Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

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Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

感動を与えるプレーって?

ブラジルのリオオリンピックが開催となりましたね。
 
高校時代まではスポーツバカだったくろばこですが、それ以降は全くといっていいほとスポーツから遠ざかっています。
 
観戦する方も、サッカーW杯ぐらい。
 
オリンピックも、ニュースやネットで結果を知って一喜一憂するレベルです。
 
どんな選手がいるかとかは全く知らなくて、メダル候補の有名選手だったらそれでもわかるという感じ。
 
そんな僕が言うのもおこがましいのですが、選手達のインタビューでよく耳にする「見ている人達に感動を与えるプレーをしたいと思います。」という言葉にどうしても引っかかってしまうのであります。
 
「感動を与える」っていう響きがどうしても好きになれないというか、上から目線というか、言い過ぎかもしれないけど傲慢なニュアンスを感じ取ってしまい、ずっと違和感を覚えるのです。
 
もちろん、オリンピック代表に選ばれるほどの人達ですから、そういうことを言うだけの資格があるというのも事実なんでしょう。
 
でも、やっぱり、なんか違うような気がするんですよね。
 
感動は与えようと思って与えられるものじゃない。
 
少なくとも僕が感動するのは、ひたむきにプレーする姿勢や経過、それによって得られた結果に対してです。
 
ここで言う結果は、メダル獲得できたとかの話しではなく、単純にプレーをした後に残る事実のこと。
 
選手達はただひたすら結果を追い求めてプレーすればいいだけで、感動を与えるというのは、後から付いてくればいいだけの話しだと思うのです。
 
感動を与えるためにプレーするって、ちょっと違うというか、それってスポーツの本質とは少し違うところにあるような気がしてなりません。
 
ぶっちゃけてしまえば、感動するかしないかは、見ている僕らがどう受け取るかだけの話しで、プレーする選手が口にすることじゃないということ。
 
ある意味、感動を与えるプレーって、金メダルを獲るより難しい事かもしれないのになぁって。
 
まあ、もしかしたら僕がひねくれているだけかもしれませんが。。
 
【追記】
すごいですよね。
偉大な記録もですが、どんな時でも準備を怠らずプレーし続けた姿に僕はやっぱり感動しました。