パリのテロ事件とFBトリコロール運動
色んな意見が出ていて、賛否両論あって、偽善だなんだと盛り上がっている。
テロで亡くなられた人達には哀悼の意を表したいが、やっぱりFacebookのカラー変更には抵抗を感じる。
まあ、これは人それぞれの感性による部分もあったりもするし。
僕は薄情な人間なので、なかなか遠いヨーロッパの国の人の訃報に対し、正直なところ、特別な感情を抱くことができない。
でも、中には自分の愛する人が死んだのと同じぐらいに思っている感受性の強い人もいるだろう。
そういう人は世の中には一定数存在すると思うので、心を痛め真剣に何とかしようと思うけどできないもどかしさを、Facebookのカラー変更で表現しようとしているのではないだろうか。
で、「テロで亡くなられたパリの人達」だけど、「フランスやロシアの空爆で亡くなられた人達」と置き換えた場合、そこのところはどうなんだろうという疑問が湧く。
当然だけど、フランスが空爆しているのは民間人ではなく、テロ組織であったりその拠点だとされているわけだが、果たして本当にそうなのか?
パリで起こったテロについて、我々はTV等の画面を通じて鮮明に見ることができ、その中で逃げ惑っているのが一般市民だということも確認できる。
だからこそ、哀悼の意を表明したくなるんだろう。
じゃあ、フランスが空爆している状況を、映像で我々は確認する機会があるだろうか?
空爆されている場所に、一般市民はいなかったのだろうか?
映画「ドローン・オブ・ウォー」というのがある(自分も観たことはない)。
それによると中東地域では西側諸国による無人空爆機ドローンの爆撃で、何十万人もの民間人犠牲者が出ているらしい。
つまり、パリで起こったテロ事件についてはニュース映像を通して我々も明確かつ視聴覚的に、市民が犠牲になった事が理解できるのだが、フランスを含めた西側諸国がイスラム諸国や中東諸国に対して行っている「何か」については全く知らないということ。
でも、本当の意味で誤爆なのかは当事者でないと分からない。
本当にイスラム国を壊滅させようと思うのであれば、空でなく陸から侵攻しなければ難しいだろうが、今のフランスにはそこまで国力に余裕が無いというところではないか。
無知は罪であるとよく言ったもんだが、色々と考えてみるにつけ、単純にきれい事で哀悼の意を表明するわけにもいかねぇんじゃね?と思ったりするのだ。
ただ、フランス政府は「今は戦争状態」だと宣言している。
戦争ならお互いに民間人含めて犠牲者が出るのは仕方無い、というか覚悟の上なんだろうから、その上で見ている人達がどっちの側に付くのかって話しなのかもしれない。
極論すると「今は本当は戦争状態なんだ、だから我々もいつ標的にされ殺されてもそれは仕方無い」という覚悟もこれからは必要になり、そうなると日本だけは安全という理屈はもう通らないよなぁって思う。
だから、呑気にFacebookのカラー変えてる場合じゃないかもよというのが、今日までのところの僕なりの結論。