Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

保育士の給料安い問題

なんだか「月曜から夜更かし」のコーナータイトルみたいになってしまいましたが(^_^;
 
なんで保育士の給与は低いの?という問いに対し、ホリエモンが「誰にでもできる仕事だから」と答え炎上していました。
 
余分な装飾句を入れずに、単刀直入に答えるホリエモンらしい回答でありました。
 
僕は、ホリエモンは少なくとも自分にはない優れた才能を持っている人だと思っていて、自分には考えつかない発想をする点においても彼を評価しています。
 
拝金主義だとか、炎上商法野郎だとか色々と言われてますが、僕はそうは感じません。
 
見事に物事の本質を見抜き、核心を突いた提言を常にしてくれます。
 
本当の意味で頭の良い人というのは、彼のような人間を言うのだろうと。
 
しかし、一般には嫌われるだろうなと思いますし、敵も多いと想像します。
 
なので、今回の騒動もそりゃ炎上するでしょう。
 
彼は正論を言ったまでで、正論でぶった切られたと感じた人達が彼に食ってかかってるように見えます。
 
そりゃ、自分がやってる仕事で給料が上がらないのは、誰でもできる仕事だから当たり前だろ!と言われたら、僕も正直ムカッとしますし、腹も立ちます。
 
でも冷静に考えれば、じゃあ、そうじゃない仕事に移って自分で給与を上げる努力すればいいことに気づきます。
 
僕には子供がいないので保育士の仕事がどれだけ大変かとかはわかりません。
 
恐らく大変なのでしょう。
 
でも、だいたいにおいて仕事は大変なものです。
 
大変な仕事であっても、誰にでもできる仕事であれば賃金はやはり相応のものでしかありません。
 
保育士は国家資格だという論もありますが、別に国家資格が必要な職種なんていくらでもあります。
 
誰も明言しませんが、国家資格の中でもピンからキリまでの序列があるのは事実です。
 
だから、医者や弁護士などは他の職種に比べて報酬が高いのであり、ピラミッドの下の方の資格職種は賃金が相対的に低いのです。
 
そういう意味において、ホリエモンの答えは正論なのですが、正論を言ってしまうとそこで話しが終わってしまい、せいぜい感情論でしか物を言うことができなくなります。
 
じゃあ、どうしたら賃金が上がるのかという次の話しが必要なんですが、そこのところはホリエモンの悪いところです。
 
保育園については認可の有無の問題もあるので、一括りの話しはできませんが、まずは保育園の経営者がそういう賃金設定しているのであれば、保育士の給与はそんなもんだとという認識なんでしょう。
 
また、保護者が負担する保育園料が安ければ、それは当然保育士の賃金にも影響するわけで、安い保育園料を求める声が多いとなると、それは保育士の賃金も低くて良いという事を間接的に世間が認めていることになります。
 
保育士の賃金を上げるために行政の補助金を多くする、これを駄目というのであれば、それはやはり保育士の賃金は今のままで良いということ暗に認める事になります。
 
まあ、ちょっと極論過ぎる書き方をしましたが、要は回り回ってそういう話しになり、それも含めての「誰にでもできる仕事だから安い」という事なのじゃないかと思います。
 
もちろん、ホリエモンに対し異論、反論はたくさんあろうかと思いますが、僕はそういう捉え方をしました。
 
ただ一つ確実に言えるのは、ホリエモンを叩いても保育士の給与は上がらないという事です。
 

衆議院選挙結果の雑感

小池都知事希望の党、やはり自滅しちゃいましたね。
 
ただ、衆議院解散直前に出来たばかりの新党が、過半数議席取れたりしたら、それこそおかしいわけでして、数字としてはあんなものでも充分じゃないかと。
 
小池さんが、民進党合流議員を受けいれる時の「排除」という言葉が、やはりまずかったんじゃないかとメディアは追求していますが、確かにそれもあるでしょう。
 
但し、「排除」という考え方については、僕は小池さんに同意するものでして、政策や理念が一致してない人間を受け容れてたら、それこそ希望の党は烏合の衆と成り果て、旧民主党民進党と同じ道を歩むことは目に見えています。
 
