Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

自己紹介&プロフィール(その4・社会人時代)

前回プロフィールの続き

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・社会人時代
大学を留年した5回生の時、あまりに取得しなければならない単位が多すぎた為、5年で卒業できないかもしれないという不安から、就職活動は全くしなかった。
逆に4年生の時は卒業できるはずもないのに、周りのみんながやっているから自分もというわけわからん理由で就職活動をしいくつかの内定もゲットしていた。(当時はバブル真っ最中)
こうして書き出してみると、現実を直視しないのが自分の悪い癖だとはっきり理解できる。
卒業できそうなことが判明した3月頃だったお思うが、とりあえずハローワークに行き採用してくれるところを探してもらったら、地元の建材商社を紹介されそこに就職することとなった。
実のところ、ハローワークで紹介された時も、入社してしばらくは、自分が就職した会社がいったい何をしているところなのかよく分かっていなかった。
いかに自分の人生の選択を他人任せにしてしまっているかがよく分かる。
その会社は大阪に本社があり、山陰でもいくつか営業所を展開しているところだった。
業務内容は地元の建設会社にガードレールやらセメントやら、まあ要は、建設工事に関するあらゆる資材を販売するところだった。
営業所採用なんで当然、営業社員としてノルマがあった。
営業だけはイヤだなぁと以前から思っていた自分にとって、その仕事に身が入るわけもなかった。
ただ、最初の1~2年目はラッキーにもそこそこの数字を残せたのだが、それが長続きするわけもなく2年10ヶ月ぐらいで退職することに。
次に就職したのが地元新聞社。
といっても半分ミニコミ誌みたいなところだった。
文章書くのは好きだったし、記者という響きに憧れて入ったが、そこがとんでもないブラック企業であった。
創業社長の理念は確かに立派なのだが、給与振込は平気で遅れるし、仕事で私有車使っても燃料代もらえないし、夕方からは酒&麻雀を社内の和室で開催するという会社だった。
社員は全部で20~30人ぐらいだったと思うが、元々家族経営的なところからスタートしているので仕方無いのかもしれない。
でも、給与支払の遅れとか休みが無いとかは、自分的にそれほど問題に感じなかったけど、新聞勧誘や配達員が休んだ時の代配作業ばかりの日々が続き、記事は書かせてもらっても広告記事ぐらいという状況に嫌気がさし退職。
ちなみに、いわゆるネタ記事を取材して書けるのは何故か女性社員ばかりだった。
たぶん、2年ぐらい在籍したと思う。
この時は、付き合っていた彼女(同棲していた)をフッって、新卒でその会社に入社してきた若くて可愛い女の子に乗り換え、2人でそのまま退職し婿入り結婚を決めた時でもあった。
こう書いていると、オレってホントにサイテーなヤツなんだと改めてジカクしてしまうが、今でも、あの彼女をフッてしまった事に懺悔の念を抱いてしまう。
で、その結婚生活も約3年で破綻、離婚することに。
原因は自分の浮気。
まあ自業自得だし、救いようのない大馬鹿モノであることは間違いない。
その後も転職は何度かすることになるが、結局はバイト的なものも含め合計で7回の転職、今の職場が8社目となる。
数えてみて自分でも驚いた。こんなに転職繰り返しているのか。
普通ここまでやったら、自分にサラリーマンは向いていないと気づくものなのだが。
いや、気づいてはいるが、他にやりようもなく現在に至っているのだろう。
但し、今の職場は約10年続いており、今までの最長記録となっている。