自分が好きなことだと思っていたことがそうじゃないかもしれないとなったら
自分が本当に好きなもの、やりたいことがわからないのはやっぱりツライ。
今週は、久々にバンドメンバーと顔合わせをし、年末のイベント出演をしようかという話しになった。
で、昨夜はボーカルくんと二人で飲みに行き、イベント関連の情報収集やその他諸々の話しをしたりした。
結論から言うと、バンドメンバーで集まるのも好きだし、音楽関係の店に行ってアホ話をしたりライブの話しをしたりするのもそれなりに楽しいと感じた。
自分が本当に音楽、ギターが好きなのかずっと疑問だった。
今もその疑問はある。
例をあげれば、音楽をほとんど聴かない生活をここ何年も続けているが、別に苦になっていなかったりする。
もちろん、お気に入り曲が入ったWalkmanを聴くとテンションが上がるが、出張先のホテルで聴くぐらい。
ギター練習してもなかなか上手にならず、ライブ出てもヘタレのギタリストに入ると思う。
ライブを楽しむことより、演奏を失敗しない、かっこよく見せたいのに手が動かなくて自己嫌悪、だけどライブでは他の出演者の誰よりも注目されたいという、中二病バンドマンなのだ。
自分が下手だということは自覚しているが、それに真剣に向き合ってはこなかった。
バンドでギターを演奏するのも、音楽が好きだからというより、他人から凄いと思われたい自己顕示欲でやっているだけじゃなかろうかという疑問がずっとあった。
周囲を見ていると本当に純粋に音楽が好きでバンドやイベント回しているヤツがたくさんいて、自分とは違うんだろうなぁと思っている。
それは悔しさなのだろうか?
羨望なのだろうか?
音楽が好きだと思っていたけど、実はそれは偽り、自分を大きく見せたいための手段に過ぎないかったのではという事に気づき、自然と音楽を聴かなくなりギターも弾かなくなった。
20代、30代の自分は、音楽が好きでバンド活動ができる自分自信に存在価値を見いだそうとしていたように思う。
俺には音楽、バンドがあるから他のヤツとは違うんだよ、という事故防衛、自己正当的なアイデンティティだ。
恥ずかしくもなく、「No life no music」なんて周りに喋っていたりもした。
今じゃ全然音楽無しでも生きていける。
じゃあ、あれは全くのウソ、ハリボテのような錯覚だったのだろうか?
音楽が好きだというのは、自分を周りから差別化するための手段にしかすぎなかったのだろうか?
これについてはまだ悩んでいる。
ギターは確かに弾かなくなったけど、曲に合わせてギターをかき鳴らしている時は確かに気持ちよくテンションも上がり、「楽しい」という思いもあったから。
ただ、もっと上手く弾けたなら、他人から一目置かれるほど弾けるようになれたならもっと楽しいだろうと思ってしまう。
この部分が間違っていると指摘されるだろうが、卑しかろうがゲス的だろうが自分でそう思っているのだから仕方無い。
人間としてのレベルが低いという事実を突きつけられているともいえるけど、もうそれは開き直るしかない。
もっと上の次元で「楽しい」を語れると良いのにとは自分でも思う。