Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

貴乃花親方が理事解任されたけどさ

う~ん、、相撲協会というのはやっぱりよく分からない組織ですね。
 
一番追求すべき事柄は、「なぜこのような暴行事件が起こったのか?」という事だと思うのですが。。
 
おざなりの研修会開いて、「暴力はいけません」という程度の指導しか出来てないことに何の疑問も持たないのでしょうか。
 
相撲協会当初、貴ノ岩の反抗的な態度にも問題があったとする見解を出し、事件について警察から耳に入っていたにも関わらず日馬富士九州場所出場をOKとし、暴行現場に同席していた白鵬ら他の横綱には簡単な処分で済ませ、挙げ句の果てに協会への報告義務を怠ったという理由で一番重い処分を被害者側の親方に課しているのです。
 
日馬富士の引退については、警察の捜査がまだ途中にも関わらず受理しちゃうし。
 
端から見ると本当にどういう組織かよくわからない。
 
結局のところ、貴乃花親方が相手にしなければならない組織とはそういう組織なわけで、そんなところ相手に報告義務云々と言われても「アホか?一番の元凶はてめぇら相撲協会だろうが」という気持ちにもなるでしょう。
 
報告義務を言うなら、その場に同席していた白鵬鶴竜が真っ先にその責を問われるべきです。
 
日馬富士以外に横綱が二人もいて、日馬富士の暴行をしばらく見ていただけというのはどう考えても異常ですよね。
 
そこのところは、本来もっと追求すべき話しだと思うのですが。
 
相撲協会としては1月場所を開催することが最重要で、例え刑事事件であってもそれを妨げる事にはならない、とういのが本音だと思われます。
 
このあたりが、相撲協会どっぷりの人と、一般人の認識の違いです。
 
普通に考えれば、1月場所中止か延期してでもこの暴行問題に取り組む方が大事だろうと思うのですがね。
 
TV局側の報道も、どっちかというと相撲協会寄りです。
 
特に相撲関係を長年取材担当していた元記者とか関係者の意見は、僕らからするとかなりズレてます。
 
ズレてるの通り越して、痛いぐらいにへんてこりんな意見がほとんど。
 
その原因は、相撲協会とTVメディアがべったりな関係にあるせいでしょう。
 
相撲協会の意図に反する報道などしたら、取材させてもらえなくなりますから。
 
そういうのが寄ってたかって、おかしな世論を作り上げてるような気がしますね。
 
冷静に考えれば、暴行事件があって、それについて警察や検察の捜査優先を第一に考えるのは当たり前の話しでして、暴行事件後の最初の理事会で何の動きもしなかった相撲協会へいったい何を報告すればいいの?と僕が当事者だったとしてもそう思います。
 
あと、評議会の池坊様が「相撲協会には隠蔽とか一切ない」とのたまってましたが、なぜ記者達はそこでツッコミ入れないのか?(^_^;
 
警察から暴行事件の連絡があってからの協会の動きを見てれば、初場所が終わるまで何とか穏便にこの件を隠し通そうとしていたのは誰の目にも明らかじゃないですか。
 
過去の不祥事対応も含めて、常識のある人からすれば「相撲協会に隠蔽とかは一切ない」なんて言えるわけがない。
 
こういうのも含めて、メディアと相撲協会がべったりなのが見え見えで嫌ですねぇ。
 
色んな意味で相撲協会って、詰んでる組織じゃないかなと想像してしまいます。

「やることがわかっている」ことと「やらなければいけないことがわかっている」こと

「やることがわかっている」ことと「やらなければいけないことがわかっている」ことは微妙に違っているというのが感覚的には分かっていて、その上で行動を起こせない自分はどうすればいいのかを考えてみた、というお話しです。
 
仕事の上で自分はロースターター、つまりエンジンのかかりが遅いというのは経験的に理解してきました。
 
「やらなければいけないことがわかっている」時、つまり強制的にやらざるを得ない時は、嫌だろうが動かなければならないので強引にエンジンをかけて動かせる。
 
ただ、場合によっては終わった後、疲れてしまって何もしたくなくなる状況に陥ることもあったりしますが。
 
「やることがわかっている」時というのは、最終的には「やらなければいけない」ことに違いはないのだけど、今それをやらないとまずい状況でもないので、なかなか行動にまで移せない。
 
