Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

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40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

日本人ジャーナリスト安田氏解放を英雄視するよりも

またまた出てきましたねぇ、自己責任論。
 
この手の問題が発生すると、最近はお約束のようにこういった議論が巻き起こるのですが、個人的には自己責任論という言葉は好きじゃないです。
 
すごく正論なんですよね。
 
でも、その正論を誰もが振りかざすことで、もの凄く生きにくい社会が形成されてしまうというか、逃げ場が無くなってしまうというか。。
 
正論という武器を安易に振り回すと、人は追い詰められてしまい、そこからまた負の連鎖が始まるような気がしてならないのですね。
 
なので、あんまり自己責任論的な話しは好きじゃない。
 
ただ今回、拘束されて解放された、しかも何らかの身代金支払いもあった模様という一連の流れは、全く褒められたものでなく、どちらかというと叱責されるべき行動です。
 
にも関わらず、解放され無事帰ってきたから英雄として扱うべき、なんてトンデモ論がメディア側から出てくるから炎上してしまう。
 
邦人が命を落とさずに帰還できたことは、喜んであげて良いと思うのですよ。
 
でも、それで英雄はおかしな話し。
 
自分の子供が家出したけど、3日後に無事に帰ってきたら親は喜ぶと同時に、心配かけるなと叱りますよね。
 
次元は違うけど、構図としてはそれと一緒なんじゃないでしょうか。
 
そこをきちんと叱れないメディアは、どこか頭がおかしい。
 
まあ、それはそれとして僕は、そこまで安田氏を責め立てるような気持ちにはならないんですけどね。
 
彼の思想的心情とか、僕とは相容れないところもありますが、色んな人がいる事を否定する必要はないし、ああいう人もいても別にかまわないです。
 
安田氏のようなことを僕ができるか、と言えば出来ないし、やろうという気概もない。
 
彼が本当に純粋なジャーナリズム精神に則って行動していたのかとか、そもそもジャーナリズムとはなんぞやみたいな事は、ここでは触れませんが。
 
自分が出来ないことをやっている人に対しては、僕は敬意を払うべきとまでは言わないまでも、あれこれ断罪すべきようなものでもないかな、というスタンスです。
 
同じように、紛争地域や危険地帯で難民のために支援活動をしている人がいて、その人達のような行動が僕にできるかと問われれば、やっぱり出来ないし、冷たいようですがそういう気持ちもない。
 
世の中、こんな僕みたいな人間ばかりだったら非常に困った世界になってしまうわけで、自分に出来ないこと、理解できないことをしてくれる人がいてくれて回っているみたいな感じ。
 
そう考えるとですね、本来、英雄視されるべきは、先ほど書いたように、恒常的に危険地帯などで支援活動をしている人達であり、その中にジャーナリストも含まれているに過ぎない、ということです。
 
だから、何の対策も取らずに危険地域へ出かけて、拘束され解放された安田氏を特別扱いする必要がどこにあるのか?となります。
 
彼がジャーナリストを名乗るのであれば、ジャーナリストとしての結果を出したかで彼の行動を評価すべきで、少なくとも現時点ではプラス評価されるところは見当たらないでしょう。
 
なので、英雄として扱えなんてのは、どいう頭の構造してたらそんな発想が出てくるのか?ってぐらい、おかしな意見。
 
ジャーナリストということで目立ってる部分もあろうかと思いますが、危険地帯で困っている人を助ける活動をしている人は恐らくたくさんいるんですよ。
 
そういう人達はリスク回避しながら、拘束されずに日々コツコツとやっていて、そういう人達を英雄として扱うべきでしょうと、僕は思います。
 
拘束されるという状況は、そういった地域では可能性は高いのでしょうが、あくまでそれは非常事態であり、そうならないよう注意しながら活動している人がたくさんいるはず、というところにメディアももう少し目を向けてあげたら良いのにと思います。
 
そうすれば、ああ、なんか身代金払って解放された日本人もそういえばいたな、ぐらいの感覚になるんじゃないですかね。