Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

遅まきながら8月15日に併せて少し考えたこと

戦争はもちろん嫌に決まってる。
 
どこの誰かが、就職もできないプアな層が望むのは戦争しかない、みたいな事を書いていたけど、僕は自分自身がどんなに貧困な状況になろうとも、戦争は起きて欲しくないと思います。
 
そういう時だからこそ、真っ先に底辺にいる人間の命が戦争に差し出されるようになるんじゃないでしょうかね。
 
まあ、中国や韓国、ロシア、北朝鮮といった決して日本と有効的でない国々の圧力を受けている日本で、領土問題も解決しそうにない状況。
 
更には中国は尖閣諸島の実効支配を狙ってあれこれ画策している雰囲気もあり、そんな中、日本国内では自国の安全を自前でするのか、お友達のアメリカにお願いするのかという議論すら形成されていません。
 
個人的には、自分の国の平和維持を他国の力に委ねるという状況は、あまり良い結果をもたらさないんじゃないかと想像してます。
 
僕も音楽大好きで、ロックバンドやって、色んなミュージシャンの曲を聴いてきました。
 
ロックって色んな矛盾が混ざり合ったエネルギー体みたいなもので、既成のものに中指を立てNo!を突きつけ、片方でラブ&ピースと拳を振り上げるのは、ロックミュージックならではのことです。
 
ジョン・レノンが歌うように、世界中の垣根が無くなり、誰もが一つになれば世界は平和になるという幻想を以前は信じていたし、それを嘲笑しようとも思いません。
 
ただ、もしジョン・レノンの言う世界が本当に訪れるとしたら、それはエヴァンゲリオンで描かれる結末のような世界なのかもしれません。
 
話しが逸れました。
 
思ったのは、自分個人の現状を当てはめて考えてみると、自分の身近な人達と潤滑で円満な関係を築くことさえ困難なのに、近隣とはいえ言葉も習慣も違う外国の人達と友好的な関係が保てるのは奇跡に近い話しだなと。
 
たかじんのそこまで言って委員会」っていう番組とか、似たような意見討論番組ありますよね。
 
番組の中で、中国や韓国とどう付き合うべきかみたいなテーマで議論すると、だいたいが途中で感情的な口喧嘩が始まり、意見の違う者同士はずっと平行線のまま終了ってパターン、しょっちゅうです。
 
平和に関する議論でもそうですが、ともかくお互いに喧嘩腰になり、これじゃあ世界平和なんて無理だろうなって。
 
自分の隣人、町内の人と全て仲良くなれますか?
 
会社で嫌な上司や同僚と仲良くできますか?
 
要は、そういうところでさえ高い障壁があるのに、簡単にどこの国とも仲良くしなさいなんて戯れ言でしかないわけです。
 
戦争反対、もちろん僕もそういう気持ちです。
 
でも、それをただ国会議事堂の前で叫んだところで、何の本質も突くことにはならないです。
 
安倍政権を批判したり否定するのはかまわないですが、現実的な対案としてどうしたいのかが必要でしょう。
 
自分の身近な人と良好にやっていくには、それなりの気遣いや心づもりが必要であり、ある意味それは精神的コストでもあります。
 
同じように、世界が平和であるためには、それはタダでできるはずもなく、何らかのコストや代償が必要となるはず。
 
世界中全ての人間が「世界が平和でありますように」と思っていても、争いは起こります。
 
それは、国や宗教、人種色々ありますが、それぞれが良しとする理想の平和があり、お互いの理想を達成するために衝突します。
 
それは、今後も避けられないことなのかもしれません。
 
じゃあ、本当の平和が訪れるのは未来永劫ないって事になるよね、という話しになっちゃいますが、それでも誰もが少しずつ平和のために抗わなければなりません。
 
それは、自分の身近な人達と少しでも良好な関係を築くこうとすることや、仲良くはなれそうもないなら、せめてお互いが違うということを認識した上で関係距離を保つとか、そんなことからかなぁと思ってます。