Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

罪悪感からくる苦しさ

 
 
僕がよく読んでいるブログの記事からです。
 
日経ビジネスので掲載された東大安富教授の話なんですが、読んでいてなるほどと思いました。
 
日経ビジネスはログイン登録しないと全部読めないのですが、くろばこはたまたまアカウントを持っていましたので、全て読むことができました。
 
とりあえず、内容を簡単にまとめておきます。
(簡単といってもけっこう長いですが)
 
・人が感じる息苦しさ、生き辛さは目に見えない圧力や暴力を受けている時に感じる。
 
・転職の自由はあるはずなのに、何故か会社を辞められない。
 
・仕事で目標を達成しても一時的にはほっとするが、喜びを感じられず、むしろ「次も失敗するわけにはいかない」という焦燥感が強くなってしまう。
 
・これらは目に見えない何かに取り囲まれていて、それらを守ることに必死になっていて、社会からのモラルハラスメントと同じ。
 
・目に見える暴力の方であれば、そこから逃げ出す、戦う、諦めるとかの結論があるが、目に見えない暴力に取り囲まれていると、その苦しみが終わることがなく、結果、原因の分からない息苦しさ、生きづらさを感じてしまう。
 
・そうした根幹にあるのは罪悪感、「こんなこともできない自分が悪いんだ」という責めの気持ち。
 
・まずは苦しいという事実を認識するのが必要だが、子供の頃から正しい生き方とはについて親から教え込まれるので難しい作業となる。
 
・学校教育でも理解できないものを理解できないまま「こういうものなんだ」と思い込まされ、「理解できない私が悪い」という罪悪感が育ってしまう。
 
・学校は内的な論理、ルールだけで成り立つ「異常な空間」で、内部のルールだけに従うことが身に付いていく。
 
・その学校で会社に入る準備をするので、会社に入っても自発的に隷従するようになり、且つ、それを他人にも強制する「監視役」として機能するようにもなる。
 
・今の社会は「自分には意味がわからなくてもルールだから従う」と言うと「大人になった」と言われ、「私はそんなことおかしいと思う」と言えば「大人になれよ」と説教される。
 
・会社の中で息苦しくなって死にそうになっているのは正常である。
 
・逆に息苦しくもなく平気でガンガン仕事している人の方がおかしい。
 
・苦しさは「お前の世界は狂っている」という気づきのサインである。
 
・日本の民主主義とは「個人の平等」ではなく「立場の平等」。
 
・いかなる立場も等しく尊重されなければならないが、「人間」は尊重しなくてよいのが実態。
 
・その役割を果たすエネルギー元が「罪悪感」。
 
・日本だけでなく、世界各国に「罪悪感発生システム」があり、人類社会の基本となっている。
 
・まずは苦しいと感じ、そこから抜け出したいと思うことが最初の一歩である。
 
・高度経済成長時代は頑張ったぶんのリターンがあったが、今の社会ではそれが無いので生きづらさを感じやすくなっている。
 
・無意味な仕事をやり続けて辛くなっても「割り切ってできない自分が悪い」と罪悪感を覚え、それを生きづらさという。
 
・罪悪感を発生させる社会のシステムに取り込まれ、何十年も働いている人が、「もう辛くてたまらないから、今日から俺は会社で自分の好きなようにやるぞ!」と言って会社に行ったとする。そんなことをしたら、上司や部下とぶつかったり、取引先に切られたりして、もっと酷い状態になって戻るだけ。だから、本当に息苦しさから抜け出し、自分自身を生きようと思ったら、本気で、全身全霊を込めてやらないといけない。
 
・腹をくくってそこに居続ける覚悟が必要。
 
・何かに突っ走る場合は、誰かに対する攻撃になり、攻撃は防御の10倍難しい。戦力が10倍要るから。
 
・もし自分が、自分自身としてそこに居ることを貫こうとしたら、必ずや誰かが嫌がらせをしてくるが、その嫌がらせだけに対応すればいい。自分に悪意を持つ人がいても、何もしてこなかったら放っておけばいい。
 
・「自分自身として生きようと思うので、会社を辞めます」というのは、意味がなく、もうこんな会社、苦しいから休んでやる、というのが正しい方法。
 
・本当にうつ病になってしまったら、動くこともできなくなるから、そうなる前に有休をとってサボった方が、自分にとっても、会社にとっても都合がいい。
 
・「明日はやらなきゃいけない仕事があるから、休めない」という人がいるが、実際に休んでみると、普通に職場は回っている。会社の仕事は別にやらなくてもいいことがたくさんあり、急に一人減っても別に問題ない。
 
・いきなり理由も言わず有休を長めに取った時、自分は完全に「無縁者」になり、すると、誰が味方で、誰が敵かが、はっきり分かる。
 
・職場で「息苦しい」と感じたら素直に受け止めて、思い切って有給を取ってみる。気の済むまで休んでみる。その一歩を踏み出したときに、見える景色が変わるのかもしれない。
 
・「結婚しないといけない」は、ただの思い込みで、そもそも「同じ男女が、一生」とかってあり得ない。
 
・人間は群れて生きるものだから、家族は必要。ただ、家族の形は色々あっていいはず。 気の合う人同士が集まって「今日から私たちは家族です!」と宣言して、認められるような制度をつくることを提案したい。
 
・差別の原因は「差別したい」という嫌らしい根性。この根源は何かというと、「罪悪感から生じる自己嫌悪」。この苦しみをごまかすために、「自分はちゃんとしているんだ」ということを証明しようとして、「誰かおかしな奴」を見つけて攻撃する。これが差別の本質である。
 
・罪悪感にさいなまれている人でも、そこから脱するヒントはある。それは与えること。助けること。社内ですごく困っている人を助けるでもいい。お客さんを助けるでもいい。家族を助けるでもいい。その時、自分自身の立場をほったらかしてやるとしたら、ものすごく大きな一歩になるはず。
 
・「助けることがよいとされているからやろう」ではダメで。それでは結局、自分に対する言い訳になってしまう。
 
・自分がその時に助けたいと思った人に手をさしのべる。心からそう思っているかどうかがすごく大事となる。
 
 
 
くろばこが感じる息苦しさ、辛さを的確に掘り下げた話しであると同時に、隷従することを他人にも強制する監視役であったことも自覚しました。
 
自分もおかしい、納得いかないと感じつつも、部下や同僚に理解出来なくても「こういうものなんだからその通りにしろ」と押しつけていた経験が確かにあります。
 
なるほどなぁって腑に落ちた記事でしたね。
 
自分は罪悪感の塊なのでしょう。
 
その罪悪感を軸に考え行動し、そして息苦しくなる負のスパイラルにはまっているわけです。
 
しかしながら罪悪感から脱するヒント、人に与え助けること、これってけっこう難しいよなぁ。
 
自分自身の性格からして、どうしても打算が働き、心から誰かを助けたいって思う事が今まであったろうかって(^^ゞ
 
いや、本当にそのくらい酷いヤツなんですよね、僕って。