Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

キリギリスは死ななければならない?

別に長谷川豊ウォッチャーではないですが、前にも書いたようにけっこう好きで読んでるのですが、これはちょっといただけない内容の記事だなと思い、自分なりに感じた事を少し記しておきます。
 
結論から言うと、どのくらいの透析医療従事者から情報を得たのかがわからず、本当に真実味のある話しなのかがわからないのに、感情的な論に終始していて全く賛同できないです。
 
「透析患者はカネの成る木」だという発言を医療関係者から聞いたということですが、この発言に対し憤慨している透析医療従事者もいるのではないか?という視点には向いてません。
 
透析治療を受けている人の中には、確かに自身の怠惰な生活習慣に原因がある人もいるでしょうが、本当に8~9割もの人が該当するのかはこの記事からは全く分かりませんし、実際にそういう人達とそうでない人を区別するこは不可能でしょう。
 
「自己責任論」もここまでくると、完全に選民思想に近いものがあり、個人的にはついて行けません。
 
「キリギリスは死ななければならない」と書いていますが、「カネが無い人は死ぬべき」と言っているのも同じですよね。
 
なんだろ?
 
そんな社会、日本って本当に幸せなのかな?って。
 
記事の最後に「先天的な遺伝的理由で人工透析をしている患者さんと罵倒するものでは全くありません」と、逃げ道を作っていて、あくまで本論は自己怠慢による透析患者へ向けたものだとしています。
 
ですが、このブログ記事の救いようがないところは、自業自得かそうじゃないかをどうやって見極めるかの提言が全くないところにあります。
 
単純に先天的透析患者と後天的透析患者だけで区別できる問題なのか?
 
長谷川氏も含めて我々が、キリギリスに対し「死ぬべきだ」と言う権利があるのか?
 
長谷川氏がここに書いた内容の記事は、生活保護問題と同じで、実は大抵の人が心の中では思っていたりすることで、彼はただそれを書いただけです。
 
しかしながら、ああやってメディアにも登場し、ブログでもそれなりのアクセス数を誇る人が、他の人も思っていることをただ書いて、彼の言う8~9割の人工透析患者に死んでくださいって吐くのは、なんだか非常に残念。
 
だって、仮にそうだとしても、実際の問題解決にはならない提言だから。
 
ただ、罵倒するだけだったら炎上好きブロガーとなんら変わりないですよね。
 
医療問題にしたって、健康保険問題にしたって色々と解決すべきことはたくさんあるでしょう。
 
でも、おそらくは様々な既得権益が絡んでいたりして進まないのが現状ではないかと推測します。
 
そういうところへ切り込むのが、メディアの腕の見せ所だと思うんですが。
 
どうでもいいところ(例えばリオオリンピック体操の内村選手に対する採点者好意質問とか)の質問を、長谷川氏は賞賛してましたが、僕が思うにそれは単なる身内びいきでしかないです。
 
話しが少し逸れますが、豊洲移転問題でも、もう少し石原前都知事に鋭く切り込む記者がいないものかと残念に思います。
 
どう考えたって、トップの稟議決裁無しに工事ができるわけないのは明らかなんですから。
 
要は、僕が長谷川氏に求めるのはそういった高見の部分であって、リンク先のような煽り記事ではないんですよね。