そうなってはならないという危機感からの「排除」であり、選挙に勝つためであれば何でも良しとする風潮とは一線を引いた都知事に対しては、賛辞を送りたいぐらいです。
 
希望の党の今回の結果は、どちらかというと付け焼き刃の政策を掲げてしまったことに起因している気がします。
 
これについては、選挙前にも記事を書きました。
それと、築地移転問題等など小池都知事としての仕事ぶりに対する評価も、恐らくそれほど高くないという印象が強い。
 
更に、党内人事に関するワンマン的なやり方や不透明さ、最終的には自身が国政には立候補せずに今回の選挙を戦おうとした姿勢など、様々な要素が絡まった当然の結果であろうと思われます。
 
逆に、立憲民主党は予想より良かったという話しもありますが、野党全体の議席で考えると総数はこれまでと変わっておらず、その中でパイの奪い合いをしたに過ぎません。
 
これでは、自公連立与党を崩せるわけもなく、野党が大立ち回りをしたものの意味の無い動きであったということになります。
 
このあたり、野党はいい加減目を覚まして、掲げる理念を現実的な政策実行として落とし込むにはどうしたら良いかを真剣に考えるべきです。
 
いつまでも揚げ足取りや批判ばかりでは、国民から必要とされなくなります。
 
というか、今回のような結果となる選挙は初めてではなく、もう3回目です。
 
3回やって、3回とも同じような結果になっているのですから、国民からは野党の必要性無しと失格印を押されているわけですよね。
 
なぜ、いい加減そのことに気づかないのか。
 
とても不思議です。
 
高校生でも理解できる話しなのに。
 
逆に自民党の勝利は、これまた今までと意味が違ってきます。
 
増税を掲げての選挙で勝ったわけですからね。
 
増税を認める事になるかもしれないが、国民としてはそれでも自民党を選んだということですから、いかに野党が駄目なのか、選択肢としてあり得ないのかが想像できます。
 
与党はこの結果に慢心せず、日本運営のために尽力を尽くして欲しいですが、決して今の状況が日本にとって良いとは思いません。
 
そのためにも野党は目を覚まして、国民の支持を得られるようになって欲しいものです。

昭和元禄落語心中(1期)

「昭和元禄落語心中 アニメ」の画像検索結果

 

いつもの通り原作未読です。
 
落語が題材のアニメ作品ということで、正直どこまでその世界にはまれるか不安だったのですが、そんな不安をあっさりと消し飛ばすほどの出来映えで面白かったです。
 
あらすじ
刑務所の落語慰問会で見た、”昭和最後の名人”・八雲の「死神」が忘られない”与太郎”。出所後に拝み倒して、住み込みの弟子となりますが、八雲のところでは小夏という名の女性が暮らしていました。
そして明かされる、菊比古こと八代目有楽亭八雲と、共に落語の道を歩んだ助六の過去。夭逝した伝説の天才落語家・助六が遺した忘れ形見・小夏ら、それぞれの因縁が語られます。
 
…という感じ。
 
音系原作をアニメにする壁
これに限らず、例えば「BECK」など音楽を題材にした原作漫画をアニメ化や実写化する時、けっこう非難の声もありました。
 
原作では、誰もが魅了されるこゆきの歌声だったり、唯一無二のロックバンドとされたダイイング・ブリードが奏でる音楽は、漫画を読む読者の想像の中だからこそ成立するものでした。
 
それをアニメ化するということは、必然的にこゆきの歌声をリアルに出さないといけないですし、オリジナル且つ最高のロックミュージックを作品内で視聴者に届ける必要があり、普通に考えればとうていそんなことは不可能だからです。
 