その場合、大抵は「やらなければいけない」という敵の正体が、輪郭がぼやけていてはっきりと形を掴めておらず、でもその敵は倒さないといけないというものだったりします。
 
だから、自分にはその敵の正体をはっきりさせる、輪郭を浮かび上がらせる事が必要になる。
 
今までそういう風に考えてこなかったけど、ここ最近ふとそう思い至ったという感じ。
 
仕事のやる気が出ないのは、元々が仕事嫌いだからしょうがない。
 
でも、それなりの裁量を与えられた今の立場で、やろうと思えばそこそこは自由に動け、忙しいことそのものも嫌いではないというややこしい性格も加わると、何らかをしていたいと思うものの、でも何かしようとする前に挫折してしまう傾向にある。
 
この状況を少しでも打破するのには?と考えると、やっつけるべき敵の姿を出来るだけ明確にすることだと思ったわけ。
 
じゃあ、敵の姿を明確にする方法は?
 
それは雲のような敵の中に手を突っ込んでは、得体の知れない何かを小さく引きちぎり出しやっつけていくことだ。
 
つまり、できるだけ物事や解決すべき問題などを細かく分解して、一つ一つ潰していくことに他ならない。
 
例えば「データとしてもらった資料を印刷してファイルに綴る」、「欲しい資料を送ってもらうよう相手にメールしておく」とか、普通の人ならわざわざ書き出してToDo化するほどのない些細な事でも、「これは敵の一部」だと認識して「やること」リストにしておく。
 
それを一つ一つ潰していくうちに、エンジンがかかってきて、敵本体に大技を繰り出せるようになる。
 
でも、「些細でもやることリスト」を多く作り出してしまっても、それはそれで自分のやる気が萎えてしまうので、ほどほどにしとかないといけないのが難しいところ。
 
ドラクエでスライムばっかり倒さなきゃいけない状況を想像すると、よくわかる。
 
こうするぐらいしか、これまで何も積み上げてこなかった人間がやれることはないのではないか、と年末年始の時期に何となく理解できたというお話しでした。

2017年を振り替えって

今年は振り返るほどブログ更新してないので、たいした内容は書けませんが(^_^;
 
書きたいという気持ちはあるけれど、なぜか行動に移せないのが今年のくろばこでございました。
 
メンタルとか仕事とか
メンタル面では、春先から夏にかけて乱高下がひどかったのですが、ここ最近は何故か落ち着いています。
 
あきらめることを習得した、とでも言いましょうか。
 
今までも「あきらめる」ということはしてきたはずですが、さらにクオリティーの高い「あきらめ方」を身につけたという感じ?
 
しかしながら、仕事を辞めたいという気持ちは変わってませんし、それについての行動もしぶとくしています。
 
先週も部長にその旨を話したところですが、なかなかハードルが越えられません。
 
これについてはいつも書いているように、「辞めてどうしたいか」という核心部分が自分でも掴めてないからだと思ってます。
 
完全にリタイアしたいのか、セミリタイアなのかも含めて未だに漠然としています。
 
ただ、経済的な側面で考えるなら、完全リタイアはあり得ない話しではありますが(^_^;
 
