Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

長谷川豊氏も報道側のエゴという井戸の中から出られない

もと、フジTVのアナウンサーである長谷川豊氏のブログを、例の事件以降、けっこうな頻度で読んでいます。
 
 
だいたいの記事については、割と同意する内容が多く、それなりの視点と感覚を持っている人だなという感じ。
 
ただ、たまに、どうしても賛同しかねる、というか、やっぱり彼もあちら側の人間なんだなぁと思う記事もあったりします。
 
ここ最近は、それが立て続けだったので余計に残念。
 
どういう記事だったかというと、以下の2つ。
 
 
一つは、リオオリンピックで金メダルを獲った体操の内村選手に対し、外国人記者が「内村選手は採点者に好かれているのではないか」という質問をした事で炎上騒ぎとなった事について、「それは逆だ。普通の質問であり、これによって内村選手が反論する機会が与えられ、多の選手が彼をリスペクトしていることがわかった」という内容の記事。
 
もう一つは、二世タレントの高畑裕太が起こした事件で会見した母親に対し、フジTVのリポーターが「息子の性癖について気付くことがあったか?」という質問をし炎上、それに対し「自分の経験上、リポーターは国民が知りたいと思うことを代表して聴いているのであり、知る権利を守っているだけだ。」みたいな内容の記事。
 
詳細は、各リンク先を読んでいただければわかります。
 
この2つの記事については全く同感できないし、あ~、長谷川氏もやっぱりあちら側の人間だったということか、もしくは、社員時代に植え付けられた固定概念から抜け出せてないんだなぁと残念に思いました。
 
内村選手へ対する質問で言えば、あの場であの質問はタダの嫌味でしかなく、失礼極まりないものでした。
 
相手を怒らせて本音を引き出すという手法かもしれませんが、これって、けっこう大変に神経を使う方法でもあり、お互いに一定の信頼感や距離感が掴めてないと、関係性を壊しかねないやり方です。
 
そんな状況でもないはずなのに、仮にそういう意図で質問したところで、内村選手から何を引き出せるのでしょう。
 
それに普通に見ていて、あの質問はただの揶揄でしかなく、そんな深い意図が感じられた視聴者なんて誰もいなかったでしょうに。
 
それを、報道記者として立派な仕事をしたと褒める長谷川氏が、非常に幼稚に思えました。
 
相手に対し、どんな質問をしてもいい、失礼な事を言ってもいいというのであれば、同じように誰に対してもやるべきです。
 
政治家、芸能事務所の社長、色々と他にもいるにも関わらず、そうではない状況を長谷川氏はどのように考えているのかなと。
 
また、逆の立場もそれは然りで、報道側に対し我々が嫌味たっぷりの失礼な返答をしても、それは許されることになります。
 
要は、長谷川氏が言っていることは単なるダブルスタンダードなんですよね。
 
当の本人達がそれに気付いておらず、知る権利というのを勘違いして振りかざしているのです。
 
僕は、女優の高畑淳子に同情はしていませんし、息子の高畑裕太がTVに登場しはじめた頃、完全なバカ親子だなと観てて感じておりました。
 
バカ親が子供に対し「自分はいつまでもあんたの母親だ」と会見しても、それで被害者が救われるわけない事に何故気付かない?とあきれたぐらいです。
 
でも、あのリポーターの性癖質問も、オリンピックの質問と同じであり、彼女に同情はできないけど、だからといって何でもいいというわけではありません。
 
長谷川氏の記事内容でいけば、僕らが高畑裕太の性癖を知りたがっているから聴いてやったんだという論になります。
 
なるほど、仮にそうだとしましょう。
 
じゃあ、この事件以外でも色々と知りたいことはあるんだけど、本当に当事者に僕らの代表として質問してくれるんだな?
 
実際はそうじゃないですよね。
 
質問しやすい人だけに聞いて、これで知る権利を守ったぞと言っているだけ。
 
賢い長谷川氏としては、もっと本当のところを語って欲しい。
 
「番組として、面白くなればいいだけのことです」と。
 
彼は他の記事ではそのような事書いているのにね、これに関してはもっともらしそうな理屈を言うのって、普通に読んでいて不自然。
 
知る権利というのが凄く安っぽくなったのは、やはり長谷川氏も含めメディアの責任であり、ダブルスタンダードを繰り返す事に疑問を感じてない長谷川氏は、やはり社員時代に毒されたまま今に至っているんだなと少し残念に思いました。