Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

マイカーを買い替えて思うことは、田舎もなんだかんだで金がかかるということ

7年前に購入した日産ノート(新車)の3回目の車検期日が迫り、知り合いの車屋から買い替えの提案をされてそれに乗ってしまった。

今乗っている車は、走行距離が約10万キロ、車検見積が約17万円。

元々は買い替え提案があっても、車検を受けてもう2年は最低でも乗ろうと考えていたけど、新型日産ノートe-power発売にあたり、今のe-power展示車を諸々込みで180万円でどうかと言われ、思わず首を縦に振ってしまった。

その展示車のグレードはノートe-powerX、ナビはもちろん、ドラレコ前後搭載、踏み間違い防止等の各種安全装置有り、冬用タイヤも付いて、しかも走行距離1100kmとなれば、心が動いてもしょうがないと自身で納得。

しかしながら、納得とは言っても180万円の出費は大きい。

2年前には妻の車も160万円で買い替えたばかりだ。

アパートで夫婦二人暮らしの子供無しで共働きではあるが、別に高級取りというわけではない。

にも拘らず、マイカー2台持ちという贅沢をしなければならないのは、これも田舎暮らし故のこと。

圧倒的に公共交通が未発達のローカルでは、県庁所在地のごく中心部ぐらいしか、公共交通を使っての通勤ができない。

電車やバス通勤が全く不可能というわけではないが、恐ろしく手間と時間がかかり、だったらマイカー使った方が早いだろという結論に自然と行き着く。

確かに家賃は東京と比べて圧倒的に安いが、マイカーを所有する費用を考えると田舎が安く暮らせてるとは到底実感できない。

車は購入して終わりではなく、燃料費や車検、修理、税金等を含めた維持費がかかる。

先ほど書いたが、山陰地方のような寒冷地では冬用タイヤ(スタッドレス)も必要となるので、車を買う時にそれが付いてるとなると、非常に有難いのだ。

だがタイヤも消耗品なのでだいたい3シーズンぐらいで、次のタイヤに買い替えなければならない。

車体の大きさにもよるが、今回購入した日産ノートの冬用タイヤ4本で7~8万円はする。

探せば安いのもあるが、特に冬用タイヤは安全を優先したいので、ブリヂストンなどのしっかりしたメーカーを選ぶようになる。

このように色々と考えると、年間にけっこうなお金を車に否応なしにつぎ込んでおり、日常生活のためとはいえ、どうにかならんものかと思い悩むのだ。

再度言うが、田舎も普通に生活しようと思うとけっこうお金がかかる。

車無しでも生活はできるが、そうするとやれることは限られる。

あと、食費や生活用品などは東京などの都会の方が安い。

それでも田舎暮らしに憧れるというなら別に構わないが、僕は逆に東京の方がかなり魅力的だと感じる。

 

人はいつどうなるかわからない

記事タイトルよく聞くフレーズなんですが、僕は割と結構意識してます。

例えば、多目的トイレ不倫で叩かれる芸人のニュースを目にして思うのは、自分は彼のことそんなに責められないなって。

誤解しないで欲しいのは、自分も実際にそういうことをしているからではなく、心の奥底にある、そうした欲求が否定できないということ。

もちろん、実行するのとしないのでは大きな差がありますが、自分はたまたま抑制できているだけで、もしかしたらどこかでそういう下衆なことをやらかすかもしれないと思っている。

それに過去の自分の行いを振り返ってみると、常に異性に対し誠実に接してきたかというと、決してそうではなない。

過去の自分は、あの芸人を非難できるような生き方はしてないよなって常々思うのです。

また、東池袋自動車暴走事故で母子を死なせた上級国民と揶揄された高齢者についても同じように思うのです。

確かに悲惨な事故だし、未だに自分の責任回避をする姿勢には憤りを覚えます。

罵詈雑言を浴びせたくなるのもわかります。

でもね、その老人は88歳になってまさかそんな事が我が身に降りかかろうと想像していたでしょうか。

この件に限らずですが、70、80歳過ぎた人が人殺しで捕まったりとかいうニュース見ると、僕はいつも思うのです。

もう余命わずかのところで、晩節を自ら汚すことになるとは本人からしたら思ってもみなかったことではないでしょうか。

また、逆のパターンと言いましょうか、80歳過ぎた老人が火事で焼け死んだり、事故に巻き込まれて亡くなったりする話しを聞くと、それまで平和に生きてきたのに最後は大往生できないという、ちょっとした儚さを感じてしまいます。

