SF映画の金字塔とも言われている作品ですが、派手なアクションシーンや謎解きがあるわけではなく、どちらかというと人間とは何かを問うヒューマンドラマです。
原作は、これまたSF小説の金字塔とも言える「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?(F・K・ディック)」で、そういった点においては、この原作の根幹を崩さない作りとなっています。
ただし、小説とはかなり隔たってはいるんですが。
というか、原作はあくまでもベースに過ぎず、映像化するにあたって独自の観点で解釈や演出を施し、結果、原作に負けず劣らない素晴らしい映画に仕上がったというケースでしょう。
映画は映像だけでなく音楽もセットです。
その音楽においても、この映画は群を抜いているのであります。
SF映画の傑作と評されるのも理解できますね。
物語の舞台となるのは2019年のアメリカ、こう書くと、現在が2016年ですから、ちょっとした感慨深いものがありますよね。
ほとんどの人類は宇宙へ移り住んでいるのですが(原作では地球規模の核戦争による大気汚染が原因で、地上に住むのが難しくなった)、それでも細々と僅かな人間が生活していました。
ここで重要になってくるというか、一番のキーポイントとなるのが、どのようにアンドロイドと本物の人間を見分けるかということ。
タイレル社のアンドロイド開発技術は年々向上していて、今や人間との見分けがつかないぐらい精巧に作られており、人間と同じように思考し感情を持ち、日常生活を送っているのです。
原作では、このテストのくだりが詳しく描写されており、けっこう面白い。
それならばと、デッカードは社長の女性秘書レイチェルをテストするのですが、人間だと思っていたのにアンドロイドという判定が出たのです。
デッカードはそのことに驚きますが、テストされたレイチェル自身もその結果にショックを受けるのです。
実際にレイチェルはレプリカントであり、偽の記憶を与えられたことにより、人間だと自身を思い込んでいたのでした。
その後の展開の中で、デッカードはレイチェルに対し愛情のような気持ちが芽生えはじめ、、、と、こんな感じですかね。
見終わってから、様々な思いが頭にめぐり回ります。
ラストで、主犯格のレプリカントのロイと激闘する場面が非常に興味深い。
そして、その疑問は映画を見ている我々にも同じ剣先を突きつけるのです。
偽の記憶を植え付ける事により、アンドロイド自身も自分が人間だと思い込んでしまうというのが、この物語の肝でもあるんですよねぇ。
また、原作では僅かながらに生き残っている動物を所有できるかどうかが、人間達の拠り所であり生きるモチベーションにもなっていて、かなり重要なポイントとなっているのですが、映画ではそこまでではありませんでしたね。
精巧に作られたアンドロイドと人間の違いはどこにあるのか?もしかしたら自分も偽の記憶を与えられたレプリカントかもしれないという葛藤に重点を置いています。
そこにポイントを絞ったというのも、この映画が名作となった理由のような気がします。
この映画が神映画として崇められるのも、なんとなく理解できますが、改めて言うけど、主人公は弱いし、カッコイイ戦闘シーンがふんだんにあるわけでもないし、ハリソン・フォードだからといって、インディ・ジョーンズみたいな爽快感が得られるわけでもありません。
それと、東京のネオン街を彷彿する街並みの映像も見所の一つ。
ともかく光と影の映像美だけでも、見る価値はあるというものでしょう。