人魚の眠る家/東野圭吾
ここ最近の東野圭吾作品は、事件を扱うミステリーものより、社会派ドラマのようなものが多くなったかなぁ、というのが個人的感想です。
この「人魚の眠る家」もまさにそうで、脳死問題がテーマとなっています。
あらすじ
面接試験の練習が塾で実施されるということで、薫子は子供達を実母に預け久々に夫婦二人が揃うのですが、面接が始まる直前に瑞穂がプールで溺れて病院に搬送されたという連絡が入ります。
病院に行ってみると、娘の瑞穂は心臓や臓器は動いているが、脳が機能していないという、いわゆる脳死状態でした。
突然の悲劇に襲われた仮面夫婦ですが、更に「臓器提供の意志」について難しい選択を迫られます。
悲しみにくれる二人ですが、もし娘が話せる状態なら、他の人の役に立ちたいと言うかもしれないと考え、承諾サインをしようとするその時、娘の手がピクッと動いたのを感じます。
娘はまだ生きている、と確信した夫婦は臓器提供を拒否、延命治療を選択するのです。
夫の和昌は、ハイテク技術事業を営むハリマテクノス社の社長でもあり、最新のBMI(脳と機械を信号で結ぶプログラム開発)技術や医療技術の情報に長けていることから、娘が人工呼吸器無しで呼吸ができるよう手術をしたり、また、意識がなくても手足を動かせるようにならないないかと考え、部下に研究実証を私的に依頼します。
そうした努力が実を結び、意識は戻らないものの、退院し在宅介護が可能にまでなります。
車椅子に座っている意志の無い瑞穂は、知らない人が見ると、まるでただ眠っているだけのような状態となっていたのです。
一方、心臓移植を待っている子供とそれを募金で支援する人達も登場し、脳死判定をしたくない薫子と臓器移植をアメリカで受けるしかない家族達との対比が描かれます。
そして、ラストは、、。
母親の我が子を思う気持ち
自分は子供がいないし、ましてや母親でもないので、正直、前半の薫子の考えや行動に対しどちらかというと嫌悪感を抱いて読んでました。
意識がないのに、ハイテク技術の機械を使って手を動かしたりする場面を想像すると、まさに操り人形とか、はてやゾンビと暮らしているような気分に駆られそうです。
そうすることで喜ぶ母親は、もはや、彼女自身を満足させるエゴでしかないのではないか?
同じような思いで夫の和昌も悩み、小学生にあがったばかりの瑞穂の弟も同級生から「お姉さんは死んでるじゃん」と言われ、それ以来傷ついてるのですよね。
しかし、薫子の「この世には狂ってでも守らないといけないものがある。子供のために狂えるのは母親だけなの。」という言葉の前に、僕のそうしたモヤモヤ感は吹き飛ばされました。
臓器移植と脳死問題に無関心な社会
臓器移植問題に日本社会が無関心というより、議論が成熟してないのかもしれません。
脳死はあくまで生きている人間による便宜上の線引きであり、脳の活動に関してはまだ全然解明されておらず、何を持って「死」とするかはよくわかってないという事実。
科学や医療だけでなく、哲学や宗教といった分野にまでまたがる話しなのですが、特に哲学や宗教の面において日本では具体的なフォローやケアがほとんどないと言えます。
また、臓器提供する意志があった場合のみ「脳死での死亡」と判定するのが、今の日本の法律です。
そうするしかない、という難しさがあるのもわかります。
しかしながら、こうした定めがあるが故に、臓器提供するドナーが現れないという問題も現実的に発生しているのです。
物語の中で、心臓移植をしなければ助からない雪乃ちゃんという子供が登場します。
日本で手術ができれば100万円以内での費用ですむのが、アメリカで受ける事で2億円以上の金額に膨れあがるということ。
日本から連れて行く看護スタッフの旅費や滞在費、ドナーが決まるまでの向こうでの生活費などを考えると、どうしてもそのくらいになるという話しでした。
更に、アメリカで手術を受けるという事は、アメリカ国内で同じように移植手術を待つ現地の子供達の順番を後回しにする可能性もあるという残酷な事実もある。
だからこそ、海外での移植手術については各国が制限をしていて、自国の患者は自国でドナーを見つけて手術するというのが情勢なのですね。
僕は、恥ずかしながら、そういう事情すら知りませんでした。
そうした問題が実際にあることを、この本は僕らに教えてくれるのです。
誰も責められない
途中まで読んでると、薫子の行動が非難されたり、雪乃ちゃん側との確執バトルに発展するのかなと思ってましたが、そんな下世話なストーリーではございませんでした。
東野圭吾氏は、この辺も上手くまとめあげて心に沁みるストーリーに仕立てています。
誰が悪いわけでもない、責められるべきでもない、でも、苦悩する人達がそこにいるというのは、本当にどこに救いがあるのだろうというぐらい重たいテーマともいえます。
予想通りのラストだったけど満足感がある
ラストは、イントロ部分の終着をどうしても持ってくる必要があるから、読んでいて大方の予想がつきました。
でも、それでがっかりする終わり方ではなく、こう言っては何ですが、非常に清々しい気持ちで読み終えることができました。
さすがは東野圭吾氏の貫禄でしょうかね。
お得意のミステリー小説ではありませんが、多くの人に読んでいただきたい作品ですね。