Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

自分のブログについていったん振り返りをしてみる

上記の記事を読んでいて、自分のブログはどういう位置付けを意識しているんだろうかと、ふと疑問に思った次第です。
 
自分の現在のブログ状況を整理してみます。
 
1.現在は、このブログ一本のみに集約し、他では運営していない。
(以前は複数やっていた)
 
2.今年の4月から毎日更新にチャレンジ。
(なんでも書いておくというクセがついて、しかも意外に適当に書けるもんだなと思った)
 
3.妻や知人にはこのブログを知られていないし、これからも知られないように運営したい。ちなみに昔やっていたブログは身内や友人が普通に見てた。
(知られたくない過去や内情をここでさらけ出しているためだけど、全く見も知らないネット上の読者はいいのかという疑問は少しある)
 
4.限られた情報や内容に特定化されておらず、ひたすら自分の頭の中にあるものや自分の行動を吐き出したブログになっている。
 
5.いわゆる集客対策とか、収入対策みたいなことはほとんどしていない。
(たまにAmazon貼るけど、基本それすらよく忘れている)
 
6.一日に100PV以上行く日なんてほとんどなく、下手すりゃ1ケタの時もあるような状況にちょっと哀しさを覚える程度にはPVを気にしている。
(自分がこれだけ書いているということとか、自分の書いた内容に満足して終わっているナルシスト的要素がどちらかというと強い)
 
ざっくりとですが、こんなところでしょうか。
 
さて、上の記事にもあったように、ブログにおける「自分の譲れない信念・価値基準・判断基準」を、くろばこはどこに置いて書いているのか?という問いかけを自らにしてみました。
 
このブログは圧倒的に、くろばこの個人属性にベクトルが向けられた書き物ばかりです。
 
もちろん、他人が読むことを前提として公開していますが、内容は限りなく個人的なブログであることは否定できません。
 
読んでくれた人に何か価値を提供しているとか、そこに意識を置いているとは到底言えませんです。
 
本当は、そういう方向へシフトし自分自身とブログを成長させるべきなのでしょう。
 
しかし、自分が他人に対しどんな価値を提供できるのか?
 
それが、恥ずかしながらこの年齢になっても分かっていないのです。
 
それを探すための旅を、このブログでしようとしている気がします。
(ちょっと恥ずかしい言い回しでした)
 
以前にも書いたように、僕は自分自身と向き合うことをしてきませんでした。
 
向き合うという、その作業はどうやったらできるのだろう?と、考えたところ、文章を書くというのが自分には有効なのじゃないかと思い、内向きのブログを始めることにしたのです。
 
村上春樹の小説でよく出てくる「深い井戸の中に降りていく行為、そして井戸の底から上を見上げるようなもの」、自分がブログを書くイメージとか目的はそんなようなものです。
 
もちろん、村上先生のような深みのある文章とは程遠いんですけどね。
 
その為には、リア充みたいな記事書いても意味ないし、自分を凄い人物に思わせるような表現をしたって全く意味がないわけです。
 
もちろん、お金は欲しいですから、お金を生むようなブログにしようかなと考える事もあります。
 
けど、もともと、自分が他人に与えられる価値が何かすら分かってないのに、金儲けやろうとしたって多分上手くいかないだろうし、続かないだろうと思うのです。
 
なので、このブログで自分を成長させる、という事さえおこがましい気がいたします。
 
このブログにおける「譲れない信念」が何かというと、まずは「ひたすら井戸の奥深くまで降りてみること」、そして降りる事が出来たら「井戸の底から入り口を見上げてみること」の2つを体現することです。
 
その行為を実感し自分の言葉で表現できるようになったら、また記事にしてみたいと思います。
 
読んでくれる人に提供できるとしたら、せいぜいそんなところかな。
 
今回はちょっと、真面目?に書いてしまいました。