この人は凄いと感心させられる人の経歴もやっぱり凄い
僕が有名系のブログや啓発系の本を読むのは、今の自分に少しでも救いの道を見いだせるのではと思っているからですが、最近気づいた事があります。
いや、実は以前から気づいていたと思うのですが、あえてそこは見ないようにしていたのかもしれません。
僕が読んで感銘したり、あ~、こんな考え方や生き方もあるんだなぁと思ったりする人って、やっぱり一流大学卒の高学歴だったり起業経験者だったりするっていうこと。
「ニートの歩き方」で有名なphaさん、この人の文章ってすごく好きで考え方にも共感してしまうんですけど、京都大卒なんですよね。
「自分の頭で考えよう」のchikirinさん、マッキンゼー出身らしいですね。
わかりやすい例で挙げさせてもらいましたが、アメリカ企業で働いた経歴があるだとか、留学した経験があるだとか、Microsoft社で開発を担当していただとか、まあ、ようはそういうことです。
ものすごく卑屈な考え方だと思いますが、そういう人達の考え方や生き方にいくら共感したところで、下から数えた方が早い地元国立大卒の自分とはそもそも次元が違うんじゃないかということ。
僕が彼らのように生きてみたいと思っても、根本的なベースが違うのです。
僕は留学したこともなければ、外国人の友達だっていないし、英語もしゃべれないし、外国へ出張することもないし、地元(田舎)から出て働いたこともない。
プラグラムのコードも書けないし(Excelの簡単なマクロぐらいならできるけど)、特別な資格を持っているわけでもない。
そうなろうとする努力もしてないですが、唯一あるのは口八丁だけ。
しかも、もう45歳になろうとしている。
phaさんやchikirinさんの考え方や生き方には、すごく救われるような気がするんだけど、でも、もともとが違いすぎるという距離感も否定できないのであります。
僕のような本当に下世話で、下地も積み重ねも何も無く、武器も持たない人種が果たして彼らのようになれるのだろうか?と、ふと疑問に感じてしまうのです。
「それはあなた次第ですよ」という叱咤が出てくるでしょうが、その言葉に何の具体性も見いだせない僕のような人間は、ほとんど響かない。
でも、あちら側に行きたいと常に願っている。
本当に僕自身の救いになるのは、自分と同じようなベースの人、車で言えばベンツやBMWではなく軽自動車がどのように新しい生き方を作り上げていったか、という話しじゃないだろうかと思ったのであります。
この例えは、ちょっとわかりにくかったですかね(^^ゞ