Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

隻眼の少女/摩耶雄嵩

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摩耶雄嵩氏の作品を読むのは、これが初です。
 
感想としては、正直驚いたという他はありません。
 
え?そこをひっくり返す?みたいな印象ですが、ある意味、これを超えるミステリー手法を考えるのは難しいだろうなぁと。
 (後半ネタバレあり注意)
あらすじ
二部構成になっています。
 
最初は1985年に起こる事件。
 
大学生の種田は、事故により父親を殺めてしまい、自分も死ぬつもりで山奥の栖苅村(すがるむら)というところの温泉宿に宿泊します。
 
その地は昔、龍が住んでおり、その龍を退治した特殊な力を持つと言われるスガル血族の琴折家が代々治めている土地でした。
 
主人公種田は、昔の龍だと言い伝えられる岩のところで、16歳の隻眼の少女、御陵みかげと知り合いになります。
 
知り合った翌日、種田は、伝説の龍の岩がある場所で、首切り殺人事件に巻き込まれ地元の警察から容疑者として疑われるのですが、それを見事な推理で救ったのが御陵みかげでした。
 
しかし、その後、琴折家のスガル継承者が次々と殺され、更にはみかげの父親も巻き込まれ殺されてしまいます。
 
種田はみかげと共に、この連続殺人事件の解決に挑み、ついには犯人を特定することに成功したのです。
 
ここまでが一部の話し。
 
二部からは、この事件の解決後18年が経った2003年の話し。
 
再び、種田は栖苅村を訪れることになるのですが、また、18年前と同じ惨劇が起こるのです。
 
果たして、事件の本当の真相はいかに?という感じです。
 
時代遅れ?な設定
まずもって、事件の解決にあたる隻眼の少女こと御陵みかげのキャラからして、時代錯誤的な設定にしてあります。
 
陰陽師のような服装に、天才的な推理力を遺伝的に母親から受け継いでいる探偵であり、しかも隻眼です。
 
そして、人里離れた龍の伝説が残る村、そこを代々治める名家の継承問題、連続首切り殺人事件。
 
まるで、横溝正史江戸川乱歩を思い起こさせるような設定ですよね。
 
昭和な匂いがプンプンです。
 
もちろん、第一部の時代設定が昭和だからというのも少しはあるのでしょう。
 
でも、物語の屋台骨そのものが、時代を感じさせる作りになっているのです。
 
ですが、最後まで読むとわかります。
 
それは一種のフェイクであり、作者が意図的にそうした設定を用いたのだろうと想像つきます。
 
要は、核心はそこじゃないってことですね。
 
読者も主人公と一緒になって犯人を推理
これもまた、ミステリー小説ではメジャーな形ですが、最近はこの手法をとらずに物語を展開するパターンもけっこうあります。
 
昔からの表現方法を現代作家達が、いつまで追い続けるわけはなく、常に新しい展開や手法を生み出す為に頭を捻っているのです。
 
そう考えると、この作品はどちらかというと、安易な旧態依然のやり方でストーリーを展開しており、それはそれで面白いのですが、でもそれじゃあ古めかしいなとも感じてしまいます。
 
しかし、これも意図的なフェイクというか、読者の目をそらすための誘導であることが、ラストまで読むと理解できます。
 
読みやすいけどめんどくさい
先が気になるし、テンポも良いのでサクサクと読み続けられます。
 
ただ、登場人物、特に琴折家の家族が多く、それをいちいち把握しながら読み進めるのがめんどくさいです。
 
一応、家系図は載ってるんですけどね。
 
でも、やっぱりめんどう。
 
更に、屋敷や敷地内の見取り図が無いため、事件の状況や推理の整合性を読み取るのがこれまためんどう。
 
でも、正直、そのあたりは分からないなりに読み進めてしまっても問題ないです。
 
核心はそこじゃないので。
 
 
後期クイーン的問題
ミステリ小説で「作中、探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうかその探偵には証明できないこと」を「後期クイーン的問題」と言うそうです。
 
作者が用意した真実に対し、読者はその真実を登場する探偵を介して暴こうとするのがミステリ小説の基本ですよね。
 
それは一種のゲームに近く、よって一定のルールが存在しなければ成り立ちません。
 
そして大前提のルールとして、真実は唯一無二でなければならず、いくつも真実が用意されていたら、その作品はどこにも着陸できなくなってしまいます。
 
で、これを頭に入れてこの本を読むと、犯行はスガル様以外でもやはり可能であると思われ、探偵を通して暴かれる真実は、これ一つではないのではないかと読み手は不安になります。
 
ですがこれも、作者が意図的に「後期クイーン的問題」を扱ったと想像できます。
 
用意された真実は、決して一つではないかもしれないし、それを誰も証明できない焦燥感が読者に沸き起こるのを想定しての書きっぷりなのです。
 
で、ネタバレしてしまいますと、真犯人は探偵約であるみかげ自身なのですが、自分で殺して自分でそれらしく犯人を仕立て上げるわけですから、ミステリー小説としてはかなりルール違反な手法を取ってしまっています。
 
でも、それは作者が意図してやっていることであり、その核心は「後期クイーン的問題」への挑戦だったのではと想像します。
 

まとめ

本当に犯行可能なのか、そこまでの様々な経緯に矛盾や無理があるのではないか、といった疑問も当然湧くのですが、真犯人を知った時には、そんなことはほぼどうでも良くなりました。
 
この展開を思い切ってやってしまう作者の潔さに脱帽ですし、これやっちゃったら、これを超える手法はもう出せないんじゃないの、というぐらい奥の手の中の奥の手だと思うのです。
 
そうした点で、この作品はかなり好き嫌いが別れるだろうなと思いますが、僕はかなり好きな部類の作品でありました。