日本のプロミュージシャンが世界でほとんど通用してないのに、そのミュージシャンが書いた曲が至高のロック音楽になりえるわけがない。
 
ドラゴンボールの実写化の方が、そういった点ではまだ楽だと思うのです。
 
このアニメも音楽ではなく落語ですが、上質の落語は喋りだけでなく演者の立ち振る舞いや動作までもが表現の対象になります。
 
そういった点では、アニメ化するにはかなりの壁と覚悟が必要だっただろうと想像します。
 
本物の落語家に演じさせるわけにもいかないでしょうから、声優達それぞれの力量だったり努力にかかってきます。
 
ただ、僕はそんなに落語に詳しくないので、どういうのが良くて何が駄目というのは分からないのですが、このアニメにおいては全然良かったなと感覚的に感じられました。
 
声優の底力
アニメはあくまで物語性だと僕は思ってますので、どの声優が好きとか、誰がいいとかはありません。
 
それぞれの作品の世界観をごく自然に作り上げてくれれば、僕はそれで充分満足です。
 
この「昭和元禄落語心中」にしても、声優さんの力量でもって評価するのはやはりもったいない。
 
ですが、改めてプロの声優の凄さをこのアニメでは実感することができます。
 
物語性はもちろん重要ですが、それを構築するキャラクター達も当然大事。
 
ましてや題材が落語ですからね。
 
ハードルは普通のアニメよりも断然高かったはずですが、見事にキャラを演じ切っておられ脱帽であります。
 
ある落語家の物語
落語が題材とはいえ、メインテーマは落語家の生き様です。
 
だから落語を全く聞いたこともない、笑点さえ見たこと無い人でもこの作品を充分楽しむ事ができます。
 
当然、作中には実際に落語を演じるシーンも登場しますが、落語を知らなくてもやはり楽しめます。
 
世界観が素晴らしい
画はちょっと特徴的というか独特です。
 
全体的には昭和時代のノスタルジックな風景含めて、綺麗に描かれています。
 
もう単純にそうした世界観に浸るためだけに視聴しても良いぐらいです。
 
アニメでありながらまた別の充足感
物語性や描写が素晴らしいアニメを見ると、活字の小説を読んだ後のような充足感が得られます。
 
このアニメはまさにその典型。
 
小説>アニメという意味ではなく、同じ物語を語るコンテンツでありながら、その垣根を簡単に超えてしまうレベルの作品ということです。
 
当然、逆のパターンもあります。
 

まとめ

凄く陳腐な言い回しですが、日本人で良かったなと思います。
 
落語も含めて、この作品で描かれる世界観や物語を享受できる、それを面白いと思えることに幸せを感じます。
 
あらためて、アニメってすげぇなと(^_^;
 
 

人事異動してきた新人君のおかげで…

部下の女性が結婚退職するという話しを以前書きました。
 
一応、その女性社員をSさんとします。
 
結局、Sさんの退職は9月末となり、それに伴い人事異動で新しい男性社員が我が部下に配属されました。
 
彼は9月1日付で当課に来たのですが、もちろん、9月の一ヶ月間で彼女から引継をしてもらいました。
 
Sさんの年齢は28歳、異動で来た男性社員は24歳。
 
Sさんは非常に真面目で、且つ人当たりも良く、誰からも好感を持たれ、上司の僕も頼りにしていた部下でした。
 
正直、彼女の退職は僕にとってかなりの痛手。
 
仕事をする上で片腕を失うようなものでしたから。
 
ですが、退職する事実は変わらないので、新人男性に期待するしかありません。
 
彼、N君は、昨年新卒採用され1年半ほどは全く別部署で仕事をしていました。
 
僕もあまり関わりがなかったので顔もほとんど知らなかったです。
 
ただ、総務課長からはあまり面白い評価は聞けませんでした。
 
で、実際にSさんが業務引継していたのですが、どうもやる気っぽいものが感じられないらしい。
 
新卒採用の子って、2~3年ぐらいは「仕事の事はまだ分からないけど、とにかく頑張ります!」オーラがあるじゃないですか。
 
N君にはそういう雰囲気がほとんど無いんですよね。
 
広報関係の業務も引継があったのですが、聞いたら今まで自社の広報資材に全く目を通した事がないことが判明。
 
おいおい、よくそんなヤツをうちの課に異動させたな、人事担当者(部長、役員)さんよ。
 
ちなみにそのN君、広報関係はそんなに難しくなさそうと引継中に言ったらしいです。
 
Sさんも、まあ性格の良い子なので、そこで怒ることなく丁寧に教えてあげたみたいですが。
 
なので、一応、上司として僕も牽制球をN君に投げとかないといけないと思い、引継具合のタイミングを見計らって面談しました。
 
「広報資材を今まで見たことないらしいな」
「PCはどのくら扱えるのか?PC扱えなくて30分で終わる仕事を1時間でしてたら駄目だぞ。」
「まだ新人という気持ちもあるかもしれないけど、うちでは個々が独立事業主みたいな立場で仕事するから、自分の仕事は自分でケツ持てよ」
「無理だと思ったら早めに言え」
というような、軽いジャブを打っておきました。
 
