もう欲望も無くなってきた感じ
「丁寧な暮らしは退屈と背中合わせ」という記事を最近書いたんですが、その流れで感じていることをここで記しておきます。
朝起きて、弁当準備して会社に出かけて、仕事終わって帰宅して晩御飯食べて風呂入って、空いた時間に好きなことして寝て、また次の日を迎えるという生活を何十年と続けています。
もちろん、その中にも色々とあるわけですが、淡々と時を積み重ねるというか、生活を積み重ねてる感じも悪くはないと思っています。
それと同時に、何かをしたいとか、成し遂げたいとか、更に言うなら何者かになりたいとかという気持ちも薄まってきました。
ネットやSNSを見ていると、着飾った自分を一生懸命にアップしたり、楽しそうにイベントに参加していたり、食べたり飲んだりワイワイやってるわけです。
自分自身の承認欲求が全く無くなったというわけではないんですが、かなり萎んでいる感じはします。
いつからこんな風になったのかなぁと。
一つには、先が見えてきているということでしょうかね。
40代ぐらいまでは、まだ何かあるはずだ、何かが自分に起こるはずといった儚いながらも希望というか欲望っぽいものがあったんですよ。
でも今年54歳になって、ふと思うのはこの先何があるんだろう、というより、この先もこのままなんだろうなという感覚でした。
今の仕事を続けていても、ポジション的にも仕事内容的にも、それほどワクワクすることは起こらないだろうし、プライベートの面でも、老いていく両親の面倒を見ることがはっきりしている以外、何か特別なことが起こるとも思えません。
そういうこともあるのですが、何か特別に凄い贅沢な暮らしをしたいとか、高級車に買い替えたいだとかいった欲も湧かなくなりました。
もちろん、今の収入では物理的に無理ゲーなんですけど、仮に宝くじで5億円当たったとしても、それを散財して贅沢三昧したいという気持ちにはなれないのです。
5億円あったら何をするだろうか?
旅行ぐらいは行くと思うけど、欲しい物はもうそんなに無いし。
それを元手に起業でもするかなんて、めんどくさいから多分やらない。
収入が無くなる不安が解消されるのが嬉しいですが、それだけです。
このように欲望からほど遠くなったのが現在の自分の状態。
欲望が無くなることは、一見良いことのようにも思えますが、一方で向上心や行動力も無くなってくるので、どっちが良い悪いというものでもないようです。
ここでもやっぱりバランスが大事で、ほどほどの欲望を心のどこかで持ちながら生活することも大事なんだろうなと実感しているところです。
さて、今は萎えてしまった自分の欲望は、またどこかで湧いてくるものなのか、注意深く観察していこうと思います。