Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

せどりに社会的意義はあるのかい?

以前、せどりを本格的にやってみようと思い、ネットで情報を漁りまくって実際にやってみました。(最近はほとんどやってません)

 

もう出尽くした感のあるネタなので、ネット住人で知らない人はあまりいないだろうと思われますが、簡単に説明すると、、、

 

ブックオフなどで古本やCDを買って(仕入)、それをAmazonマーケットプレイスヤフオクなどで売って(販売)利ざやを稼ぐ行為を言います。

 

仕入先は別にブックオフじゃなくてもいいですし、販売経路もAmazonヤフオクでなくてもいいです。

 

けど、どこにでもあって誰でも手軽に利用できるということで、大半のせどらーは上記を利用していると思われます。

 

知らない人からすると、そんなんで稼げるのかと思うでしょうが、上手くやれば実際にブックオフの105円本を5,000~8,000円で売ることが可能で、僕自身も美味しい思いを何度かしたことがあります。

 

こう書くと、せどりって凄く美味しい話しだと思われそうですが、あくまで需用があればという話しにすぎません。

 

そういう本やCDは実際に店に探しに行って、1日かけてもわずかしか見つかりません。

 

見つかれば良い方で、実際には薄利な商品を数多く買ってAmazonに出品するパターンがほとんどです。

 

まあ、せどり経験談(といっても僕はなんちゃってせどらーなのであまり参考になる話しはないかもしれませんが)は、また別ネタで書いてみようかなと思います。

 

今日書こうと思ったことは、せどり商法の社会的意義って何だろう?とふと疑問に思ったことです。

 

この世にある仕事や商売って、生活や生きていくために必要だから生まれたと思うのですが、やっぱりそれぞれに社会的意義、貢献のようなものがあるわけです。

 

僕は自己チューな人間なので、周りの人の幸せだとか貢献には頭が回りません。

 

どちらかというと、自分さえ良ければというタイプです。

 

そんな僕ですら、せどり商売というのは一体、何の役に立っているんだろうと思ってしまうのです。

 

なかなか出回らないレアな商品を流通に乗せる手助けをしている、と言えば聞こえが良いかもしれません。

 

でもねぇ、、せどりって買う人(客)のことあんまり考えてない気がするし、せどる商品に対しても愛情が無いし、自分が儲かることしか考えてない商売だよなぁって。

 

もしかしたら、高尚な気持ちでやってる人もいるかもしれないんですけど、ネット上のせどらーブログを見る限り、そういう人、お見かけしたことが無い。

 

僕は昔からバンドやってることもあってか、音楽CDのせどりが得意です。

 

自身でもCDコレクションが約2,000枚ぐらいあります。

 

そのせいか知りませんが、ブックオフの250~500円CDコーナーで定価以上で転売できそうな商品を見つけるのが得意で、これまでけっこうお世話になりました。(もちろん、せどり時間はかかりますが)

 

ある時、CDせどりやっていて、ふと思ったんです。

 

僕がせどったCDをネットとかで定価以上で購入する人は、このアーティストが好きだから中古でもその値段で買うんだろうけど、僕はそのアーティストについては大して思い入れがない。

 

逆の立場だったらどうだろう?

 

僕がどうしても欲しいアーティストのCDを、せどりでたまたま見つけただけのヤツから、中古なのに定価以上の価格で買わなければならない。

 

手に入れる方法がそれしか無いとはいえ、割り切れない気持ちになったのであります。

 

せどり商売そのものは、安く仕入れて出来るだけ高く売り抜ければいいのだから、定価以上ふっかけたって需用があるならそれでいいとは思います。

 

しかし、僕のように好きなアーティストのCDをブックオフで探すことが好きな人にとって、ただ転売するためだけに他人に購入されてしまうことに無情さを感じるのであります。

 

そこに社会的意義はあるのかい?

 

自分さえ儲かれば良いのかい?

 

これ、自分に問うてるんですけどね。

 

必要性(需用)があるから、せどり商売が存在しているのは確か。

 

でも、自分含めて、社会的貢献度が限りなく低い商売だなと感じているわけです。