それが効いたかどうか分かりません。
 
しばらくは様子見といったところでしょうか。
 
ただ、ほとんど残業を発生させなかったSさんに比べて、N君はなかなか帰ってくれません。
 
残ってでも仕事をやってくれるのは良い兆候なのかもしれませんし、自分もジャブ打ってますからしょうがないっちゃしょうがない。
 
N君にはもっとやる気出せと発破かけながら、当の僕がやる気ない上司というのも彼にとっては可愛そうでありますが、それも運が悪かったと思ってもらうしかありません。
 
新人N君に付き合って、職場に残る僕はなんて真面目な上司なんだということで、今日はおしまい。
 

自分のブログが何の価値も提供できていないこと

タイトル通りでして、そのことを自分でも自覚しているって事です。
 
記事の数だけなら、600記事以上アップしてますが、そのうちのいくつが読者に対してくろばこならではの価値観を提供できているか?
 
ゼロとは言いませんが、振り返ってみますにほとんどない気がします。
 
大半は愚痴だったり、会社辞めたいだったり、社会情勢に怒りの罵声を浴びせたりといったもので、到底そこで何かが得られるような内容ではありません。
 
だから日記系のブログというのは、対外的には難しいんだろうなと。
 
世間の人が知りたがっている情報やネタを、時に広く、時に深く提供できるブログというのはやはり読者数も多いですし、アクセス数も桁違いです。
 
約半世紀生きてきて、僕は未だに他人様に自信持って提供できる情報やネタ、知識を持ち合わせていません。
 
だいたいにおいて、そこそこ、平均的なのです。
 
浅くさらっとだけ手を出して、それ以上は深く掘っていきません。
 
そういう性格なのかなとも思います。
 
ある一点に集中してみたいという気持ちもありますが、そのことにより他の何かしたい事が出来なくなるような気がして躊躇しちゃいます。
 
音楽だけの事を掘り下げて書く、アニメの事だけを掘り下げて書く、投資の事だけを掘り下げて書く、、、といった行為は、読者にそれなりの価値観を提供する近道ではあります。
 
でも今のところ、そこへ舵を切る事はなさそうです。
 
普段の自分が思っていること、考えていること、行動したことをつらつらと書き残していくブログを細々と続けるのでしょう。
 
ほとんど価値観を提供できないにも関わらず。。。
 
当分、このブログが景気良くなる事はなさそうです(^_^;

小池都知事の評価については今一度再考する時期かも

個人的には小池都知事の事は概ね好印象を持っていたし、他の政治家との格の違いも感じているのも事実です。
 
希望の党の公認に関しての排除というやり方も、まあ、小池都知事らしいなと。
 
排除については賛否両論あろうかと思いますが、そもそも小池さんが本当に目指す政策って何かよくわからないのに排除って言われてもねぇという疑問符は残ります。
 
え?、小池さんはちゃんと「増税凍結、憲法改正原発ゼロ」という政策を掲げているじゃないか、と反論されそうです。
 
もちろん、それは知っています。
 
でもねぇ、なんか急ごしらえ感が否めない。
 
一部リベラルの言う、希望の党自民党は同じ保守の立ち位置だという指摘をかわすため、敢えて差別化するためにその3つを政策として掲げただけじゃないのかという印象が拭えないんですよ。
 
安倍政権と、明確に対峙する立場を浮き上がらせるためだけの政策が「増税凍結、憲法改正原発ゼロ」じゃないでしょうか。
 
憲法改正については、確かに自民党と同じ立ち位置ですが、小池さんの憲法改正に関する発言を聞いていると、なんというか具体的じゃないんですよね。
 
ざっくり濁したような言葉しか返ってこない、まるで憲法学者とのやり取りみたいでした。
 
原発ゼロは、小泉元総理の入れ知恵ですかね?
 
