Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

誰かを崇拝し過ぎる人が少し苦手

そもそも、友達自体が少ないくろばこでございますので、タイトルのように上から目線で言うのもおこがましいですが。
 
ずっと前から、自分の中にあるアレルギーみたいなものがあって、それが他者を崇拝する人たちへの拒絶反応というもの。
 
例えば、音楽で言うと、矢沢永吉が好きな人とか、長渕剛が好きな人とか。
 
車の後ろに「E.YAZAWA」というステッカーを貼ってあるのを運転中に見かけて、「あぁ、この人とは友達になれないな」って勝手に思ってるだけなんですが(^^;
 
矢沢永吉ファンや長渕剛ファンを敵に回すつもりは毛頭もございません。
 
あくまで物の例えとして挙げさせてもらいました。
 
例えば僕も長渕剛は好きで、それこそデビュー当時のナヨナヨとしていた時期から聴いております。
(マッチョになってからはちょっと敬遠しておりますが)
 
ですが、長渕剛を熱く語る人とはちょっとお近づきになりたくないというのが本音。
 
もっと言うと、長渕剛の世界が好きで彼だけを追いかけている人が苦手なのです。
 
これは、矢沢永吉でも同じで、「俺には矢沢だけあればいい」っていう人が苦手であります。
 
誰かを崇拝するのは個人の自由だから別にかまいませんが、僕はそういう人から距離を置きたいタイプなのであります。
 
誰かを崇拝し、その人のことだけを考え続けるというのは、それはそれで良いような気もしますが、ある意味で楽な生き方なんですよね。
 
つまるところ、それは思考放棄とも言えます。
 
アイドルでもミュージシャンでもなんでもですが、その人のことだけを追いかけるという事は、人生で迷うことから無意識に避けているのです。
 
僕は、これまでもそういう崇拝の深みに入りこもうとしたことが何度かありましたが、直感的にはまってはダメだという気持ちになり、無意識に避けてきたように思います。
 
今となっては、それが自分にとって良かったのかどうか、まだ判断つきません。
 
他人に迷惑をかけない限り、当人がそれで幸せを感じるのであれば、何かを崇拝して生きる人生はベターな気もします。
 
でも、それにしか目に入らない、考えられないという生き方は、やっぱり自分にはしんどい。
 
あと、誰かを崇拝しているというのとはちょっと違いますが、テレビのバラエティー番組で、「〇〇にはまっている人」をよく見かけます。
 
ニトリに全てを捧げている人」とか「無印良品だけで生活している人」なんかを見ると、なんとも言えない虚無感に襲われます。
 
自分にはない感覚で、そういう人たちを畏怖してしまいます。
 
ニトリや無印の製品しか買わないなんて、ちょっと悲しいし寂しいです。
 
世の中にはもっと、色んな物や人が溢れていて、自分が生きている世界は想像を絶するほど広いはずだって思いたいのかもしれないですし、そうであって欲しい。
 
そういう中二病っぽいところが、自分にはずっとあるのかもと分析しております。
 
ただ、世間的に成功したり何かを成し遂げたりする人ってのは、恐らく、一つの事に深く入り込める人だったりします。
 
だから僕は何事も成し得ないまま、人生を終わるんだろうと自覚しています。