最近でこそ、いじめなどの理由で学校へ行きたくない子どもに対し、「無理に行かなくてもいい」「逃げればいい」って言える空気が出来ています。
まあ、それでさえ、当の子ども達からすれば、どこへ逃げればいいんだっていう叫びや、学校へ行かなくても人生の行き詰まり感からは逃れられなかったりしますが。。
子どもの頃は、早く大人になれば自分の好きな時間を生きられる、好きな事が自由にできる、例えば、今日は休みだから昼まで寝ていようだとか、ポテチを一袋自分1人で食ってやろうとか、そんな他愛のないことだったりにとてつもなく憧れてました。
で、実際に大人になってみると、というか社会に出て生活するようになるとって事ですが、なんだか子ども時代以上に悩みが尽きないなと実感します。
特に思うのが、「なんで働かなくちゃいけないんだろう?」って疑問。
レベル的には子どもの時の「なんで学校行かなくちゃならないんだろう?」ってのと同じ感覚でしょうか(^_^;
ただ、学校は義務教育としてそうなっていますが、働くことについては義務という縛りは無い。
もちろん、国民としての勤労の義務、というのはありますが、働いていないからといって逮捕されたりするわけじゃありません。
せいぜい、自分の生活が困るのと、親戚や近所から白い目で見られるぐらいのものです。
にも関わらず、「働く」ことや「仕事」から逃げるのは許されない空気感は、ずっとまとわりついてくるのです。
嫌なら会社を辞めればいい、と言う人は大勢います。
でも、辞めても次の会社なり職場で当然働くんだろ?的な含みがあり、仕事から逃げられないよが前提の話しだったりもするんですよね。
いや、オレは仕事そのものから逃げたいんだけどって言っても、なかなかそこは理解されない世の中で、そんな中でもがき続けています。
こんな思いで生きていくぐらいだったら、マインドを変えて、仕事に真剣に取り組む生き方をした方が良いでしょ、という助言も理解はできます。
自分でもそう思って、ある時期は色んなツールを試したり、試行錯誤してみましたが、結局のところそれだけで疲れちゃって、とてもじゃないけど何十年も仕事にエネルギーを注ぎ込むなんて自分には無理だなって、何となくですが自覚しちゃいました。
人前で虚勢は張りますが、内心は打たれ弱い性格が災いし、本当に自分がこれだと思った生き方をすることができず、未だに仕事から逃げることばかり考えています。
そんな男が来月で50歳を迎えるのです。
こんな大人になるとは、子ども時代には想像してなかったなぁという、瞑想記事でした。