Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

南Q太

昔の話、ただの回顧録です。
 
20代後半の時に付き合っていた彼女がいました。
 
出会いは飲み屋でした。
 
彼女は当時、看護師をしていて、僕は最初の会社を辞める直前ぐらいのタイミングだったように思います。
 
彼女の家庭がちょっと複雑でしたが、もの凄く天真爛漫な感じの明るい女性でした。
 
当時は、なんとなくですが、彼女とだったら結婚してもいいなと思い、そういう話しをちらほらタイミングを見て散布してみたのですが、最終的には首を縦に振ってくれませんでした。
 
お付き合いそのものには、全く問題もなかったように思ってましたし、半分同棲みたいな生活を送ってましたから、なんで結婚にはウンといってくれないのだろう?と悩んでいたものです。
 
女心はわからん、てな感じですね。
 
まあ、まだ彼女も20代半ばだったし複雑な家庭事情もあるから、なかなか結婚までは踏み切れないのだろうと、自分の中で勝手に解釈しておりましたが、実際にそうだったかは今では確かめようがありません。
 
で、当時、たまたま彼女の家族の話しになり、自分には姉がいて東京で漫画家をやっていることを聞かされました。
 
まだ全然メジャーではないけど、週刊ヤングジャンプで新人賞を取り、定期的に雑誌に作品が掲載されているとのこと。
 
僕も漫画大好き人間でしたが、南Q太という作家は全然知らなかったので、ちょっとびっくりしましたね。
 
その頃は「FEEL YOUNG」という雑誌に書いていて、南Q太氏の連載が載る度に購読し、載ってないと「あ、怠けたな」と言って、よく彼女が姉に電話していたのを思い出します。
 
既に単行本も出版されていて、最初に買ったのが「日曜日なんか大嫌い」、次に「愚図な女ばかりじゃないぜ」を買ったかな。
 
その後、最初のメジャー級ヒット?「さよならみどりちゃん」が発売されました。
 
これは後に、映画化もされましたが、僕はまだ観ていません。
 
南Q太作品を読んだことがある人はご存じの通り、かなり尖ったものが多く、当時としては前衛的な漫画家という印象でした。
 
でも、おしゃれな空気感もあったりして、当時、僕は南Q太作品を読む度に大好きなルー・リードを重ね合わせていたものです。
 
そして彼女と、その姉である南Q太氏の2人はとても仲が良く、しょっちゅう連絡を取り合ったり、彼女が東京へ会いに行ったりしてました。
 
で、たまたま、僕と彼女が公園で子猫を拾ったんですよね。
 
茶トラの可愛いヤツで、しばらくは彼女のアパートで「トラ」と名付けて2人でこっそり飼っていました。
 
でも、子猫のうちはまだいいけど、ずっとこのまま見つからないように飼うわけにもいきません。
 
そこで彼女が姉に電話して、猫の相談をしたところ、自分の家で飼っても良いとのこと。
 
その頃、南Q太氏は同じ漫画家のSABEちゃんという人と結婚し子供も生まれたばかりで、確か阿佐ヶ谷で一軒家を借りて住んでいました。
 
僕と彼女は喜び勇んでトラと一緒に東京へ行き、そこで初めて僕は南Q太夫妻と対面したのであります。
 
南Q太氏はすらっとした、どちらかというと男前と言った方が良い顔立ちでしたが、作品から想像してたぶっ飛んだ人とも違う感じでしたね。
 
体の線も細く、美人の部類に入ることは間違いないです。
 
もちろん、彼女の行動はけっこう破天荒で、普通の人とは全然違うのですが。
 
SABEちゃんは、どちらかというとおとなしい感じでしたが、決してとっつきにくいという人でもありませんでした。
 
そこで1泊ほどお世話になり、一緒にご飯食べに行ったり呑んだりして楽しく過ごさせていただきました。
 
帰る時は、彼女も僕もトラとの別れを惜しんで、ちょっと涙ぐんでしまいましたが(^_^;
 
先ほど、南Q太氏の行動はけっこうぶっ飛んでる、と書きましたが、僕が当時の彼女から聞いた姉エピソードを少しほど。
 
地元を出て東京の短大に進学し、ある企業に就職もしたそうですが、入社3日?1週間?ぐらいで辞めたそうです。
 
辞めたというか、通勤することができなかったと話しておられましたけどね。
 
自分には毎朝同じ時間に同じところへ通うなんて無理、というような事を言っておられたように覚えてます。
 
貧乏で金が無かった時は、タマネギを生で食べてたって話しも聞いたなぁ。
 
出版社の編集者で南Q太の事が大好きな人がおられて、その人がどうしてもというので、一緒にフランス旅行に2人きりで行ったけど、特に深い仲にはならなかったとか、面白話しが次から次へと出てきて、僕とは違う世界に生きてる人達なんだなぁと感心いたしました。
 
その後も、南Q太氏が夫と一緒にこっちへ里帰りした時に、夏祭り(水郷祭)で花火を一緒に見たりしてお付き合いさせてもらってました。
 
なので、南Q太氏の出身は島根県です。
 
ですが、突然、僕と彼女のお付き合いは終止符を打ちます。
 
僕が他の女性に目移りし、彼女を強引にふる形で終わってしまいました。
 
傲慢なヤツに思われるかもしれませんが、僕は自分で別れるという選択をしながらも、彼女のことは好きでしたし、ずっと迷ったまま別れ話を切り出しました。
 
2人同時に付き合うという芸当ができるタイプでもなく、新しい彼女を選ぶ道しかない状況に陥っており、2人で泣きながら悲しい一夜を過ごしました。
 
今考えてもサイテーなヤツだなと思っています。
 
その後、新しい彼女と結婚までしたのですが、結局は3年足らずで離婚となります。
 
その時の選択で何が正しくて、何が間違いかなんて言えませんし、後悔しているのかと聞かれれば、イエスともノーとも言えません。
 
もう、25年も前の話しです。
 
ただ、あの頃の事を思うと、ふと悲しくなり、ネットでたまたま南Q太という名前を見つけたことがきっかけで、こんな記事を書いてしまった次第です。