Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

コミュ障かもしれないと思いたくなった

俺ってコミュ障害だったのだろうか?
 
自分は今まで他人と上手く渡り合うことができる人間だと思って生きてきた。
 
全く知らない相手に対しても臆せずに必要な事を言うことができるし、就職面接などでも特に緊張したり悩んだりすることもなかった。
 
けど、40歳を過ぎてふと思った。
 
実は、自分は周囲とコミュニケーションがきちんと取れていないのではないか。
 
相手が意図している事を理解するのはもちろん、自分の本意を正確に相手に伝えることすら出来てなかったのではないかと気付いた。
 
友人が少ないのもそれが理由かもしれない。
 
知り合いがいたとしても、できるだけ深く懐に入り込まないようにしてしまうし、相手が入ってこようとしても身構えてブロックしようとしてしまう。
 
これまでなんとかやってこれたのは、表面的に何とか立ち回れていただけだったのかもしれない。
 
ネットで「コミュ障」という言葉はよく目にしていたが、自分には関係ないものだと思っていた。
 
最近になって、自分が自分で思っているほどの人間ではないと気づき始め、どういう状態なんだろうと悩んでいる時にコミュ障を詳しく調べてみたら、意外と自分に当てはまる部分が多く腑に落ちた感があったのだ。
 
コミュ障の症例を見てみると、、
・他者の心を読むことが難しい→〇
・人が口に出して言葉で言わなければ、意図していることが何かを理解できない→〇
・ほとんど人と目を合わせることができない→〇
・目が合うとドギマギしてしまう→〇
・じっと人の目を見つめて続けてしまう→✕
・会話しようとしても口からうまく言葉が発声できない→△(たまにある)
・相手の話している言葉を、意味のある音声として理解できない→△(たまにある)
・話の文脈を読み取り理解することが困難→△(たまにある)
・ある話題を話しているのに、話題がそれてしまい、全く別のことについて話し始めてしまうなど、話題を維持していることが困難→〇
・自分の関心のある分野について、一人で長々と話し続けることがある→〇
 
上記の症状について、昔からそうだったこと、最近気付いた事それぞれあるにせよ、覚えがあるものがほとんどだった。
 
これって、自分がそう思いたがっているというのもあるかもしれない。
 
人間、悩んでいる時、病んでいる時に、その理由をどうしても求めたがる。
 
そして、自分が実は〇〇だったんだとと定義付け出来ると、心が少し軽くなるものなのだ。
 
戦う敵が分かるとでも言おうか、解決すべき原因が明らかになることでベクトルが出せるようになるのだ。
 
今の自分もそういう状況なのかもしれない。
 
コミュ障害であるなら、それを克服する方法があるはずと思いググってみた。
 
・勇気を持って話しかける→それが出来ないから苦労している。
・会話することを恐がらない→上に同じ
・少数でもいいから、徐々に他の人と仲良くなる→上に同じ
・自分に自信を持つ→上に同じ
・とにかく自分を奮い立たせる→上に同じ
・コミュ障は「気の持ちよう」だと知る→頭では理解できても…
・話上手より聞き上手→これは頑張ればできそう。
・相手に対して興味をもつ→興味持てない事に関心を持つのはけっこうムズイ。
・常に笑顔をこころがける→下手するとヘラヘラしてるヤツと思われそうなんだけど。
・場数を踏む→まったくアドバイスになっていない。
・クールキャラをやめる→これは確かにそう思うけど。
・照れない→照れてるのかなぁ?
・嫉妬を憧れに変える
→話したこともないのに嫌いになる理由のほとんどが「嫉妬」らしいが、どうやって憧れに変えればいいんだろう?
・損得勘定をなくす
→自分にとって「特」な人には上手く話しかけられないけど、自分にとってどうでもいい人には冷たくあしらう事は確かにある。初対面の相手に対してどうしても格付けをして、格下だと思ったらぞんざいな態度に出てしまうとか、良くないとは思うけど実際にある。これは意識して止めないといけないよなぁ。
・戦いに負けて勝負に勝つ→なかなか高度な戦法
・嫌いな人とは付き合わない→できればそうしたいけど、仕事上どうしても避けられない場面も多い。
 
総じて「それが出来てりゃ苦労しない」的なアドバイスが多かった気がする。
 
実行できそうなのは、「聞き上手になること」「損得勘定をなくす」というところだろうか。
 
少しでも意識してコミュ障を克服していこうかなと思う。