24時間テレビ
夏の終わりにある恒例行事「24時間TV」。
ほぼ見てないし、どうでもいいと思ってるけど、ちょっとだけ書いてみる。
僕はチャリティやら福祉といった活動に、どうしても関心が持てない。
必要だとは思うし、もし自分がそういった行為を必要とする立場(世間一般でいう弱者)になったら、それはありがたいと感じるんだろうけども。
こういう僕は、非常に薄情だと思うし自分オンリーなヤツだとずっと感じていた。
興味がある無しの問題で語ったらいけないのかもしれないが、無関心な僕からすれば本当にどーでもいい放送なわけだ。
どーして、どーでもいいと感じるのか?
それはあの番組の「痛さ」にあるように思う。
ほぼずっと生放送で、その中で出演者や参加者との無理矢理なやり取りだったり、かみ合わない話しだったり、強引にありがたさを演出しようとしたり、ともかく、見ていて痛々しいのだ。
だいたいにしてTVの生放送バラエティは、出演者や演出にもよるが、痛々しく感じることが多い。
そう考えると、「笑っていいとも」や「8時だよ!全員集合」は凄いのかもしれない。
ともかく、24時間TVはひたすら痛さしか感じず、なんでTVの前の俺がこんな緊張せなアカンねん!と突っ込みたくなってしまうのだ。
ありきたりな言い方なら、「カンドーの押し売り」?
まあ、ジャニタレがいくらギャラもらってようが、制作費がいくらかかってようが、視聴率は15%ぐらい取るのだから、押し売りTVでも観たい人はたくさんいるってことなんだろう。
番組の需用はあるのだ。
その需用を作り出しているのは、僕ら一般視聴者なんだけどね。
もしかしたら、あの内輪ノリに入れてもらえないという疎外感が、僕をそのような気持ちにさせているのだろうか?
1円玉の入ったペットボトルを持って、キーTV局の玄関にでも行けば、痛さを感じなくなるかもしれない。