 
ちょっと考えれば現実的じゃないってのはわかりそうなものですが。
 
一律にお金を配るという話しも、そりゃもらえればありがたいですが、かたや店で買い占めしてどんどん物をストックしている人たちもたくさんいるわけで、そんな人たちに更にお金を配る必要性なんてあるのかなと。
 
補償にしろ現金配布にしろ、死に金になる可能性はかなり高いだろうなと思っています。
 
失業保険や貸付制度、各地方自治体による支援制度など、まずはそういったものをフル活用してこの苦境を乗り切っていくべきではないでしょうか。
 
 
◆アーティストとか
 
音楽アーティストのライブが中止に追い込まれ、でも保険も出ないから国に何とかして欲しいみたいな声が出ておりました。
 
正直、全然ロックじゃねぇじゃんって思ったんですよね(^^;
 
ロックミュージックだとか演劇だとか、いわゆるアーティスト系の分野って、国や権力から一番遠い位置にあるもの、もしくは真逆に位置するもので、そうであるからこそ楽しめることができるんだと考えております。
 
国から援助もらって、それで体制や世の中に一石を投じる創造的活動なんて、冷静にみればちゃんちゃらおかしい。
 
厳しい言い方かもしれませんが、自助自立で作品を発信するからこそ、アーティストとして受け入れられるわけです。
 
そして、僕ら一般市民はアーティストの才能にほれ込んでお金を投じるのです。
 
だったら、窮状しているアーティストを救うのも、国ではなくて作品の恩恵を受ける我々であるべきではないでしょうか。
 
昨今、ロックとは?みたいな考えは時代遅れになっていますが、原点は変わらないんじゃないかなと今でも思っております。

投資資産の乱高下を目のあたりにする

新型コロナウイルの影響が株式市場にも及び、なかなかのジェットコースター状態となっています。
 
自分が現在、毎日積立(500円/日)で投資している投資信託ですが、昨年秋ごろから数字が上り調子で、なんだかすげぇなと思いつつ、でも売り払いたいのを我慢して地道に積立を続けておりました。

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新型コロナウィルス騒動が起こっても、特にアメリカ市場はしばらく好調で、たいして影響なさそうだなと思っていた矢先の先週、みるみると下がっていったのであります。
 
それまでは約20%前後の利益で30万円近くプラスだったのが、今朝の時点で含み損益5300円の0.25%まで落ちました。
 
30万円から5300円か~。
 
別に強がりとかでなく、ただただ、市場経済ってすごくダイナミックなんだなと改めて実感したんですよ。
 
何度か投資関連記事で書いているように、投資活動を行うことで、本当に世界経済の動きを身近に感じられるものなんだなと。
 
今回もアメリカのダウ平均が下がったのを受け、その後で日経平均が下落しました。
 
コロナウィルス騒動は世界的に波及しているのですが、株価下落の流れはアメリカが先で日本が後というパターンは崩れないようです。
 
アメリカがくしゃみをしたら、日本が風邪をひくという経済の図式はどんな時でも当てはまるのを目の当たりにした次第。
 
そこまで下落したのだから、僕自身もう少し落ち込んでもよさそうなんですが、そこまでの落胆していないようです。
 
もちろん、全く落胆してないわけじゃないですが、どこか他人事のような感覚もあったりで、その点はけっこうお気楽ものなんだなと思いました。
 
多分ですが、またどこかで上がるだろうという根拠のない憶測によって、傍観できているのではと分析しております。
 
それに、もともと短期で売り買いする投資活動を目的としていないので、今持っている投資商品は当面持ち続ける予定です。
 
なので、ただの紙切れにならない限り、マイナスになったところで、そういう時もあるよねって感じ。
 
今、自分が持っている投信が20%のプラスを出せるポテンシャルがあることもわかったことだし、まあいいかって考えることにしました。

新型コロナウイルス騒動雑感

ダイヤモンドプリンセス号の対応については、正直、日本が批判を受けるいわれはないような気がしてました。
 
船籍はイギリス、旅行企画はアメリカの会社なんだから、まずはそこが責任をもって対処するべきでは?と思ったのですが。。。
 
実際にはどちらも知らんぷりで、挙句に日本政府の対応を非難する有様。
 
どちらかというと、日本は被害者側なんだけどなぁと、非常に納得のいかない思いで事態を見守っておりました。
 
確かに、日本人乗客が1000人近くいたということが、対応せざるを得ない状況に繋がったこともあるから、致し方ないことなのだろうと思います。
 
対応しなかったら、それはそれで批判に晒されるのは目に見えてます。
 
どちらにしろハードな局面になることは避けられなかっただろうという点で同情します。
 
あと、メディアやTVのコメンテーターが連日のように、なぜ検査対象に条件や制限を付けるのかとか、不安な人に対し全員検査できるようにするべきだとか言ってますが、お前ら正気か?と思います。
 