仕事そのものに関しては、ハードで精神的にきつい場面もありましたが、良い場面もあり、俯瞰的に見れば面白い1年だったかもしれません。
 
ですが、いつかもの凄く悪い状況が訪れるんじゃないかとビクビクしているのは、相変わらずであります。
 
家のこと
それといい加減、自宅アパートの部屋の片付けをしたいのですが、これも何故か行動に移せません。
 
汚部屋というレベルにはまだ到達していませんが、一歩間違えるとそこまでいってしまいそうで怖いです。
 
心の奥底では、モノを出来るだけ少なく、シンプルに必要なモノだけを置いて生活したいと願っているのですが、願うだけじゃダメですよね。
 
でも、どうせ来年中には実家に引っ越さなきゃいけないのだから、どこかでやらざるを得なくなるはず。
 
読書をどのくらいしたのか
そうそう、自分が1年でどれくらい本を読んでいるかスマホアプリで読書管理してみました。
 
今年の読書本数は36冊ということが分かりました。
 
1週間に1冊読んで年50冊ですから、1週間に1冊も読んでいない計算になります。
 
まあ、だいたいは朝のトイレ籠もり中に読むので、時間にして1日10~15分ぐらいなものですから、数としてはそんなものでしょう。
 
アニメは?
アニメは相変わらず録画したものを観まくっていますが、なかなか放送に追いつけません。
 
やっと昨年の夏クールに放送されたものを見終わったぐらい。
 
まあ、楽しみが半永久的に続く感じなので、これはこれで良いのかも。
 

まとめ

それぐらいですかねぇ。。
 
情熱的に生きていないことは間違いないです。
 
何かを成し遂げてやろうって気概も持たずに生きています。
 
でも、たまに焦燥感にかられます。
 
もっと違う生き方があるんじゃないかと。
 
50歳手前になっても、若造みたいな思考が脳を駆け巡っています。
 
というように、あきらめた自分と、焦燥する自分がいるというのを理解した1年でした♪

 

 

50歳手前でやっと手帳を使えた実感が得られた

手帳が続けられないという話しを以前書きました。
 
 

minorthing45.hatenadiary.jp

色んな手帳術に関する本を読んだり、ネットで調べたりするのはもちろん、手帳自体も「ほぼ日」「マンダラ」「モレスキン」「システム」手帳といった種類を買っては押し入れの肥やしにする日々。
 
手帳じゃなくてスマホアプリで日常を管理できないかと思い、これもあれこれ探して試しましたがやっぱりダメ。
 
結論的な話し、どれも続かないんですよね。
 
なので、自分はそういう事に向いていない人間なんだと理解することにしました。
 
これについては、今でもそう思っています。
 
ただ、やっぱり仕事してたりすると、手帳に忘れちゃいけない事とかまだ不確定だけど発生しそうな予定を書き込む必要に迫られます。
 
年を取ったせいか、物忘れが激しく、時には本当にすっぽり頭から重要な約束事が抜け落ちてたりして、真剣に焦ります。
 
とりあえず、決定的な失敗には繋がっていないのが今のところ幸いですが(^_^;
 
なので、あまり難しく考えずに、予定があれば予定を、しなくちゃいけない事があればToDoみたいな形でメモ形式に書き留めておくようにしてました。
 
今年はそんな風な感じでやってたんですが、そしたらけっこう手帳に書くという行為が続けられましてね。
 
振り返ってみたら、あ、なんか俺って手帳使えてるじゃん♪と。
 
思うに、「手帳で何でもできる」幻想に惑わされてたんですよね。
 
啓発本とか読むと、「あなたの夢は手帳で叶う」的な事がけっこう謳ってあって、じゃあ、あれもこれも手帳にと意気込んで始めたものの、何をどうしていいか分からず、挙げ句に疲れ果てて1ヶ月ぐらいでリタイアしてしまうのが常でした。
 
パソコンと一緒ですね。
 
パソコンが苦手な人とか買っても使わない人って、何が原因かと言うと、「PCで何でもできる」ということがネックになるのです。
 
「何でもできる」=「何をしていいか分からない」という図式。
 
特にPCも家電の一つみたいに捉えている人(最近のPCは家電に近い作りになってきましたが)にとって、「何でもできる」というのは逆にハードルになるのです。
 
テレビやレンジ、冷蔵庫なんかは目的に特化した製品ですからね、迷いようがないわけです。
 
そういった意味では、僕自身が手帳というものに過大な目的や幻想を抱いてしまっていた為、それによって手帳使いに疲れてしまったのでしょう。
 
手帳の基本に立ち返って、シンプルに予定と忘れちゃいけない事だけを書いておく、それ以外は気が向いたら書いてみるぐらいが丁度よかったのかなと。
 
逆に言えば、手帳術なるものをきちんと実行できる人達が凄いのであり、自分もそっち側にいるとずっと錯覚していたってことです。
 
ちなみに使っている手帳はA5サイズで、方眼タイプが好きというか、方眼以外は使う気にならない。
左ページが1Weekで、右ページが方眼メモになっている両開きで1週間のあれこれが書き込めるもの。
 