でも、これって自分がそうならないとは限らないんですが、SNSのコメントとか読んでると、自分は決してそうならないっていう人たちが大勢いらっしゃるんですよね。

僕にはそれが不思議でならない。

加害者になるのか、被害者になるのか、それはわからないけど、人はいつどうなるかわからない。

もしかしたら自分の子供が加害者になる日がくるかもしれない。

まあ、僕には子供がいませんのでそのリスクは無いですが、ずっとそんなことを考えて生きております。

久しぶりの東京出張

先週のことだが、1泊2日で東京出張に出かけた。
 
折しも、タイミングの悪いことに新型コロナ感染者数が増加しメディアがまた騒ぎ始めた時だったのだが、出張そのものは11月頭のところで調整(先方からの要請)したものだから、どうしようもない。
 
どうしようもないというより、個人的には中止したり延期する気もなかったので、そんな情勢は知らんぷりという感じだったけど。
 
新型コロナに関しては、自分は経済を回すべきという考え方なので、マスコミも世間もいつまで同じような大騒ぎをしているのだろうと、正直嘆いている。
 
春前だったか、どこかの偉い先生がこのまま何の対策もしなければ40万人が新型コロナで死亡するとか言っていたけど、あれ、どうなったんだろう?
 
未だにインフルエンザ死亡者数よりも少ない。
 
どう考えたって、新型コロナはこのまま風土に土着するウィルスになるので、その前提で対応すれば良いと思うのだが、今日の感染者数は何人とか毎日報道するから、マジョリティの人達が踊らされて自粛警察なるものまで出現するのだ。
 
毎日、どこかで誰かが風邪をひいてるように、新型コロナの日々の感染者はゼロになることはない。
 
ちょっと話が逸れたので元戻し。
 
羽田もガラガラだったし、京急も楽に座れたし、なかなか見ることができない光景だった。
 
人が少ない東京というのは、これはこれで満喫し甲斐があったけど、ずっとこの状態だったら、東京という街は維持できずに衰退していくだろうなとも感じる。
 
田舎もんからしたら、アホみたいに多い人込みや混雑はうんざりもするが、それが無くなったら、それはそれで東京という街のパワーが無くなるのだと思う。
 
人が集まるということは、そこにそれだけ多くのパワーが生み出されるということでもある。
 
もちろん、それは正悪どちらでもあるが。
 
翌日は朝一のアポのみであったので、帰り便までの空き時間を使って青山墓地の周辺をぶらぶらしてみた。
 

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こんな東京のど真ん中、しかも一等地にこんな空間があることに改めて驚く。
 

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ここに限らずだが、東京を散策してみると、あちこちに緑や公園があり、この街はこういうところで上手くバランスを取っているのだろうと、いつも感心するのだ。
 

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やはり、東京という街は面白い。
 
昼は五反田駅近くの後楽そばで焼きそばを食べた。以前は有楽町駅のところにあったが、こっちに移転したらしく移転後では初めて来た。

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注文してから1分とかからず出てくる正真正銘のファーストフード。味も凄く美味しくて、本当だったら大盛頼みたかったぐらい。

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でも、このお店も12月中に閉店することが決まったらしい。
理由は新型コロナの影響ということだ。
こうしたお店がやっていけなくなる本当の理由は、新型コロナそのものじゃなく、経済を回すことにヒステリックに反対する同調圧力のような空気感なんだけど、それを大声で言うと叩かれるから誰も声をあげない。 
ということで、どうでも良い東京出張雑感だったけど、帰ってからはいつ新型コロナの症状が出るかビクビクしながら生活している(^^;)

これが大企業のやり方か

タイトルは大仰だけど、中身はそれほどの話しでもない。

けど、ちょっと上から目線的なやり方だなと感じたので記しておく。

ある大手コンビニ会社と取引がある。
(実際は直接取引ではなないが、説明がめんどくさいので省略)

