杭打ち工事のデータ改ざん問題で思うこと
杭打ち工事データ改ざん問題について、ちょっとひとこと。
朝のニュースで、都内学校でも46本中1本のデータが改ざんされているらしいということで、その学校に通う子どもの親にインタビューしている様子が放送されていた。
その中で、学校の対応については、建物が大丈夫か不安だ、などと喋っており、キャスターやコメンテーターらも学校側がしっかりした対応をしなければみたいなことを言っていた。
まあ、いっちゃなんだけど、学校側が対応してできることなんてほとんどないわけで、学校側だっていきなり降って湧いた身に覚えの無いトラブルで良い迷惑こうむっているだけなんだから。
もっと言えば、46本中1本のデータが改ざんされたって、建物が倒壊したりする問題があるわけじゃない。
せいぜい若干傾いてる?ぐらいのことだ。
実際には傾くことすらないと思うけど。
データ改ざん関しては、以下の記事が割と実情を説明してくれている。
そこに書いてある通り理想と現実の問題であって、悪意による管理ではないのが大半である。
建築工事に限らず、今の世の中は様々な法規制や手続きによって物事が進められる。
自分がしている仕事でもそうだ。
行政側はその職員が担当するものが問題無く手続き進行すれば良いと思っており、そのために何が重要になるかというと「書類」である。
行政担当者が満足する書類が滞りなく業者から提出されれば満足するのだが、その「滞りなく」が現実にはかなり難しいという場面が多々ある。
恐らくは、この杭打ち工事に関してもそうなのだろうと想像できる。
逆にその手の業務経験が無い人、世の中の事象の建前だけしか見ようとしない人には理解できず大騒ぎすることになる。
ちょっと例として妥当かどうかはわからないが、自分の経験でこんなことがあった。
ある製造工場を改修するのに、国の補助金を活用することとなった。
その改修の目的は、製造ラインの設備更新及び効率化を図り収益性をより高めるものだったのだが、行政の窓口担当者と協議して指摘されたのが、従業員の採用数増に繋がらないからダメということだった。
なるほど、その補助事業の主旨としてはそうなのかもしれないが、効率化を図る事と雇用創出は実は矛盾をはらんでいるという事実には目をつむってしまうのが行政なのである。
当たり前だけど、要綱等に記載してあることが全てであり、そこから外れるものは基本的に認めない。
そうしないと効率的に事務手続きができないというのも理解できるが、その四角四面の手続きしか認めない事による弊害も確かにあるのである。
行政の担当者とか、自分の組織内とかで打合せしていると、それはコンプラに抵触しそうだからダメ、職務権限表でこうなってるからそれは決められない、それはウチの仕事じゃない、会計処理が複雑になるからダメといったがんじがらめの状況によく出くわす。
それでも問題解決をして前に進めるのがプロなんだと思うが、その反面、もの凄く息苦しいというか、楽しくないというか、いったい全体何の目的の為にやってるんだろうとか考えてしまい、虚しくなってくる。
杭打ち工事のデータを改ざんに関わった人達も、別に最初から誤魔化してやろうと思ってそれに及んだとは思えない。
だって、改ざんする方が手間かかるし、めんどくさいから。
出来たデータをそのまま添付して書類作成した方が、全然楽だし業務もスムーズ。
でも、改ざんする行為に手を出したというのは、設計、調査から建物竣工までの様々な手続き上の流れの中で、どうしても抗えない何かが仕組みとして存在したんではないかと想像する。
もちろん、改ざんそのものがダメなのは当たり前なんだけど、色んな矛盾がある中で物事は動いていて、そのしわ寄せを食う人々、いわゆる人身御供的な存在も確かにいるってこと。