保健所を相談窓口にしているのも、検査を受けるのに一定の条件や制限を付けているのも、医療現場を崩壊させないための処置です。
 
そんなこと、ちょっと考えればわかる話しだと思うのですが、政府は国民を守らないとメディアが大合唱しているのです。
 
逆ですよね。
 
国民を守るために、そうした対応をしているのです。
 
病院にコロナウィルスの判定検査のためだけに人が押し掛けたら、医療現場がパニックになり、通常の医療ができなくなることは目に見えてます。
 
つまるところ、軽症者は自宅療養で経過を見てもらうといった政府の対策は合理的だと考えられます。
 
それによって、なんとか医療現場の崩壊を寸でのところで防いでいる状況ではないでしょうか。
 
それに検査して結果がわかったところで、特にそれで実際にどうとなるわけでもありません。
 
突き放した言い方をすれば、ただの自己満足とも言えます。
 
薬があるかないかの違いはありますが、基本はインフル等の感染症対策と同じで、熱が出てたり体調が悪ければ人にうつさないようにして体を休めることです。
 
マスクや消毒薬の買い占めだとか、病院に押し掛けて検査しろと騒いだりとか、HIVと一緒だとデマを流したりするようなことは、プラスになることは1ミリもないのでやめてほしいものです。

近況~2020年2月25日@会社

【退職者】
連休明けということもあり、職場で机に向かっているだけの状態。
 
幸い、今日は午後3時迄予定が入っておらず、差し迫った対応案件もない。
(本当はあるけど、目を逸らしてるだけかもしれないが)
 
2月末で退職するA君への記念品とりまとめ案内がメールで入っていた。
 
A君は平成18年の新卒採用で入っており、僕が平成18年1月の中途採用組なので、ほぼ同期入社と言っていい。
 
A君とは一緒に仕事をしたこともないし、ほとんど会話もしたことがないので特に何という感情もないのだが、ただ、辞めることができて羨ましいということだろうか。
 
近年、うちの職場は、沈没船から鼠が逃げ出すように人が辞めていく。
 
正しい判断だと思う。
 
我が社に限ったことでないと思うが、新卒でずっと勤め続ける人はかなり少なくなってきている。
 
転職が当たり前になり、雇用主側も解雇が自由にできるようになれば、社会全体で雇用の流動性が生まれ、結果、いろんな費用が削減されるのではないかと個人的には思っている。
 
 
【事業目標の数字】
職場の同僚(管理職)が、事業目標のことで役員からやり込められ落ち込んでいた。
 
3月末の見込み数字が低く、もっと上積みしろと役員から言われ、今の状況下でこれ以上の積み上げは厳しいと返答したものの聞く耳持たれなかったという、よくある話し。
 
じゃあ会社辞めますと同僚が言ったところ、そんな問題ではないと返されたらしい。
 
俺だったら、「じゃああなたが現場指揮取ってその数字を達成させればいい。自分だったら出来るということなのだから。それとも、自分でもできない事を管理職にやらせようとしてるのか?」と言うよって同僚に話した。
 
同僚は、お前はすぐにそうやって極論に持っていくなぁ、って半分笑っていたが、無理な数字を作り上げたところで、結局できなければ一緒なことだと僕は思っている。
 
もちろん現場が必死に頑張るのは当たり前のことだが、それもある程度の条件や環境のがあってのことである。
 
今は、事業の縮小や廃止、方向転換をしなければどうあがいても収支が出ない状況になっており、それは役員に決断してもらわなければならない。
 
しかし、それはそれで色々と大変なことなので、役員も分かってはいるが放置している状態。
 
役員がやることをやらずに数字だけ積み上げろと言うのは、あまりにムリゲーである。
 
同僚が、自分のクビをかけて話しているのだから、相当な無理難題の状況であることや容易に想像つきそうなものだが、役員は何故気付かないのか不思議だ。
 
やはり無能なのだろうか。
 
僕は早く辞めたいと思っている人間なので、そこで口論でも何でもして辞める理由付けができるぐらいにしか思ってないから、すぐに極論を口に出せるという違いはあるかもしれない。

