Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

50歳からの人生やりなおし~どっちを選択するか

どうも、辞める辞める詐欺のくろばこです。
 
最近考えているのが、会社辞めたとして、その次をどうするかっていうこと。
 
大きく分けて2パターンあると思うのです。
 
1.起業でもネットビジネスでも何でも良いんですが、能動的に自分で動いていく人生。
 
2.ほぼ人生リタイア状態となり、日々の生活もできるだけ費用をかけずに慎ましく過ごす人生。
 
簡単に言うと、活動的な人生を選択するか、非活動的人生を送るかってことになります。
 
これまでは、生活のために仕方なくサラリーマン人生を選んできました。
 
そんな自分をなんとか変えようと、たくさん自己啓発本を読んでもみましたが、自分が主役となるようなワークライフにはなりませんでした。
 
嫌いなものはやっぱり嫌い、どうしたって好きになったり楽しんだりはできなかったってことですね。
 
まずはその事実を受け入れるしかない。
 
その上で、どうしたらいいかって話しなわけであります。
 
仮に上記「2」のリタイアを選択した場合、それはそれでどこかで物足りなさを覚えるような気がします。
 
やっぱりちゃんと働こうかなって。
 
でも、働き出したら、しんどい、辞めたいってなって元の木阿弥になるのも想像できる。
 
なので働くとしても、それがメインにならないような形が良いかなと。
 
臨時とか契約社員とか嘱託とか、再び勤めるとしたらそんな感じでやりたい。
 
まだ、今の仕事を辞めてもないのに既に妄想しているって変ですね。
 
僕だけかもしれませんが、ネットのハローワーク求人検索を見ていると、なんと言いましょうか、けっこう楽しかったりします。
 
たぶん、救いを求める人間にとっての光明みたいな感じかも。
 
そこで採用が決まったわけでもないのに、就職できるものと何故か思い込んでいて、「へぇ、こんな会社あるんだ」とか「この会社の仕事内容、興味あるなぁ」とか、仕事嫌いだって言ってる割にそういう妄想しちゃうんです。
 
やっぱり変?
 
こんな感じで、実際のところ、自分はリタイアしたがっているのか、また性懲りも無く別のところに就職したいと願っているのか、よくわからなくなっております。
 
自分で自分の事がわかってない。
 
だから何とかわかろうとするための、このブログなんですけどねぇ。
 
このブログで既に800記事以上アップしてるんですが、未だに自分自身のことがよく理解出来ません。
 
書いている内容も整理つかななくなったので、今日はこの辺で♪

準備運動無しに長距離走を走るようなもの

人事異動で今の職場に来てから、新しい担当業務を付けられてしまいました。
 
詳しくは書けませんが、ある関連団体の事務局的な仕事です。
 
僕には全く興味の無い分野、というか、どっちかつぅと嫌い、苦手な分野に属する内容の業務でして、ずっと目先が真っ暗になっています。
 
朝起きた時の寝汗が酷いです。
 
完全に自立神経か副交感神経がやられてしまってます。
 
逃げたいです。
 
でも、寸前のところで踏みとどまって怒濤の日々を送っています。
 
毎日、あれは大丈夫だろうか、何か抜け落ちてやしないだろうかと、わからない仕事に対する見えない不安と闘っています。
 
確かに、今まで出来るだけ最小エネルギーで被弾しないよう、最小限に仕事をする癖がついていたこともあり、いきなり、歩兵ばかりがいる前線に放り出されたような状態で、体がついていってないです。
 
体力も付けないまま、リタイアできない長距離走をやり出した感覚。
 
50歳という年齢は、そうした状況にすぐに対処できるはずもなく、順応性に欠けるというのを実感しています。
 
なので、やっぱり50歳というのは一つの転機と考えて良さそうです。
 
今の仕事を続けるにしても、辞めるにしても、どちらにしろこれまでのようにはいかないことを、まずは自覚しておく必要があります。
 
その上で、どう選択し行動するか。
 
幸い、今の自分は、まだ燃料が残っていたので、今の状況にも何とか耐えることができています。
 
でも、それもいつまで持つかわからない。
 
燃料を補充するのか(できるのか?)、ハイブリッドのような新しいエンジンに変えるのか、燃料を消費せずに生きる方法を探すのか、色々と道はありましょうが、探していかなければならない。
 
凄く抽象的な表現で申し訳ないですが、今の自分の頭の中を上手く現す描画が見つかりません。
 
今は何とかアゲインストに立ち向かっている、でもそれだけである。
 
う~ん、50歳からの人生について書きたかったですが、今回も上手く欠けませんでした。

50歳からの人生やりなおし

ご無沙汰してしまいました。
 
3月に入ってから、バタバタしてたことと、精神的にダウンしちゃってて。
 
3月の人事異動後、本当に嫌で嫌で、辞めたくてたまらないです。
 
もともと、辞めるって言い続けていたのだからさっさと辞めればいいのに、と思われる方も多いでしょう。
 
反論の余地がございません(^_^;
 
なぜ辞めないのか、行動に移せないのか?
 