先日、原料の仕様を変更したいとのことで、わざわざこんな片田舎まで、それなりの役に就いておられる方々が見えられた。

テーブルに着くと、先方がこの日のために作成した資料が配布された。

タイトルは「〇〇商談リスト」とある。

商談日、商談者、商談場所、商談内容が書いてあり、仕様の変更点や変更理由などが書かれている。

その内容に沿って、先方の担当者が読み上げながら説明し、新たな仕様に合わせて原料加工や管理をお願いしたいとのこと。

ここまでのようなことは、企業同士の取引の中でよくある話し。

お互い資料に基づいて確認するという、一見普通の感じだったのだが…、

実は、資料の商談リストに記された仕様変更の中身が、かなりかなり厳しい条件となっていた。

これまでの経緯はここでは省いてあるが、力関係は決して対等ではなく、こちらは先方の言うことにずっと盲従せねばならない状態であり、今回もなかなか「これは無理です」と言える感じではなかった。

もちろん全部が全部、無理な条件ではなかったが、時と場合によってはその仕様に合わない状況も考えられるという感じ。

そこらへんをやんわり伝えたが、「まあ、それはその時にまた相談下さい」って、いつものパターン。

どういうことかと言うと、「その時」が実際にきて先方に相談したら、「いやそれはダメですよ」ってなるのが通例なのだ。

ここで肝となるというか、クセモノなのが「商談リスト」。

商談リストと命名してはあるが、実際にはこれがそのまま相手の会社内では商談議事録として扱われる。

そう、これからこの商談リストを元に協議しましょうではなく、既に決まったことだからきちんと対応してねっていう文書なのである。

その証拠に、商談リストの下段に「上記内容について了承しました」という一文のもと、署名蘭と押印欄があり、最終的には後日それを相手先にPDFで送付しなければならない。

それを送付したら最後である。

こちらが相談したくても、「『承認しました』ってここに押印してあるよね?」と言われておしまい。

いやいや、大企業って怖ぇ~って、毎度のことながら実感してしまうのであった。

 

アメリカでも日本でもメディアの本質は同じなのかも

トランプ大統領の再選、かなり厳しい状況のようだけど、個人的にはバイデン氏って裏で何やってるかわからない雰囲気が強くてあまり好きになれない。

TV報道見ていると、CNNなんかはその最たるものだけど、アメリカメディアの大半はトランプ嫌いってのがよくわかる。

日本のメディアも、登場するコメンテーター含めてだいたいがそんな感じ。

木村太郎さんぐらいなもんかな?トランプ好きなのって。

トランプに不利な報道はするけど、バイデンの腹黒そうな部分とか不都合なことは報道しないっていうのが見え見えなんだよね。

実はアメリカの分断は、オバマ前大統領の時から始まっていた事とか、武装して過激な行動をして恐れられているのは本当は左派の人達だったりとか。

バイデンの石油業界失業発言も大きく取り上げられてないし、息子のスキャンダルネタとか、完全に蓋してしまってる感じだし。

まあ、メディアがそういったバイアスかかりまくってるのは、ネットに精通している人であれば常識なんだろうけど。

日本でも大阪都構想の報道で、毎日新聞がデマ情報を平気で流して知らんぷり決め込んでたりするのを見ると、自分たち(メディア)の思想に相容れないものに対して、平気で嘘をついたり隠したりするっていうのがよくわかる。

メディアに求めるのは、格式高い思想やご高説じゃなくて、出来るだけ客観的な事実なんだけど、どうしても「自分たちの正義」を振りかざしてくる。

さらに面倒なのは、その「自分たちの正義」報道に心酔して、それ以外のことを見ようとしない人達が世の中にわんさか出てくること。

今回のアメリカ大統領選を見ていて、メディアというのは日本もアメリカも大して差がないんだなと実感した次第。

 

50代になると体のガタを余計に自覚する

2か月ぐらい前からだろうか?

