Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

ブレードランナー

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SF映画の金字塔とも言われている作品ですが、派手なアクションシーンや謎解きがあるわけではなく、どちらかというと人間とは何かを問うヒューマンドラマです。
 
原作は、これまたSF小説の金字塔とも言える「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?(F・K・ディック)」で、そういった点においては、この原作の根幹を崩さない作りとなっています。
 
ただし、小説とはかなり隔たってはいるんですが。
 
というか、原作はあくまでもベースに過ぎず、映像化するにあたって独自の観点で解釈や演出を施し、結果、原作に負けず劣らない素晴らしい映画に仕上がったというケースでしょう。
 
映画は映像だけでなく音楽もセットです。
 
その音楽においても、この映画は群を抜いているのであります。
 
SF映画の傑作と評されるのも理解できますね。
 
物語の舞台となるのは2019年のアメリカ、こう書くと、現在が2016年ですから、ちょっとした感慨深いものがありますよね。
 
ほとんどの人類は宇宙へ移り住んでいるのですが(原作では地球規模の核戦争による大気汚染が原因で、地上に住むのが難しくなった)、それでも細々と僅かな人間が生活していました。
 
人類は宇宙での過酷な作業に耐えられるよう、レプリカントと呼ばれるアンドロイドを製造し、タイレル社がその開発から生産を担っていました。
 
しかしながら、レプリカント達でも宇宙での作業は過酷なものであり、中には主人を殺して地球へ逃亡する者達もおり、そうしたレプリカントを処理するのが主人公の職業、ブレードランナーと呼ばれるものです。
 
レプリカント達が地球に逃げ込んだという情報を聞かされた主人公デッカードは、製造会社のタイレル社へ出向き調査を開始します。
 
ここで重要になってくるというか、一番のキーポイントとなるのが、どのようにアンドロイドと本物の人間を見分けるかということ。
 
タイレル社のアンドロイド開発技術は年々向上していて、今や人間との見分けがつかないぐらい精巧に作られており、人間と同じように思考し感情を持ち、日常生活を送っているのです。
          
ブレードランナー達は、感情テストによる被験者の電気信号を読み取る事でレプリカントかどうかを見分けるのですが、タイレル社の社長はそのテストの信憑姓を疑います。
 
原作では、このテストのくだりが詳しく描写されており、けっこう面白い。
 
それならばと、デッカードは社長の女性秘書レイチェルをテストするのですが、人間だと思っていたのにアンドロイドという判定が出たのです。
 
デッカードはそのことに驚きますが、テストされたレイチェル自身もその結果にショックを受けるのです。
 
実際にレイチェルはレプリカントであり、偽の記憶を与えられたことにより、人間だと自身を思い込んでいたのでした。
 
レイチェルは逃亡するのですが、そのためデッカードが処理するレプリカントの対象となります。
 
その後の展開の中で、デッカードはレイチェルに対し愛情のような気持ちが芽生えはじめ、、、と、こんな感じですかね。
 
見終わってから、様々な思いが頭にめぐり回ります。
 
ラストで、主犯格のレプリカントのロイと激闘する場面が非常に興味深い。
 
ロイはデッカードに処理された仲間のために涙を流し、最後、デッカードを殺す事もできたのに逆に助けるのです。
 
レプリカントにも友情や救済という感情がある事にデッカードは、人間とはいったい何だという疑問に囚われます。
 
そして、その疑問は映画を見ている我々にも同じ剣先を突きつけるのです。
 
よくある解釈として、デッカード自身がレプリカントなのでは?という深読みもできます。
 
実際、原作の小説ではデッカード以外のブレードランナーがアンドロイドであるというシーンが出てきます。
 
偽の記憶を植え付ける事により、アンドロイド自身も自分が人間だと思い込んでしまうというのが、この物語の肝でもあるんですよねぇ。
 
また、原作では僅かながらに生き残っている動物を所有できるかどうかが、人間達の拠り所であり生きるモチベーションにもなっていて、かなり重要なポイントとなっているのですが、映画ではそこまでではありませんでしたね。
 
精巧に作られたアンドロイドと人間の違いはどこにあるのか?もしかしたら自分も偽の記憶を与えられたレプリカントかもしれないという葛藤に重点を置いています。
 
そこにポイントを絞ったというのも、この映画が名作となった理由のような気がします。
 
この映画が神映画として崇められるのも、なんとなく理解できますが、改めて言うけど、主人公は弱いし、カッコイイ戦闘シーンがふんだんにあるわけでもないし、ハリソン・フォードだからといって、インディ・ジョーンズみたいな爽快感が得られるわけでもありません。
 
ちなみに、当のハリソン・フォードはこの撮影が退屈でしょうがなく、それがあのやる気の感じられないブレードランナー役にぴったりはまったという逸話もあります。
 
それと、東京のネオン街を彷彿する街並みの映像も見所の一つ。
 
ともかく光と影の映像美だけでも、見る価値はあるというものでしょう。