記事タイトルよく聞くフレーズなんですが、僕は割と結構意識してます。
例えば、多目的トイレ不倫で叩かれる芸人のニュースを目にして思うのは、自分は彼のことそんなに責められないなって。
誤解しないで欲しいのは、自分も実際にそういうことをしているからではなく、心の奥底にある、そうした欲求が否定できないということ。
もちろん、実行するのとしないのでは大きな差がありますが、自分はたまたま抑制できているだけで、もしかしたらどこかでそういう下衆なことをやらかすかもしれないと思っている。
それに過去の自分の行いを振り返ってみると、常に異性に対し誠実に接してきたかというと、決してそうではなない。
過去の自分は、あの芸人を非難できるような生き方はしてないよなって常々思うのです。
また、東池袋自動車暴走事故で母子を死なせた上級国民と揶揄された高齢者についても同じように思うのです。
確かに悲惨な事故だし、未だに自分の責任回避をする姿勢には憤りを覚えます。
罵詈雑言を浴びせたくなるのもわかります。
でもね、その老人は88歳になってまさかそんな事が我が身に降りかかろうと想像していたでしょうか。
この件に限らずですが、70、80歳過ぎた人が人殺しで捕まったりとかいうニュース見ると、僕はいつも思うのです。
もう余命わずかのところで、晩節を自ら汚すことになるとは本人からしたら思ってもみなかったことではないでしょうか。
また、逆のパターンと言いましょうか、80歳過ぎた老人が火事で焼け死んだり、事故に巻き込まれて亡くなったりする話しを聞くと、それまで平和に生きてきたのに最後は大往生できないという、ちょっとした儚さを感じてしまいます。
でも、これって自分がそうならないとは限らないんですが、SNSのコメントとか読んでると、自分は決してそうならないっていう人たちが大勢いらっしゃるんですよね。
僕にはそれが不思議でならない。
加害者になるのか、被害者になるのか、それはわからないけど、人はいつどうなるかわからない。
もしかしたら自分の子供が加害者になる日がくるかもしれない。
まあ、僕には子供がいませんのでそのリスクは無いですが、ずっとそんなことを考えて生きております。