色々とあるのですが、一つには「辞めてどうする?」というのがあります。
 
仕事が嫌で辞めるのはかまわないけど、辞めて他へ移ったとしても、やっぱり「仕事が嫌」というのは変わりなく僕の前に立ちはだかるわけでして。
 
仕事をせずに生きていく、という選択肢も無いわけではありません。
 
でも、それも継続していくことは、なかなか難しいと思われます。
 
多少収入が無くても、これがやりたいから仕事(就職)しないという話しだったらね、まだいいかな。
 
あと何年生きられるかわからない。
 
経年とともに、病気等のリスクも高まる。
 
せめて、残りの人生は自分が思う通りの人生を生きてみたい。
 
じゃあ、自分の思う通りの人生って?
 
と、ここで躓く。
 
我ながら情けないです。
 
タイトルにあるように、「50歳からの人生やり直し」を考えてるのですが、そもそも根本的な問いとして「人生やり直し」って、具体的に何をどうするのか、何がどうなったらやり直しと言えるのか、やり直したいってことは、それまでの自分の人生はどうだったのか?
 
とまあ、色々と考えちゃうわけです。
 
おんぼらと定義するなら、「自分の思うがままに自分の人生を生きてみたい」という感じ。
 
思うがままの人生、自分の人生を自分で生きる、、、って、具体的に掘り下げようとすると、僕にとってはかなり難しい。
 
何をどうしたらいいのか、遅いかもしれませんが、少しずつ自分に問いかけていきたいと思ってます。
 
それとは別に、早く今の仕事は辞めたくてたまらないってのは、変わらぬ事実としてありますけどね。

人事異動の内示が出た

我が社では毎年恒例の定期人事異動の時期でして、先週内示が出ました。
 
「辞める辞める詐欺」のくろばこですが、まだこの段階において退職の話しがいっこうに進んでおりません。
 
きちんと詰められない自分の甘さ、優柔不断さに原因があるのですが、ええかっこしぃの人間ですので、引き留められるとなんだかんだで断り切れなかったりするのです。
 
これまでもずっと、こういう性格の自分を忌々しく思っておりました(^_^;
 
まあ、でもちょっとずつは退職実現に近づいているような期待感はあります。
 
もう少しの辛抱。
 
今はじっと準備の期間だと言い聞かせて、シコシコと仕事中にこの記事を書いております。
 
で、人事異動の内示ですが、これがちょっとした驚きの内容でした。
 
以前の記事で、3月の組織改編により我が部署が統廃合されることは書きました。
実際その通りとなり、統廃合により別の課が新設され、自分はそのまま新設課にスライドかなぁと想像してましたが、結果は違いました。
 
くろばこの次の行き先は、以前在籍していた部署に今の職位のまま異動。
 
ここまでは別に普通、よくあることなのです。
 
驚いたのは、兼務職が無かったこと。
 
どういうことかと言いますと、くろばこのような部長と課長の間の次長級の人は、通常は課長職も兼ねるのが我が社では一般的なんですよね。
 
○○部次長兼□□課長、ってな具合。
 
それが単に「○○部次長」だけという異動内示だったのであります。
 
よって、くろばこは直接に管理する部下を持たず、横断的に各課の業務に首を突っ込んで仕事をすることになります。
 
部下を持たなくても良いというのは嬉しいのですが、こいつは協調性が無いから部下を持たせられんと上が判断したという可能性もあります(^_^;
 