日常の話し~靴とか包丁砥ぎとか

【仕事用の靴の話し】
一昨日、リーガル(天満屋米子店)で購入した、おろしたてゴアテックスを履いて出勤。
 
新しい靴というのは、少しだけ心が弾む。
 
現在、仕事用で履いている靴は修理に出したのも含め3足あり、そのうち2足がリーガル製。
 
その2足とも本来は修理が必要で、とりあえず1足だけを修理に出すことにしたのだが、そうなると残り2足でローテーションさせなければならない。
 
しかもそのうち1足も要修理状態なので、さらに傷みがひどくなることが予想され、それでもう1足をリーガルで購入することとなった次第。
 
修理に出した靴は、なんだかんだで2万円かかることがわかったが、迷うことなくお願いした。
 
だいたい2週間に一回ぐらいだが、定期的にクリームを塗りケアしていて、できれば10年以上は履き続けたいと思っていたからだろう。
 
修理に出した靴はまだ、半分の5年ぐらいしか経っていない。
 
もちろん、この靴が気に入ってるということもあるが、であれば、また同タイプのものを買い直せばよい。
 
実際はそういう単純な話しでなく、年月をかけて自分の足にフィットさせたという感覚的なものが大きい。
 
本来ならもっと早くリーガルに持っていけば、修理費も安く済んだと思うが、ギリギリにならないと行動しない性格のおかげで、新品買った方が良いぐらいの値段になってしまった。
 
 
あとどれくらい、勤め人の仕事を続けるかはわからないが、できれば、もうこれ以上は新品を購入することなく、一昨日買ったものを含めて4足で回していきたいと思っている。
 
 
【包丁砥ぎの話し】
包丁の砥石も買い替えた。
ホームセンターのコーナンで買った2000円程度のやつで、1000#と3000#の2つがくっついたタイプ。
 
ちなみに1000#とかの数字は、砥石の目の粗さを表していて、数字が大きいほど目が細かくなる。
 
サンドペーパーと似たようなものだ。
 
今まで使っていたものも、10年以上前にこれもコーナンで購入したセラミック砥石だったが、長年の使用により、中央部がかなり凹んでしまい包丁を研ぐ時に支障が出るようになったからだ。
 
ただ、実際はTV番組の中で、フラットでない砥石を使うと包丁の刃が丸くなるみたいなことを言っていたから、これはいかんと思って慌てて買い替えることにしたのだが。
 
ただ、新しい砥石を実際に使ってみて、その砥ぎ心地がこれまでのセラミック砥石とは格段に違うことが体感できた。
 
刃を研いでいるという感じが手に伝わる。
 
もちろん砥石なのだから、それは当たり前の話しなのだが、セラミック砥石の時は砥ぐというよりは刃を削っているという感じだった。
 
そのせいか、包丁を研ぐという行為も、それほど積極的に好きでやっていたという感じではなく、切れ味が悪くなって仕方なくという感じだった。
 
しかし、ちゃんとした砥石を使って包丁を研ぐのは、なんだか気持ちよかった。
 
これからの包丁砥ぎライフが楽しくなりそう。
 
とりあえず、最初は#1000の面で研ぎ、仕上げに#3000で研ぎあげるという方法でやっている。
 
妻に包丁の切れ味どうだった?と聴く機会が増えそうである。

わが社の数字の作り方

仕事の話しです。
 
退職するって話しはどうなったんだ?というツッコミは置いておいてください(^^;
 
3月期決算のため、年末からこの時期にかけて、わが社では来年度の事業計画を作成する作業で大わらわになります。
 
流れとしては、本部の管理部署から事業計画をいついつまでに提出せよというメールが来て、各事業部門の課長がそれぞれに数字を作成し提出、管理部署がそれをまとめ上げ全体の数字を作り本店に送るという感じ。
 
