Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

メンタルが落ちている時は好きだった事も楽しめない

9月に入ってから不調という記事を書き、10月に入った今もそこから抜け出せておりません。
 
その記事の中で、なんとか状況を変えようとライブ出演のお誘いに乗ることにしたと書きました。
 
で、実際に出演してみてどうだったかというと、全然楽しめなかったのです。
 
ほぼ苦痛でした。
 
色々と要因はあるのですが、一つには、思ったほど曲にのめり込んで練習できなかったことがあります。
 
今回はバンドスタイルじゃなくて、ギター&Vo1人、コーラス1人、ギター担当くろばこという3人のアコースティック編成。
 
曲もすぐに出来そうということでブルーハーツから選曲。
 
ボーカルの人は、関西から遊びに来るついでにライブも出ちゃおうって感じだったので、3人で合わせてのリハや練習もできないという想定でありました。
 
僕もギターのお誘いを受けた時は、久しぶりだし、自分が求められているという嬉しさもあり、全然OKという返事をしたのですが。。。
 
なんだかんだで曲を覚えたり練習したりする時間が取れなかったこと、時間があっても、あまり前ノリな感じで取り組めなかったです。
 
多分、メンタルがずっと落ちていた事で、全ての物事に対しやる気や楽しさを見いだせなくなっていたのだろうと。
 
もうこうなると後は負の連鎖で、練習できていない→覚えるので精一杯→多分本番はミスする、というネガティブ思考のまま本番に入ってしまい、表面上は楽しく振る舞っておりましたが、もの凄く重たい、気怠い気持ちでギターを弾いたのであります。
 
間違えちゃいけないソロとかだけは、目をつむっても弾けるぐらいにやったのに、想像通り本番ではやっぱりミスってしまい情けない気持ちでいっぱいに。
 
びくびくしながらやるライブって、本当に嫌なものです。
 
本来、自分が楽しむためにギター弾いてるはずなのに、もはや苦行、苦痛でしかなく、終わっても充実感もなし。
 
ただ、やっと終わったという安堵感のみでした。
 
これまではライブ出演やギターを弾く事は楽しい行為だったと思っていたのが、こんなにも精神的苦痛に感じるなんて、我ながら驚きでした。
 
心が落ちている時は、できるだけ楽しいことをやるのが良いみたいな話しもありますが、今回の僕の場合は全く効果なしというか、更に自己嫌悪に陥るって感じでした。
 
例え好きな事とはいえ、それをやるにもエネルギーが必要で、心が病んでいる時はそのエネルギーすら無いから、土台無理な話なのでしょう。
 
いつこの不調常態から脱することが出来るのか。
 
今までもこういう状況はあったと自分に言い聞かせますが、ちょっと良い時期が続くと、落ちている時の事は忘れてしまうから同じ事の繰り返しなんだろうなと反省しております。
 
でも、嫌な事は忘れるように出来ているのも人間の特徴なんでしょうがないですよね。
 
やっぱりジタバタせず、ひたすら大人しく暗黒が過ぎるのを待つしか無いということでしょうか。

しんどい時でも平常運転

またまた、個人的な僕の病んでる話です。
 
申し訳ありません。
 
簡単に済ませます(^_^;
 
9月に入って病んでますってお話しを書きましたが、まだ回復の兆しは見られません。
気持ちが上向きになりかけると、何か色々と事が起こります。
 
そういう星の巡りだとあきらめてはおりますが。。。
 
こないだは、嫁から「最近、ずっとイライラしているでしょ?凄く怒りっぽいよ」と言われてしまいました。
 
唯一の楽園である自分の家は何とか平常運転で行きたいと思っていたのに、それすら叶わないようです。
 
嫁にきつくあたっている自分が情けない。
 
せめて嫁さんには優しくありたい、そうじゃないと本当に自分はクズ人間になってしまうと自覚していたけど、気付いたらイライラをまき散らしていて、でも、それも思い当たることだらけで情けない。
 
今日も今日とて、仕事でちょっとした揉め事がありました。
 
詳細は書けませんが、当初の打ち合わせ通りにこちらとしては物事を進めていたはずだったのに、いつの間にか優先事項が変わっていて、「え?そんな話しじゃなかったでしょ?あの時、打ち合わせで皆さんそれで行きましょってなったじゃないですか」と言ってしまう感じのことがあり、もはや自分の記憶すらおかしくなってしまったのだろうかと疑ってしまいました。
 