要は、小池氏が本当に目指すところ、この日本丸をどうしたいのかが見えてこない。
 
でも、劇場型手法の故、一般国民にはウケが良く人気はあるというのが今の小池さんじゃないかなぁ。
 
僕がそうした疑問を抱くようになったのは、築地移転問題の対応を見てからです。
 
豊洲移転が決まっていたのをまずはひっくり返したわけですが、これ、ほぼ独断専行でした。
 
都知事にどこまでの権限があるのかしりませんが、冷静に考えたら、決定済みの事を差し戻すわけですから、議会を通すなどの手続きはやっぱり必要だと思うのですが、たぶん、それやってないです。
 
誰もが舞台上の小池都知事に目を奪われて、舞台裏にも仕事があることを忘れてしまってたわけです。
 
小池さんは都知事就任前後から、都議団や都政のブラックボックスを無くすと公言していたのですが、自身の行動に当てはめてみた時もそれはきちんと有言実行されていますか?という話しになるのです。
 
結局のところ、豊洲移転に問題無しという結論に至るのですが、それって、ひっくり返す前の状態と具体的に何がどう違ってるのでしょうか。
 
メディアも国民もそこのところの検証を全然しようとしません。
 
あれほど大騒ぎしていたのに。
 
そして今回の希望の党起ち上げから衆議院選挙への流れ。
 
自民党との違いを出したいのは分からないでもないですが、都政における手法や急ごしらえの政策を見ていると、ちょっと怖いなという気持ちが強いです。
 
クラッシャー小池という意味では評価しますけど、スクラップしたらビルドしなければなりません。
 
そのビルド部分が小池氏には無いような気がしています。
 
今のところ、小池都知事は国政に出る気配がありませんが、いずれは出るのでしょう。
 
たぶん、その時も小池人気は続いてるでしょうから、恐らくは国政の鍵を握る位置に座ることになるでしょう。
 
その時は、きちんと日本丸の舵を任せられる人物になっていて欲しいものです。
 
 

心療内科通いはまたまた挫折

自分がADHDかもと思い、心療内科に診察に行き、けど診察ではいわゆる抑鬱状態ではとの診断となり、けど色んな原因や可能性があるからカウンセリングを定期的にしましょうという事になった話しを以前書きました。
 
その心療内科の先生はけっこう良い先生で、時間は約30分でしたが、きちんと話しを聞いてくれてじっくりとやってくれる人でした。
 
6月ぐらいから通い始めて、8月までの3ヶ月ほど通っていました。
 
ですが、父親の手術のドタバタや急な出張が入ったりして、診察予定日を延ばし伸ばししていたら、連絡するの忘れちゃって結局そのままです。
 
また断り入れてカウンセリングを再開すれば良いとは思うのですが、なかなか行動に移せません。
 
心療内科医に限らず、喘息持ちなのでけっこう病院のお世話にはこれまでなってるのですが、定期的に通うといことが苦手なみたいです。
 
最初は勇んで通院するんですけどね。
 
段々と優先順位が自分の中で後ろに追いやられて、最後はドタキャンする形で行かなくなります。
 
歯医者なんかも同じです。
 
妻に今のうちに歯医者通って、定期的に歯石取ったりした方が良いよって言われてるのですが、これも途中で挫折した経験があり、あまり気が進みません。
 
性格の問題なんでしょうかね。
 
自分の事を大切に思うなら、もうちょっとそこらへんしっかりした方が良いとは思っています。
 
でも出来ない、続けられないんですよ。
 
心療内科のカウンセリングも、それによって劇的に良くなるわけじゃないですが、自分の事を見つめ直したり考えたりするきっかけになります。
 
先生の質問がキーになって、「あ、こういうことだったのかな」という場面もあったりします。
 
なので、どこかでまた気持ちを奮い立たせて、カウンセリングに出かけたいと思います。