ということで、やっとのことで自分の頭の中を紙に書き出すって、実は大変な作業で難しいってのも最近理解しました。
 
次回、どこかで実際に使用している手帳の画像をアップしてみます。

インデックス投資やっていてわからない部分

とりあえず、現在の運用状況がこれ。

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ざっくり説明すると、預貯金含めて自由に動かせる確定したキャッシュが750万円ぐらいあり、それを国債だとか国内株だとかに分散しているところの途中経過が大きい方のExcel表。
 
小さい方のExcel表は、現状の分散状況(左側)と目指す分散投資(右側)の形です。
 
自由に動かせるキャッシュなんだから、目標とする分散投資にいっぺんに持って行ってしまっても良いのかもしれませんが、投資信託商品の買い時が素人には分かりませんので、高値買いリスクを減らす為にもやっぱり積立投資を取らざるを得ません。
 
なので投資については月1万円ずつ、ちまちまと購入している状況です。
 
まあ、ここまではよくある話し。
 
分からないのは、まだ先の話しにはなると思いますが、この積立はいつまで続けるのが正解なのかということ。
 
目標とする分散投資の組み方は、表にもあるように
 
現金預貯金:337万円(45%)
国債:75万円(10%)
国内株:112万円(15%)
先進国株:112万円(15%)
となっています。
 
国債だと、既に70万円購入しているので、現在の資金枠だとこれでほぼ打ち止めです。
 
国内株は現時点で40万円弱ですので、まだ半分以上の投資枠が残っています。
 
しかしながら、近いうちに目標とする投資額に達するでしょう。
 
じゃあ、そうなった時は、後は保有するだけでひたすら寝かせておくものなのかという疑問。
 
もちろん、どこかでバランスを見直す事はあるにせよ、国内株112万円の枠が200万円に変わるほどのことなないだろうし。
 
この話しは、自由に動かせるキャッシュがずっと750万円という前提であります。
 
もちろんこれが増えていく可能性はゼロじゃないですが、現在の給与や支出状況を鑑みると、増える方にはそんなに期待できないかなぁと。
 
あと、現在の積立購入している投資信託商品は7本あるのですが、これって多いのか少ないのか?という疑問。
 
想定バランスで国内株と先進国株併せて224万円、仮にそれを全て今購入している投資信託に回す場合、1本あたりの投資額は32万円となります。
 
つまり、32万円に達した時点でその商品の積立がストップという計算。
 
これだと手数料諸々考慮すると、そんなにメリットの出る額じゃないように思えます。
 
1本あたり32万円しか買ってない投信信託商品から得られるリターンって、いったいどれほどのものよ?
 
そうすると、購入商品数としては多過ぎなのかな?と不安になったりするんですよね。
 
1本あたり少なくとも100万円分ぐらいあると、リターンが実感できるような気もしますが。。
 
目下のところ、750万円の投資枠がそんなに増やせない状況で、それぞれの購入額の上限となった時にどうしようという問題と、他にも購入したい商品があるものの手を出しづらいもどかしさに悩んでおります。

 

 

 

 

リフォームの見積が出た(後編)

リフォーム業者との打ち合わせ
前回、実家で親と同居するために改修する必要がありリフォーム業者に見積依頼をした件を書きました。
とりあえず、ウエブのホームプロでレスをしてくれた業者に実家の住所を連絡し、現場を下見しながら打ち合わせすることになりました。
 
当日、来てくれたのは30代半ばの男性で、2級建築士施工管理技士の資格を持っているとのこと。
 
築30年ぐらいの家ですが、図面はまだちゃんと残っていたので、担当者との打ち合わせもスムーズにいきました。
 
しかし、根本的な問題も判明したのであります。
 
ツーバイフォー建築の問題点発覚
我が実家は、ツーバイフォー(2×4工法)建築で建てられているのですが、それが今回のリフォームのネックになるということでした。
 
実家がツーバイフォー建築だというのも、僕は始めて知ったのですが(^_^;
 