先方には「私の解釈がおかしかったでしょうか?」と聞いてみましたら、うやむやに流されてしまったので、そこは間違ってなかったのでしょう。
 
ただ、経過する時間の中で、刻々と状況が変化し、相手の考え方も変化し今に至るって感じなのだろうと理解。
 
自分の方が正論だと思っているだけでは、物事は解決しない。
 
相手も自分が正論だと思っていれば尚更。
 
凄く不条理、無情だと感じても、相手があるというのはそういうことなんでしょう。
 
仕事していれば、こういうことは別に珍しくはないのですが、良い時勢の時はそれがトラブルなどには転ばないけど、今のような底に沈んでいる時は悪い方向へ進んでいくのだろうなと実感しております。
 
僕は、よく書いているように、メンタルが病んでる時とか精神的にまいってる時は、ほとんど何もしたくなくなります。
 
何も手が付けられなくなり、ただただ、野生動物が傷ついた時にうずくまってじっとしているように、何も動きたくなくなるのです。
 
僕が猫だったらそうしていればいいのでしょうけど、日々の生活、仕事がある中ではそうはいきません。
 
最低限の事はこなさなければならない。
 
こんな時に、全てほっぽり出して逃げられたら楽なのに、どうでもいいプライドが邪魔してそれもできません。
 
どうでもいいプライドとは、他人から「あいつは使えないやつ、出来ないやつ」と思われたくない自尊心。
 
でも、周りを見ていると、他の人達は毎日、同じように仕事をこなし、雑談をし笑っています。
 
恐らくは、色々と辛いことや悩み事、トラブルも大小はあれど抱えてるはずなのに、平常運転しているのです。
 
底に落ち込んでも、日々の仕事や生活は出来るだけ乱さずにいつも通りでいられる人間、そういう人になりたいなぁと思っています。
 
その点において、僕は確実に他人より劣ってるとは自覚するようになりましたが。
 
これもいつも書いてるように、思ってるだけじゃ駄目なんですけどね、というお話しでした。

僕は窮地に追い込まれないと事を起こそうとしない

前回記事で9月に入ってからメンタルがかなりヤバイ状況だと書きました。
 
その時にふと気付いたことを少し記しておきます。
 
メンタル不調となり、今いるところから逃げたいと思うと同時に、何かをしなければならないという焦りもわき起こりました。
 
人間が死に直面すると、種の保存欲求が本能的に芽生え性的衝動に駆られるのと似ているのかもしれません。
 
今回の自分の場合だと、
 
「外国語の勉強して、なにか新しい道を切り開こう(今とは違う世界へ)」とか、
株式投資の勉強をして、家にいながら収入を得る道を探そう」とか、
「転職求人サイトに登録してリサーチしよう」とか、
「喫茶店を開業するなら費用や収支がどのくらいかシミュレーションしてみよう」とか、
 
本当にあれこれ、色んなことが頭の中をよぎり、なんだか凄い焦燥感を抱いたのです。
 
どれもすぐに結果に繋がったり成果が出るものではなく、普段から継続的に取り組みをしてないといけないものばかりですが、心が安定している時とか穏やかな日常を送っている時というのは、得てして何も行動しようとしないのが自分なのです。
 
変化を求めない心が自分にはあり、でも、日常やメンタルを乱されることによって、重い腰を上げて行動を焦りだす。
 
逆に言えば、本当に凄い人は、普段の平常時から何か行動を起こすためにコツコツ準備出来ている人なのでしょう。
 
何か事を起こせよ、というお告げが自分にあったと、前向きに解釈することも出来ますが、やっぱり普段は何の準備もしていない人間は、急には行動を起こして結果を出すことは出来ないのであります。
 
調子が良かろうが悪かろうが、常日頃から少しずつ何かを継続している人間が窮地に陥ってもやっぱり一番強いのだろうなと、50歳を過ぎて気づき、実感したというお話しでした。
 
 
 
 

9月に入って病んでます

思い返せばってそうかも、って感じなんですが、毎年この時期になるとメンタル面がかなり低下しヤバイ状況になります。
 
どうヤバイかっていうのが、なかなか説明しづらいのでありますけど。
 
何をやっても、何を見ても、何を探っても、自分の前にあること、やらないといけないことが非常にどうしようもなくつまらないもので、それをやったところで無意味というか、何も喜びが見いだせない、そんな感じ。
 