確かに、これまでのくろばこが管轄していた課は、個人事業主的な感覚で仕事していて、基本は各人で処理してねっていうスタイルでしたから。
 
それに今までの業務も、横断的に色んな課に入ってこなすものがほとんどだったので、やることの半分は変わらないので致し方ないです。
 
でも、それとは別に、上も僕の扱いに困ってしまっての今回の異動なのかなと、ちょっと勘ぐったりもしています。
 
組織の中で浮いてる感は、ずっと持ってましたし、かと言って、それを解消しようとする努力もしてこなかったですから、しょうがないかなという諦めもあったりして。
 
閑職に追いやられたというわけでもないが、何か責任を持ってやれという感じでもない。
 
とりあえず泳がせておいて、何か成果が出れば儲けもの、じゃなければ水槽の中で生きていなさいという感じかなぁ。
 
考えすぎかもしれませんが、正直、ちょっと戸惑っており、これからどうなるのか不安でもあります。
 
あと、周囲の目というのもありますしね。
 
「あいつ、次長職だけで楽そうだなぁ」っていう視線は、確実に出てくるでしょうから。
 
課長職が無い分、都合の良い使われ方されたり、めんどくさそうな仕事ふられたりしそうな予感はかなりしてますが。。
 
反面、いつでも辞めやすくなったと考えることもでき、しばらくはこの状況を受け入れようと思ってます。

半分ぐらいは絶望、でも…

僕は、自分と自分の人生に絶望しているけど、完全に絶望しているというわけでもない。
 
ある日は、自分にはまだこんな可能性があるんじゃないかと期待し、次の日には全てにおいてやる気が失せていて、このまま年を重ねていって何になるのだろうと落ち込んだりもする。
 
同じように、今生きている社会に対しても、今の日本が、地域が、社会が少しで良くなるために自分に出来ることってあるかと考える時もあれば、世の中には良い人もいれば嫌なヤツも大勢いて、そんな奴らが存在する社会に自分が何か貢献しようとするなんて馬鹿らしいと思ったりもする。
 
なので絶望と希望(期待)を行ったり来たりしながら生きている、という実感が最近はことさらに強い。
 
まるで魔法少女まどかみたいだ。
 
希望と絶望は常にバランスを取っている。
 
宇宙全体、この世の全てがある法則に則って作られているのだとしたら、そういうことなのかもしれない。
 
半分は絶望だけど、半分は希望なわけで、その希望によって生かされていると考えるべきだろうか。
 
 
てな事を考える自分の最近の情緒は、大丈夫だろうかと心配しています。
 
で、話しが若干変わるのですが、僕の中では今の心情と繋がっているので、ちょとだけ記しておきます。
 
よく読ませてもらっているブログ「はてこはときどき外に出る」。
内容もなんですが、文章力が凄い。
 
一つ一つの記事が、宝物のようにいとおしく感じられ、もの凄く良質な映画や小説、アニメに出会った時のような感覚に陥ります。
 
自分の心がささくれ立ってたり、トゲトゲしい感情に支配された時に読むと、そうした負の異物をさぁっと洗い流してくれます。
 
そして、自分の胸を締め付けられながらも、ブログ主さんのような人がいるこの世界を自分も一緒に生きているのだと思うと、何だか勇気が湧く。
 
変な言い方だけど。
 
このブログだけは、全く他とは次元が違うんですよね。
 
これを読んでると、ブログで稼ぐだとか、必死な自分アピールのブログなんかがもの凄くチープで低品質のものに思えてしまう。
 
人間というものに感動を覚える、それが上記のはてこさんのブログなんです。
 
僕のような人間が言えた義理じゃないですが、絶望と希望は必ずバランスを取ってくれるはずだからと、影ながら声を掛けてあげたいと思ってます。
 
はてこさんのような人が生きている世界で、僕も生きていると思えば、それはそれで悪くないかなって。
 

Facebookの「友達見つけよう」通知がうざい

今や、Facebookなんてのは年齢層高めの人しかやってなくて、若者はみんなインスタをやってるというのは当たり前の話しになっております。
 
僕はジャスト50の親父ど真ん中なので、その流れに沿った利用者ということですね。
 
なぜ僕がFacebookをやってるかというと、前にも書いたかもしれませんが、自分の行動の備忘録として使ってるのであります。
 
そんなに細かくはタイムラインに投稿しませんが、出張行った時とか、嫁とどこかで外食したりとか、なんか変わったもの買った時だとか、そんな時にちょくちょくアップするのです。
 
後から、今は履いてる靴っていつ買ったっけみたいな感じで、Facebookを遡って見返して確認したりするのに使ってます。
 
なので、友達申請をこちらからすることは全く皆無。
 
いちおう、一般公開設定してあるので、知り合いからの申請は承認しておりますが、Facebookを介しての交流なんてことはしてないです。
 
「いいね」されたら、こちらも「いいね」してあげるぐらいでしょうか。
 
そういった感じなので、たまにFacebookからの自動通知「もっと友達をみつけよう」が表示されると、かなりうざいです。
 
まるで、俺に友達がいないみたいじゃないか(^_^;
 
いや、実際にほとんどいないんですが…。。
 
だとしても余計なお世話!
 