てっきり、普通の木造建築住宅だと思っておりました。
 
というのも、その実家を建て始めた当時、僕は大学生であまり家に寄りつかず、友達のアパートを転々とするジプシー暮らしをしていたのです。
 
なので、たまに家に帰るとどうやら、親父が家を建ててるらしいというのは分かったのですが、「へぇ~、そんなお金あったんだね」ぐらいでした。
 
当時の実家はわずか10坪の面積で、1階が両親が経営する飲食店、2階が住居という形でとても狭いものでした。
 
高校生、浪人時代まではそれでもその実家で過ごしていたのですが、大学生になるとやっぱり色々と不都合を感じ外に泊まり歩くことが多くなっちゃったんですよね。
 
まあ、これは余談でありましたが。
 
今の実家に両親が住み始めるまでの経緯
親父も広い家が欲しかった、というか、それが長年の夢だったんでしょう。
 
飲食店があった場所は、昔の長屋地区みたいなところでしたが、街の中心部ということもあり新しい土地を探そうにも地価も高く、夢の新築住宅はそこから10kmぐらい離れた郊外となったのです。
 
そして新しいマイホームが完成したものの、飲食店はまだ経営してるし、離れた新築ホームから通うのも面倒だしということで、約20年近くは誰も住まない状態となっていたんですよ。
 
親父的には、僕が結婚してそこに住んでくれればという目論見もあったんでしょうけど、親不孝なくろばこがそんな目論見に乗るわけもなく、新築住宅は無人のまま年月が経っていったのです。
 
ですが、12年前ぐらいに、母親が脳出血で倒れ半身不随となり、夫婦二人で経営していた飲食店も閉めざるをえなくなり、60歳で隠居することを決め、やっと新しい家に住めたというわけ。
 
僕はやっぱり親不孝ものなので、今の妻と結婚しても気楽なアパート暮らしが快適なので、どうしても実家で両親と暮らす方向にはなりませんでした。
 
障害者となった母親のこともあるので不安はありましたが、親父も僕の嫁に気を遣って無理に一緒に住まなくていいと言ってくれたこともあります。
 
ということで、ここまでが僕が今の実家のことについてほとんど何も知らないのは何故かという言い訳でした。
 
ツーバイフォー建築のリフォームの難しさとは?
話しを元に戻します。
 
ツーバイフォー建築をリフォームする時に何が問題か?というと、僕たち夫婦は2階に住むので2階にトイレやキッチンを新設したいのですが、問題はその水回り配管をどう設置するかということ。
 
ツーバイフォー建築だと、いわゆるいくつかの大きな箱を組み合わせたような形で建てられているのですが、1階と2階部分の隙間、いわゆる空間スペースですね、そこが狭く、且つ、どこが壁や支柱で遮られているか分からないらしいのです。
 
逆に、木造建築だと自由にコース取りして配管パイプを敷けるんですって。
 
そんなこと知らなかったので勉強にはなりましたが(^_^;
 
業者の担当者も1階のあちこちで、なんとか天井裏が覗けないか調べてみましたが、どうも確認するのは難しいようだとのこと。
 
2階の床を全て剥ぐわけにもいかないし、さて、どう配管したものかとお互いに思案しました。
 

解決策と見積金額

あれこれ検討した結果、幸いにも床から天井までの高さがけっこうあるので(2m70cm)、今ある床を20cm嵩上げしてそこにパイプを敷きましょうということに。
 
フローリングし直す工事が余計にかかってくる事になりますが、無難な解決方法だろうと僕も考えその提案に乗ることにしました。
 
あと、今回来てくれた担当者の対応が真摯で真面目な印象だったこともあり、他の業者を別に呼んで相見積もり取るのも止めました。
 
まあ、半分はめんどくさいってこともあったんですが。。
 
で、見積金額ですが、きっちりこちらの希望予算300万円でありました(^_^;
 