どこにも逃げられない、目の前にある、やりたくないけどしなければならない事から逃げられない。
 
自分にずっとのしかかる閉塞感。
 
このどんよりした気持ちというか、頭の中、心の中をテキストに起こすのは非常に困難ですが、ようはそんな状況下にあるということです。
 
色々と仕事でトラブったり、スムーズに事が運ばなかったかったりして、それが今の自分にダメージを与えているというのも確かです。
 
あ~、逃げたい。
 
でも、どこへ逃げていいのやら。
 
唯一の希望は、早く退職しようという気持ちだけ。
 
でも、それって根本的な解決になってないぞと指摘する、もう1人の自分もいます。
 
とにかく、何か楽しみを見つけなければと思い、ドラクエウォークのアプリダウンロードして、休日は街を歩き回ってみたり、9月末には小さな音楽イベントに出演することにしてみたり、なんとかもがいてます。
 
それでも、仕事に出勤すると、どんよりした気持ちに覆われ、すぐに家に帰りたい気持ちを抑えながらこれを書いてたりします。
 
あんまり、占いは信じたくない方なんですが、調子が悪いとどうしても、今年の自分の運勢がどうだったかリサーチしてしまいます。
 
僕は水星人プラスということで、今年から四柱推命では大殺界らしいです。
 
う~ん、なんかこういうのを見た時点で負けてるなぁと、妙な敗北感も味わったりして、でもなんとか生き抜こうとしている最近のくろばこでした。

立花N国党首はやっぱり残念で気持ち悪い件について

「立花N国党首、マツコをぶっ壊す!生放送中のスタジオ前で大演説」
 
というネットニュースが出ておりました。
 
以下、8月13日のスポニチアネックス記事より。
NHKから国民を守る党の立花孝志党首(51)が12日、東京都千代田区のTOKYO MXのスタジオ前を訪れ、同局の番組でN国を批判したタレントのマツコ・デラックス(46)に猛反撃した。マツコが生放送の情報番組「5時に夢中!」(月~金曜後5・00)に出演するすぐ外で「投票した有権者をばかにするな!」と大声を張り上げた。
 
 マツコは7月29日放送の同番組で、N国について「気持ち悪い人たち」「ふざけて入れた人も相当いると思う」「宗教的」と否定的な見方を示した。これに立花氏が激怒。反論の機会を求めて同番組への出演を要望し、この日の“出待ち”をユーチューブの動画で予告していた。
 
 100人超の支援者や警戒する警察官らで騒然とする中、立花氏は生放送中の午後5時すぎに到着。ガラス張りで室内が見えるスタジオ正面で演説を始め「公共の電波で“ふざけてる”とか“気持ち悪い”は許されない」などと約1時間、一方的にまくし立てた。マツコに「権力の犬だ。ワンワンと鳴いてみろ」と窓越しに毒づいたり、「マツコ・デラックスをぶっ壊す」と声を上げる場面もあった。
 
 放送中に窓からN国の旗の一部が映る場面もあったものの、1時間の番組は滞りなく終了した。立花氏はマツコが出てくるのを待ち構えたが、15分ほどたつと、支援者や報道陣に「私に情報をくれている番組スタッフから連絡が入った。マツコがパニックになり、番組を降りると言っている。弱っている人をいじめたくはない」と説明。「来週も出るようならまた来る」と言い“直接対決”しないまま引き揚げた。
 
 マツコは同番組が始まった2005年から出演し、現在月曜コメンテーターを務める。去就について同局は「担当者が不在で答えられない」とした。反撃の気配を見せないマツコだが、立花氏は「(マツコの)所属事務所が弁護士を呼び、訴訟を検討中と聞いた」としている。
 
 
公共の電波を使ってのマツコDのコメントはけしからん、スタジオにおしかけて騒いでやるってなところでしょうか。
 
僕はこのニュースを読んで、全くマツコDの言うとおり、立花N国党首とそれを熱狂的に支持する人達が気持ち悪いと感じました。
 
そして宗教的な印象もさらに強くなりました。
 
個人的にはNHKスクランブル放送化には賛成ですし、立花氏がそれを公約に掲げて選挙に出馬するのも自由だと思います。
 
でも、自分たちの事を否定された、批判されたからといって、記事にあるような行動を実際に取る必要はないはずです。
 
ましてや国会議員。
 
あのように、1人の人間を躊躇無く追い詰めることに、何の疑問も抵抗も持たない人種というのは確かに一定数存在していて、でも、そういう人がリーダーとなる事は無いだろうと思っていました。
 
