Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

良い記事が書ける率10割の人はいない

 
何を持って良い記事とするのかは、また別の問題なのでここではスルーさせていただきます。
 
 
結果としての「量より質」
上の記事を読んでいての、捕捉的な内容なんですが、そこにあるように「量より質」は当たり前として、どうするかって話しなんだと思います。
 
文章も含めた表現方法は、やはり下地のベースがあってこそだと、コツコツやることが苦手な僕でさえそう実感するのです。
 
あのピカソも、練習で書いたデッサンは何万点にも及ぶという話しがあります。
 
それがあってこその、作品のクオリティであり評価なのです。
 
 
毎日「質の高い記事」が書けるのか
ここも、「質の高い記事」とはという定義があるとわかりやすいですが、とりあえずは一般的な意味においての質の高さということで。
 
自分で書いていて納得できたもの、うん、頭の中の思考がテキストとしてアウトプットできた、という時ってどのくらいの頻度なんでしょうか?
 
僕も、ブログを毎日更新はしますが(記事は毎日書くわけじゃないです)、大半は思ったように書けてないとか、書きたかったことってこんなのだったっけとか、感情的な吐き出し記事だったりとか色々でして、自分で納得がいく記事や読者にとって有益な記事が書けたと思えるのは数えるほどしかありません。
 
もし、質の高い記事しか更新しないとなった場合、僕の場合3ヶ月に1回ぐらいしか掲載できないように思います。
 
自分で質の高い記事を提供したと思っても
また、それこそ会心の一撃!みたいな素晴らしい記事が書けたと思って更新しても、読んでる方はそれほど食いつかなかったり、大して興味を持たれなかったりする経験は、誰もがあることじゃないでしょうか?
 
何が質の高い記事かは、大半のところ自己満足に過ぎなかったりする場合も多く、載せてみないとわからなかったりします。
 
それほど上手く書けたわけじゃない記事に注目が集まったりとか、ブクマされたりとか、自分が思ってるほどマッチングは上手くいきません。
 
結局は打席を増やすのが重要なベースとなる
野球のバッターと一緒で、できるだけ多く打席に入る事が首位打者やホームラン王を獲得する最初の前提条件なのだと思います。
 
シーズンのうち10打席入って10回ホームラン打てれば、確かにその年は有名になってもてはやされるでしょう。
 
でも、それでは規定打席に達していないので、タイトルホルダーにノミネートすらされません。
 
さらには、次のシーズンも同じことができるという保障はありません。
 
イチローのように日々の鍛錬を重ね、できるだけ多く打席に立つ事で結果を出す方が結局は誰からも賞賛されるのです。
 
ブログを書くという行為も多分それと似ていて、量は確かに目的ではありませんが質を求めるための手段であると思うのです。
 
それも、誰でも取り組み可能な方法であり、そういった意味に於いて量より質は当然のことだけど、それは量をこなした上で言えるようになるって事じゃないかなぁと思います。
 

まとめ

ブログは量より質はあくまで結果論であり、そこへ辿り着くにはそれなりの量をこなすのが大切じゃないでしょうか。
 
しかも、毎日更新するという方法は特別なスキルがいる手法ではありません。
 
誰でもできる、地道なやり方ですが、だからこそ重要なんじゃないかなと思ってます。
 
とはいっても、僕自身もブログ始めて10年近く経ってから実行しはじめた事で、そこまで偉そうに言えないんですが(^^ゞ