有意義な会議は存在するのか
正直、会議ってそんなに好きじゃですし、得意でもないですし、出なくてよいならそれにこしたことはありません。
というか、サラリーマンの人達の大半はそう思ってるんじゃないでしょうか。
下手すりゃ、会議の主役である役員でもそう考えている人がいるかも。
じゃあ、それほど会議を疎ましく思っている人が多いにも関わらず、なぜ会議が恒久的に当然のごとく開催され続けるのか。
たぶん、それが組織の手続きとして存在するからなんでしょうね。
ちなみに、僕がここで想定している会議は、職位や立場は違うが自身がいる現場を代表する者同士が集まる会議の事を想定していて、もちろんそこには決定権を持つ役員もいます。
経験からの感覚ですが、会議で協議して何かが決まるというのはほぼ皆無で、事前の取り決められたことが会議という場で形式的に意志決定される、もしくは報告されるというだけの事のような気がします。
一種の儀式ですよね。
古来、人間が社会を形成し始めた頃は、政治や取り決めごとは神託によって決定され、その儀式が常にあったわけですが、現代の会議もこれに近いものがあるんじゃないかなぁと、壮大な観点の上で想像しています(^^ゞ
まあ、それはそれとして、だいたいの会議においては資料を読むだけだったり、一方的に数字や報告が出されたりするパターンです。
自分が出席しなくても、メールとかで送ってくれれば1分で済むのにと思うこともしばしば。
では、有意義な会議ってどんなのだろうと考えると、あまり思いつかない。
どちらかというと、会議の前段の打合せや意見交換の方が楽しかったりするから、儀式としての会議に「有意義」性を求めるのがおかしいのかもしれません。
よく、会議の目的を明確にせよとか、時間は50分までとか、誰もが発言する進行だとか言われますよね。
でも、立場や職位の違う人間が一堂に会する場で限られた時間で誰もが発言してたら、それはそれで大変な事になるだろうし、発言したとしても「そういった意見もあるということでよろしくお願いします」と進行役にまとめられて終わりっていうのが常だったりしますよね。
だから、会議が有意義であるかどうかというのは、組織の手続きがスムーズであるかどうかとは相容れない関係性にあるのかもしれません。
会議はあくまで手続きであって、頑張るなら会議にあがる迄の段階の協議や打合せ、コミュニケーションの質を高める方がお互いの満足度も上がるんじゃないかなと考えてみたところです。