ですが、昨今の現実世界では、彼のような人間が国会議員となっているという事実に、一種の怖さを覚えます。
 
N国党のスローガンは「ぶっ壊す」。
 
でも、政治は「壊す」だけじゃ駄目だと思うのですよ。
 
壊すだけだったら簡単です。
 
気にくわないこと、不満に思ってる事をぶちまけて壊してやるから俺に投票しろと言うだけ。
 
大事なのは壊して、その後どうするか、壊した後に何をするのか、何を作るのかってこと。
 
国会議員は、日本という国を運営してもらわなければならないのです。
 
国の運営を任せられた人が、TVのスタジオに出かけていって、1人のタレントを徹底的に攻撃してるなんて、普通に考えたら気持ち悪いでしょ?
 
そして、その状況を一緒に喜んでいる支持者もやっぱり気持ち悪いとしか言いようがない。
 
以上、僕はそう思った、という感想文でした。

さて、8月になろうとしてるが進退をどうしようか

相変わらず、自分の進退について決断ができてません。
 
何度も書いているように、僕が第三者だったら、「嫌ならさっさと会社辞めれば?」と僕自身に言っている状況です。
 
ですが、動きが遅い。
 
今の自分のモチベは、「いつでも辞めてやる」です。
 
これをモチベーションと言ってもよいのか疑問ではありますが(^_^;
 
ただ、この苦役は、いつでも放り出せると思うことで、毎日なんとか通勤している状況は本当であります。
 
一応、自己申告書というものが我が社にはあって、アンケート形式で今の仕事がどうかとか、異動を希望するかとかを直接本店へ提出することができる仕組みがあります。
 
今年の申告書には、「異動を希望する」と書きましたが、果たしてどこまで希望を汲んでもらえることやら。
 
別に異動したって環境が変わったり業務内容が変わったりはしますが、根本的な部分で仕事が嫌いな僕にとっては、新しい苦しみが待っているだけだと想像します。
 
誤解があるといけないのですが、今の仕事が全く嫌だというわけではない。
(これも何度か書いてます)
 
ある業務についてはやりがいを感じるが、別の業務は只のストレスでしかないというのが現実のところです。
 
でも、会社での仕事ってだいたいはそんなもんで、好きな業務ばかりやらせてもらえないのは、他の人だって同じ。
 
それでも言い訳させてもらうなら、自分の会社そのものが業種幅が広く、本来は自分の業務ではないはずのことも、全体事業推進という形で乗っかってきたりするため、たぶん他企業のサラリーマンよりやるべきことが多いのも事実。
 
僕は、そんな我が社の風潮に違和感ありありでこれまでやってきたのですが、諸先輩や役員方々はそれが当たり前という感じです。
 
それなのに、新人を新規採用しても続かない、すぐ辞めちゃうって嘆いておられるんですから、いい加減空気読めよ!って突っ込みたくなります。
 
ちょっと話しがそれましたね。
 
辞めたいと思ってるのは本当。
 
でも、そこへ突き動くエネルギーが湧かない。
 
例えば、人事評価でCとかD(平均以下)でも付けられたら、「納得いかないから辞めます」と言ってやるんですが。。。
 
ぺ-ぺ-のガキでもないし、そうした一時の感情的なもので進退を決めるのもどうかと思いますが、もう何年も辞めたいと思って仕事しているんですから、そのぐらいは許されるんじゃなかろうかと思います。
 
今、抱えている仕事の案件で投げ出せないものも確かにある。
 
ただ、そう思っているのは自分だけで、僕が辞めたところで、それは誰かの手によって粛々とこなされるか、時間が解決するかぐらいのことだろうとも自覚している。
 
今の直属の上司である部長も嫌いではないので、辞める話しもなんとなくしづらいしなぁ。
(僕が辞めたがっていることは知っている)
 
