Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

24時間テレビ

夏の終わりにある恒例行事「24時間TV」。

ほぼ見てないし、どうでもいいと思ってるけど、ちょっとだけ書いてみる。

僕はチャリティやら福祉といった活動に、どうしても関心が持てない。

必要だとは思うし、もし自分がそういった行為を必要とする立場(世間一般でいう弱者)になったら、それはありがたいと感じるんだろうけども。

こういう僕は、非常に薄情だと思うし自分オンリーなヤツだとずっと感じていた。

興味がある無しの問題で語ったらいけないのかもしれないが、無関心な僕からすれば本当にどーでもいい放送なわけだ。

どーして、どーでもいいと感じるのか?

それはあの番組の「痛さ」にあるように思う。

ほぼずっと生放送で、その中で出演者や参加者との無理矢理なやり取りだったり、かみ合わない話しだったり、強引にありがたさを演出しようとしたり、ともかく、見ていて痛々しいのだ。

だいたいにしてTVの生放送バラエティは、出演者や演出にもよるが、痛々しく感じることが多い。

そう考えると、「笑っていいとも」や「8時だよ!全員集合」は凄いのかもしれない。

ともかく、24時間TVはひたすら痛さしか感じず、なんでTVの前の俺がこんな緊張せなアカンねん!と突っ込みたくなってしまうのだ。

ありきたりな言い方なら、「カンドーの押し売り」?

まあ、ジャニタレがいくらギャラもらってようが、制作費がいくらかかってようが、視聴率は15%ぐらい取るのだから、押し売りTVでも観たい人はたくさんいるってことなんだろう。

番組の需用はあるのだ。

その需用を作り出しているのは、僕ら一般視聴者なんだけどね。

もしかしたら、あの内輪ノリに入れてもらえないという疎外感が、僕をそのような気持ちにさせているのだろうか?

1円玉の入ったペットボトルを持って、キーTV局の玄関にでも行けば、痛さを感じなくなるかもしれない。