Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

人に迷惑をかけるなは、言い換えれば俺に迷惑をかけるなになる。

いや、タイトルそのまんまなんですけどね。
 
↑の記事読んでいて思ったことでした。
 
僕が、まさしく「人に迷惑さえかけなければいい」という思いがずっとあり、他人に頼み一つするにしても、「今、忙しそうだからやめとくかな」とか、「こんな事頼んだら迷惑かもな」とか勝手に想像してしまい、本当に頼むことができないのです。
 
他人を頼ることができない、いえ、他人どころか、親に頼み事をするのすら躊躇してしまいます。
 
もちろん、職場の部下に対しても同じ。
 
上司なんだから、もっとしっかりして頼むべき事は頼めばいいのに、それが出来ないのです。
 
他にも、例えば、自分が好きでやってるはずのバンド活動。
 
そろそろスタジオ入らない?とか、ライブやりたいんだけどどう?とか、そういう事すらメンバーに言うことができない。
 
みんな、色々と忙しいんだろうなとか、下手クソな自分に付き合わせるのも迷惑だなぁとか考えちゃって、結局のところは頼めないのです。
 
人を頼ることは、他人に頼み事をしている自分を、もう一人の自分が憐れんで見ているイメージ。
 
そこにあるのは、多分ですが、羞恥心みたいなものが渦巻いているんでしょう。
 
しかし、それだけであれば、気の小さい人間の戯言で済みますが、裏を返せばタイトルの通り「俺は人様に迷惑かけないように生きてるんだから、てめぇらも俺様に迷惑かけるんじゃねぇよ」という考え方をしていることになるのです。
 
もちろん、そこまで上から目線で思考しているわけじゃないですが、それでも、かなり近いところがあるように思います。
 
今までの、自分の生き方や行動を振り返ってみての話しですけどね。
 
自分は人様に迷惑をかけないように生きてるって自覚は、他人が自分に対してもそういう風に接しろと、心のどこかで無意識にそう考え言動していたのではないかと、今になって気付いた感があります。
 
Chikirin氏の記事にもあるように、他人から自分に少々の迷惑をかけられても、僕の今の思考では、その迷惑を寛容に受け止めることができず、そのことにより、自分がラクに生きられる道を閉ざしてしまっているのです。
 
だから、僕は友達が少ないのだろうし、周囲から何となく距離を置かれてる感があるのでしょうね。
 
こうした性格を変える事ができれば苦労はないのですが、少なくとも、他人に迷惑をかけない自分の思考は、必ずしも美徳で済まされるものではないということに気づけただけでも良しとしましょうかね。
 
できれば、他人に頼み事ができるような人間になりたいとは思うんですけど。。