アプリに友達の心配をされる時代が来るなんてねぇ、というしみじみとした気持ちになったこの頃でした。
 
 
 

スカイリム~従者が死ぬ度に心が痛む

久しぶりにswitch版スカイリムのプレイ備忘録です。
 
といっても、メインストーリーはほとんど進めていなくて、ひたすらフィールドやダンジョンをブラ歩きしたり、気になったクエスト依頼をこなしてみたりという感じです。
 
従者を連れて歩けるのがこのゲームの特徴といいましょうか、難易度に関わってくる話しになります。
 
最初はこの従者のことを知らずにプレイしていたもので、けっこう大変でした。
 
戦闘もですが、持ち物の重量制限の問題とか、まあソロだとそれなりに不便であります。
従者を連れて歩くようになってからは、やっぱりそれなりに楽になりましたね。
 
で、くろばこの従者遍歴が以下の通り。
 
1人目:ファエンダル(リバーウッド)
 
2人目:狩猟の女神アエラ(ホワイトラン)
 
3人目:リディア(ホワイトラン)
 
現在は3人目のリディアを連れて歩いているのですが、その前の2人は旅の途中で死んでしまい、泣く泣くおさらばとなってしまいました。
 
スカイリムの従者あるあるですが、いつにまにかいなくなってしまったというパターンが1人目のファエンダル。
 
何日経っても帰ってこず、死に目に会えずの別れとなってしまった模様です。
 
2人目のアエラについては、ファエンダルの事があり慎重に連れて歩いていたおかげで、かなり長い時間一緒に過ごせました。
 
けっこうクエストを一緒にこなしたからかわかりませんが、途中からの会話メニューに「結婚してくれ」というのが出てきて驚きました。
 
まあ、こんだけ一緒に旅したし、ゆくゆくは結婚してもいいかなぁなんて思ってたら、とあるダンジョンで姿を見失ってしまったのです。
 
敵がたくさん出てくる場所で、しばらく戦闘してから一旦退散したのですが、ふと見るとアエラがいない。
 
家のあるホワイトランに帰ればいるだろうと思って、帰宅するもやっぱりいない。
 
もしかして、さっきのダンジョンで死んでしまったのだろうか?
 
とりあえず、持ち物を整理して再びそのダンジョンへ。
 
これもスカイリムあるあるなのですが、特に洞窟系ダンジョンは薄暗くて見えづらいので、敵を倒してアイテムを剥ぎ取ろうとしても、倒した敵がどこに寝転がっているのか注意深く見ないとわからない。
 
確かこの辺りで激しい戦闘になったんだよなぁってところを探してみると、階段したに無残に死んでいるアエラの姿が!!
 
あ~、なんて悲しい。
 
従者の特徴として、基本は体力ゼロになれば死ぬ設定になっています。
 
それは敵の攻撃だけでなく、見方の攻撃でもダメージを受けます。
 
ですが、敵の攻撃を受けて体力が少なくなると従者はしゃがんで動かなくなり、敵もそれ以上は攻撃してこないような仕様になっていて、実は敵の攻撃で従者が死ぬパターンはかなり確率が低いんですよね。
 
ほとんどの場合は、味方、つまりプレイヤーである自分が誤って従者に攻撃を加えて殺してしまう場合が多い。
 
恐らく、今回も乱戦になってしまい、薄がりの中だったこともあり、僕が間違ってアエラを攻撃してトドメを刺してしまったものと思われます。
 
アエラが死ぬ前あたりのセーブポイントに戻ろうかとも思いましたが、まあそれも面倒くさかったので、泣く泣くお別れしたのでありました。
 
でも、装備品はしっかり剥ぎ取って帰りましたけどね。
 
といった感じで、割と従者に若干の思い入れをしながらスカイリムの世界を楽しんでおります。
 
で、現在の従者がリディア様。
 
西の塔でのドラゴン討伐をしてメインクエストを進めると、従者として連れ出すことができるようになります。
 
いかつい顔のキャラが多いスカイリムにおいて、唯一美形キャラであります。