たいていは今年度実績をベースに計画数字を作っていくのですが、当然、事業部署の思いと管理部門の思いがすぐに一致するわけもなく、お約束のごとく何度もケッチンを食らう羽目になります。
 
市場情勢や直近実績を考慮すれば、そんなにバラ色の数字が出せるわけもなく、なんとなく無難な着地点の数字を作って出すのですが、管理部門からはそれでは収支が出ないから、もっと上積みしろと指導を受けます。
 
で、仕方なく上積みした数字を作って送ると、今度はその根拠を示せと言ってくるのです。
 
そんなもん根拠あるか!そっちが上積みしろって言ったんだろが!、と言い返したくなるのを我慢して、これまた適当な根拠っぽいデータを作って送るわけです。
 
毎年、こんな不毛なやり取りをしていると、いったいこの数字にどんな意味があるんだろうって思います。
 
会社は数字を作らせることに一生懸命になるのですが、それを達成するためにどんな手法や実践が必要となるのかについては、全くの現場任せ。
 
こちらとしては既に手詰まり感でいっぱいで、田舎なので人口は減る一方、当然、市場のパイも減る、でも、新たな取り組みや方法があるわけでもない、施設などのハードは更新できない、若い人はどんどん辞めていき新規採用は毎年2人程度の状況、といった感じで、全くもって明るい将来性が見通せないのであります。
 
自分も、不採算事業は廃止し、そこの人員を伸ばすべき事業に集中させるべきだといった提案もするのですが、なかなか実行には移してくれません。
 
役員も同じような考えは持っているのですが、決断できないといった雰囲気です。
 
わが社の場合、役員は3年任期で、役員定年も70歳と決まっています。
 
継続就任する時もありますが、必ずしも本人の意向が通る仕組みになっていないので、とりあえず任期の3年だけ無事に過ごせればよいという思いもあるのでしょう。
 
つまるところ、問題の先送りってやつですね。
 
そんな中で数字だけは立派なものを作れと言われても、こちらとしても無理くり感でいっぱいなわけです。
 
仮にその数字が事業計画に採用されたとしても、毎月の実績会議では、計画に全然達してないじゃないかと叱責されるのも馴染みの光景であります。
 
こちらからしたら、そりゃそうだろ、できるわけもない数字作って出させられてるんだから、、、ってなもんです。
 
会社なんてそんなもんだ、っていう声もあるでしょうけど、こういうのって時代遅れだと思うんですよね。
 
経済が右肩上がりだった昭和時代であれば、そういう事業計画の作り方をしてもOKだったんでしょうけど、新たな成長戦略が必要と言わているご時世に昔ながらの一辺倒のやり方を続けるのは、あまりに思考停止だと思っています。
 