仕事で知り合った、ウマの合う人や取引先にも申し訳ないし。
 
辞めるまでのハードルは、けっこうあるから、性根据えてやらないと失敗しそうだし。
 
とまあ、色んな思いが頭を駆け巡りながら、この文章を書いているところです。
 
結局のところ、辞めてどうしたい?に行き着いてしまい、辞めない選択と辞めた後のことを天秤にかけて、まだ辞める方への傾きが浅いってことなのかなぁと解釈しております。

吉本興業問題に関する雑感

宮迫博之ロンブー亮吉本興業社長の両方の会見は見ました。
 
私見としては、両方ともなんだかなってっていう感想。
 
メディアでも指摘されてますが、問題がいつの間にかすり替わっていて、いつの間にか吉本興業内部のゴタゴタの話しになっています。
 
こうなると、もう勝手にやれば良いのであって、一企業のお家騒動にマスコミはいつまで力を注ぐつもりなのかとアホらしくなります。
 
京アニ放火の事件の方がよっぽど重大事なのにと、個人的に憤っております。
 
京アニの放火事件によって30名以上の方が亡くなられ、これまでの作品に関する資料やデータもほぼ消失してしまったという驚愕の事実にはアニメファンとして悲しみと怒りでどう気持ちを整理してよいかわかりません。
 
しかしながら、民放TV局はこの事件について、建物内に火災がどれくらいの速さで回ったのかとか、どの階で何人ぐらい亡くなったのかとか、そういう報道にばかり力を入れ、京アニという制作会社がいかに素晴らしい作品を残し、世界にどれほどの影響を与えてきたのかは、ほぼ知らせてくれなかったように思います。
 
これでは、アニメに興味ない一般人にとって、アニメ会社に恨みを持つヤツが建物に火を付けて死人がたくさん出たんだなぐらいしか認識されません。
 
僕にとっては、どれほど重要で価値ある人達、資料を損なったのかをもっと世間に伝えて欲しいのです。
 
唯一、そうした主旨で報道してくれたのが、NHKクローズアップ現代だったように思います。
 
なので、吉本興業の内紛問題なんて本当にどうでもいいです。
 
でも、どうでもいいと言いつつ、感想だけは記しておきます。
 
単純に整理すれば、反社とされる団体からお金をもらっていたのに、もらってないと嘘をついてしまったから生じるゴタゴタなのですね。
 
よって、いくら宮迫やロンブー亮が涙を流しながら記者会見したとしても、本当にこれ以上、隠していることないんやろな?会見後に新しいネタが出てきたら絶体絶命やぞ?!という会社としての考えがあったはずです。
 
腐っても、吉本興業も組織ですから、そうしたリスク想定はしてるでしょう。
 
弁護士を使ってのやり取りをさせようとしているのも、そうした配慮もあってのことでかと。
 
ですが、そこは「家族のような関係」とか「信頼関係」とは相反する点でもあり、そうしたところから不信感が出ての芸人側の会見となったのだと思います。
 
とはいえ、最初にも書いたように、元をただせば宮迫と亮が嘘をついた事に行き着いてしまうので、吉本興業が駄目、経営陣が駄目という話しにはならないんじゃないかなと感じております。
 
社長の会見も決して良かったというわけでもないですが、組織を代表するものとしては、それほど悪い中身でもなかったと思います。
 
世間では評価されてませんが(^_^;
 
芸人のことはやはりかばってあげたい、なんとかしてあげたい、でも、お前ら最初に嘘の報告したろ?だったら、そこは仕方ないやんか!というのが社長や経営陣の本音ではないでしょうか。
 
それで会社と芸人は家族みたいなもんなのにって言われても、そんな綺麗事で解決しなくなったやんかというところ。
 
特に今回の反社との関わりの問題については、その1回きりなのかというのは非常にくすぶっているものと思われます。
 
そこのところは、色々と会社に文句言ってる他の芸人達も考えた方がよいかと。
 
それと、芸人さんはサラリーマンではないはず。
 
最低保障だとか、給与1円だとかで今更騒ぐのはおかしいと感じます。
 
売れれば20代でも30代でも年収がサラリーマンの何倍ももらえちゃうのが、芸能界や芸人の世界。
 
でも売れなければ1円にもならないというリスクもある。
 
ある意味、博打的なところもあるけど、いつの日かのリターンを夢見てその世界に飛び込んでいるはずです。
 
吉本が嫌なら辞めて移ればいいし、最低保障求めるなら、そういうところへ就職すれば良い。
 
それだけのことなのに、SNSで後ろから石を投げるように自分の会社を攻撃するのって、正直恥ずかしくないのかなぁってのが、直近の感想ですね。