キッチンやトイレ、洗面台等はLIXIL商品でそのカタログの中のものを選定してありましたが、値引率が50%ぐらいで、そんなんでいいの?と不思議でしたが。
 
リフォーム工事代って正解が分からないので、こっちの希望が200万円と言えばそれに合わせたレベルのもので見繕うのかもしれませんね。
 
そのあたりは、また担当者に聞いてみたいと思います。

貴乃花親方の気持ちわかるなぁと、勝手に想像してみる

日馬富士の暴行問題については、当初から当事者情報が少なかったため、メディアでもあれやこれや好き勝手に想像話しが繰り広げられてきました。
 
日馬富士角界引退、書類送検という形で形式上は幕を引くようですが、なぜ貴乃花親方が相撲協会に対してあれほど頑ななのかが、新たなツッコミネタとなっています。
 
世間一般の声は、相撲協会理事である貴乃花親方が協会のルールを守らず、貴の岩の事情聴取はさせない、休場するのに必要な診断書も提出しないのは理事失格だというお話し。
 
確かに一般論はそうでしょうね。
 
組織に属する人間としてどうかと問われれば、そうした声は正論。
 
でもその正論も、属する組織がきちんとした体であればという前提条件付きでこそ成立すると思うのですよ。
 
ブラック企業に潰されかけている社員が、その組織のルールだからと言ってそれに従属していたらいつまでたってもブラック企業から虐げられるだけです。
 
相撲協会がどれだけブラックボックスな組織なのかは、僕には分かりません。
 
ですが、幼い頃からその世界で生きてきた貴乃花親方だからこそ知るブラックな部分、理不尽なところが見えているのではないでしょうか。
 
根本的に変えなければいけないと考える貴乃花親方、変化を求めたくない協会、その2者の間の溝はけっこう深いものがあるのだろうと想像します。
 
ガチンコ勝負にこそ国技である相撲が生き残る道があると信じる貴乃花親方は、モンゴル出身の貴の岩にモンゴル人同士の馴れ合いを厳しく禁じていたであろうことは、容易に想像できます。
 
逆に白鵬日馬富士などにはそうした意識は低く、ただ純粋に異国の日本でモンゴル人同士が助け合ってやっていくのは当たり前だと考え、互助会を作ったりしてお金のやり取りをしてきました。
 
モンゴル人同士の飲み会などに参加しようとしない貴の岩でしたが、それを快く思ってなかった他のモンゴル人力士達が、鳥取で師匠との懇親という理由で出てきた機会に付け込み、先輩モンゴル力士として行儀を正してやろうと今回の暴行騒ぎになったのだと推測します。
 
だから、いったんは日馬富士側もやり過ぎたと詫びを入れ、貴の岩もそれを受け容れ収めようとしたのでしょう。
 
ところが、貴乃花親方が今回の騒動に気づき激怒、馴れ合いを助長するモンゴル人力士に対し何の指導もしない協会にこの件の報告、相談をしても無駄だと考え、刑事事件として被害届を出し、協会が関与しない形で問題を明るみに出そうとしたのでないかと思います。
 
協会に診断書を提出しないのも、そもそもが只の負傷ではなく、警察が動く暴行事件によるものなのだから、診断書提出云々のレベルの話しじゃないだろう、事の重大性を協会は理解しているのか?というところじゃないでしょうか。
 
暴行された被害者が診断書を提出するとしたら、それは加害者側へ慰謝料を請求する時であって、真っ先に出す相手は協会じゃないって考えていても不思議じゃありません。
 
要は、今回の暴行事件の問題を問題として認識していない協会に対し、貴乃花親方は半分は怒り、半分は呆れているというのが本当のところなのではと考えます。
 
なので、貴乃花親方が一般論的な部分で世間やメディアから批判されることについて、僕はけっこうな違和感を感じています。
 
まっとうにやっても通じない相手に対しては、第三者を通して問題解決を図るのは当然なのですから。
 
ブラック企業で休日も手当なしに出勤させられ疲弊している社員に対し、それでもちゃんと出社しないお前が悪いとは言いませんよね?
 
それと根本部分は同じなのではないでしょうか。