右肩?右腕?に痛みを感じるようになり、一定の方向に腕を伸ばすとかなり辛い状況になった。

俗にいう五十肩なのか、それとも別のものか不安になりGoogle先生に聞いてみると、「腱板損傷」というキーワードが出てきた。

五十肩と思っていた人が実は腱板損傷だったということがよくあるらしい。

腱板損傷はその名の通り、実際に筋肉である腱板が損傷してしまうもので、原因は主に加齢によるものとのこと。

喘息で通院している病院が、たまたま整形外科もやっているので受診しレントゲンを撮ってもらったら、腱板損傷ではなく一安心。

ということで五十肩の可能性があるとのことだが、よくよく症状を自覚してみると、肩というより腕の筋が痛い感じなのだ。

そして、思い当たる節も実はあって、ギターを弾いていて痛めたのではと思っている。

そんなことある?って思われるかもしれないが、自分もそんなことある?って驚いている。

でも、普段大して運動もしていないし、右腕を酷使した覚えもないので、ギターを弾いている時に痛めたのは確実。

弾いてた曲にも、ああなるほどと思うのだ。

麗蘭の「Music」という曲。

久しぶりに弾いてみのだが、この曲、ほぼ16のカッティングでけっこう右腕を酷使する。

普通、単音ソロ弾きの練習であれば、いくらヘタッピな僕でも右腕にそれほど力を入れることもないので、痛くなったりしないはず。

でも16ビートのカッティングを延々とやっていたら、50過ぎのヘタレギタリストは右腕を痛めるということか。

原因については、自分でそう納得しているが、それにしても情けない。。

それ以外での体調不良が、偏頭痛である。

これも原因が特定できている。

僕は喘息もちだが、その手の人がよく併発するアレルギー性腹膜鼻腔炎のせいである。

腹膜鼻腔炎は、鼻の奥の鼻腔が腫れて空気の通り道が狭くなるのが一般的な症状だが、菌が入って出にくくなった鼻水が鼻の奥で膿んで炎症を起こし、それによってオデコのあたりが痛くなるというもの。

蓄膿症ってやつね。

10年ぐらい前に、鼻腔に出来たポリープ(通称鼻茸)を取る手術をして、一旦は症状が改善されたんだけど、喘息もちの人はまた再発する可能性が高いとのことで、今の自分がまさにその状況なのである。

喘息を診てもらっている医者に、炎症を抑える抗生物質処方してくださいって、先週泣きついて出してもらったんだけど、「ちゃんと耳鼻科で治療しないと根本的な解決になりませんよ」って釘刺された。

言われなくてもわかってるけど、耳鼻科に行ったら「また手術しましょうかね」ってなるのが目に見えてるから行きたくないんだよね。

最低一週間は休まないといけないというのもあるが、それは微々たるもの。

一番嫌なのが、術後、鼻の奥にぐりぐりとガーゼを詰められ、それをほじくり出される時の恐怖。

思い出しただけでぞっとする。

なんとか薬だけで治らないものか、せめて症状を抑えることができないものかと夢見ている今日この頃。

ともかく、今は右腕と頭の痛みに耐え、嫌な仕事にも耐えながら生きている。

20201020心境

新部署に急遽の人事異動となり、それから早くも半年。

全くわからないことだらけだったけど、大小の失敗を重ねながらなんかこなす日々。

最近は、それでも少し余裕もできた。
(こうやって仕事の合間に駄文書けるぐらいには…。)

つい最近、52歳の誕生日を迎えたが、特に感慨深いものはやっぱり湧かない。

というか、50歳過ぎても、新しい部署での仕事ぶりは新人となんら変わることなく、年齢重ねて且つ管理職であっても、堂々とした感じになれないものだと、つくづく実感。

どうなんだろう?

経営トップとか、それに近い役職にでもなれば、毎日腕組みして「お前らしっかりやれよ」ってな具合の仕事ぶりになるんだろうか?

そして、未だに思うのは、50歳という年齢を超えても、生き方が全然楽にならないのは何故だろうということ。

よく耳にするのは、50歳近くになると肩の力も抜け、スっと楽に仕事ができるようになったとか、生きられるようになったとか、そんな話しが多いんだけど、そんなのウソじゃんって(^^;)

もしかして、楽にならないの俺だけ?

いまだに仕事の日の朝は倦怠感だけだし、このまま仕事続けて何になるんだろうとか思って意気消沈するし、週末だけを待ちわびる生活だけど、日用の昼12時を過ぎたあたりから、月曜日のこと考えて半ウツっぽくなったりとか、ずっとこんな状態なんですけど。

ってなことをつらつら思いながら、仕事の合間にメモ代わりに書いてアップしてみたのでした。

ということで、まだ生きています♪