Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

夫婦別姓問題

最高裁判断が出たということで、感じたことをちらほらと。
 
夫婦別姓を認めよとする原告の訴えが、「精神的苦痛」を拠り所としていることに今ひとつ訴求力が無いというか。
 
そういう感情論に問題点の核を据え置くべきじゃないだろうと思う。
 
大半は女性が男性側の姓に変えるという事になろうが、一人娘だった場合はその女性側の家系が終わってしまうわけで、そういう問題をどう捉えるかという話しじゃなかろうか。
 
夫婦で同じ姓を名乗るという仕組みは、ニュース等でも言われている通り、昔の制度が今も普通に生きているからなんだけど、じゃあその制度の大元は何?というと、戸籍管理が大前提になっているからだと思われる。
 
行政が戸籍管理する上で、夫婦同姓の方が都合が良いから、仕組み的にも慣習的にもそれが当たり前となって今も残っているのだろう。
 
じゃあ、その戸籍管理の仕方をもう少し考えれば、夫婦別姓問題も解決へ向かうんじゃね?

戸籍という単位で管理する必要があるのか?という原理論の話しでもあり、夫婦別姓を認めてないのが世界中を探しても日本ぐらいとなれば、別姓にしても不都合があまり出ないから世界の情勢はそうなっているとも考えられる。

小難しい法律も絡んでくるんだろうけど、時代に即した法改正は当然必要なわけだから、今の戸籍管理がそもそもどうなのかって方向から攻めた方が、夫婦別姓問題も進展すると思う。
 
精神的苦痛だとか違憲だとかの論点で争っても、恐らく姓を変えた経験がない裁判官にとってはどこが問題なの?ぐらいの感覚じゃなかろうか。
 
でも、今回の判決で一番謎なのは、なぜ選択制という手段を丸っきり排除してあるのかということ。
 
多分だけど、別姓にする夫婦、同姓にする夫婦両方が存在すると、行政側が戸籍管理どうしたらいいか分かんないから、それだけはやめてくれって強固に頼んでるような気がするww。