とまあ、こんな感じで今年も無理やりな事業計画作成に、無駄なエネルギーと時間を割いている管理職たちがPC画面の前でのたうち回っている、というお話しでした。

心のバランスとサイクルが何となく視覚化できた

タイトルの通り「視覚化できた」というのは、本当は不正確で、ヒントをもらったというのが正しいです。
 
ニートの歩き方」で有名なpha氏の著作、「持たない幸福論」の中に出てきた内容が読んでいて腑に落ちたという感じなのですが。
 
下の図が、本の中で登場した心のバランスとサイクルを現したものです。
 

                        f:id:minorthing45:20200204103832p:plain

pha氏自身も、見田宗介氏という著者が書いた本に出てきた図をアレンジしたものとのこと。
 
図の(1)に自分がいる時は、内外両方とも充実している状態です。
 
仕事も自分自身も充実という感じですね。
 
常にその状態にいられれば問題は無いのですが、そうならないのが世の常、人の常でございます。
 
定期的に(2)の状態に移行してしまう状況に陥ります。
 
(2)は、社会は肯定するけど、自分については肯定できない状態。
 
具体的には「目の前にある仕事が上手くこなせなくて自信喪失している」とか「やることはたくさんあるけど、全然興味が湧かなくて動けない」といった感じ。
 
するべきことがあるけど、それを上手くこなせなず、でも、するべきことを放り出すこともできないのが(2)にいる時となります。
 
図で示している通り、人の心のサイクルは(1)から(2)へと移行するので、逆の(2)から(1)へ戻るのは難しいです。
 
もちろん、それができる人もいるんでしょうが、そういう人はメンタルのコントロール力がかなり強い人で、そもそもこんなことを考えたりはしない人だと思われます。
 
メンタルが下がっている、なんかやる気が起きないというのを感じたら、(2)の状態にいることを自覚することが大事だということです。
 
自分が苦しいのは、社会からのプレッシャーによるものなので、行き詰まると自分自身と社会の両方を肯定できなくなるわけです。
 
この時に大事なのが(3)と(4)のフェーズを経て(1)に戻ることです。
 
(3)は社会も自分も否定の状態ですから、仕事なんてもう知ったことか、とか、何もかも放り出してしまえって感じで、一見最悪の状況ではあります。
 
この時、うっ憤ばらしにヤケ酒飲んだり、家に引きこもったり、極端になると失踪したり仕事辞めてしまったりという行動に繋がるのです。
 
このように最悪な感じではありますが、大事なのはそれ自体を否定せず、こういう時も必要なんだと思うことです。
 
もちろん、仕事辞めたりとか離婚したりなんていう後戻りできない行動を取る時は、相応の覚悟は必要ですが、本当に底の場合はそういうことも必要になってくるかもしれません。
 
要は自分が(3)のフェーズにいること、そしてそれは自分にとって必要な時期であることを自覚することです。
 
pha氏は、(3)のフェーズは「一時的な死」「小さな死」のようなものだと言っています。
 
重要なのは、(3)の時に自暴自棄になったとしても、本当に物理的に死んでしまわないこと。
 
疑似的に「小さな死」をすることで、自分自身のガス抜きをする、死なない程度になんとか(3)のフェーズをやり過ごし(4)に移行することが大事なのです。
 
疑似的な「小さな死」がヤケ酒なのか、ちょっとした旅に出ることなのか、ひたすら家でゲームやアニメをしまくることなのか、それは人それぞれです。
 
ただ、先ほども書いたように、そのために嘘をついて会社を休んだりしても、罪悪感を抱く必要は無いということ。
 
自分が本当に死なないためにやっていることだと、自覚することです。
 
(4)に行くと、社会とは関わらないけど個人的な楽しみを見出すことで、少し楽になってきたりします。
 
そして、ずっと個人的なことばっかりやっていると物足りなさを感じてきて、次はちょっと社会や他人と何らかの繋がりが欲しくなり、(1)のフェーズに移行できるようになるという感じです。
 
まとめると、
(1)仕事も自分もいい感じ(社会肯定・自分肯定)
(2)やらなきゃいけない仕事はあるけど、つらい(社会肯定・自分否定)
(3)自分はもうだめだ、仕事も何もかもどうでもいい(社会否定・自分否定)
(4)ひたすら自分のことしているだけで楽しい(社会否定・自分肯定)
そして(1)に戻る。
 
実際には、(3)の時に状況が許せば休養を取ることが大事ですが、なかなかそうはいかない人が大半だと思います。
 
がっつり休めないなら、適度に仕事で手抜きしたり、定時で帰ったり、外回り行くと言って家で休んだりとか、何でも良いので体を休めることを最優先にした方が良いです。
 
pha氏いわく、(2)の苦しみが長いと(3)のどん底時期も長くなるので、(2)のフェーズに少しでも入ったと思ったら、すぐに逃げ出して(3)をすぐに終わらせ、出来るだけ早く(4)に行くのが、トータル的に起伏が少ないバランス状態になるとのこと。
 
簡単に言ってしまうと、こまめなガス抜きということです。
 
今まで、自分はこのサイクルや、(1)~(4)のフェーズというのを自覚していませんでした。
 
しかし、実際の毎日の生活においては、やらなきゃいけないのに気持ちが出てこないとか、何故か今日は誰とも話もしたくなく家に籠っていたいとかという状況に抗おうとしていたのです。
 
職場に行っても仕事をする気が起きず、PCの前で怠けている自分に罪悪感を感じてましたが、そんなことは思わなくても良いんだなって(^^;
 
自分にとって、それぞれに必要で、実は意味のある行動だったんだと理解できました。
 
自分が今、どのフェーズにいるか、次はどのフェーズに行くのかをわかるようになった事で、生き方が少し楽になったきがした次第です。