アラフィフだろうが会社を辞めたいに変わりはない
今の会社を辞めたいという話しは、このブログの中でずっとしています。
しかし、自分の意思が弱いのか、はたまた本気度が足りないのか、ともかく未だ実現に至っておりません。
ちなみに年齢は48歳、今年中には49歳になるアラフィフ。
そんな年齢で辞めてどうすんの?という声も聞こえてきそうです。
でも、もはや、まっとうに正社員として働く気概もない僕です。
なんで世の中は、正社員になることに憧れるのか、正社員じゃないと人間じゃないみたいな考えをしているのか理解できません。
別にパート従業員でも、嘱託社員でも、契約社員でもいいじゃないですか。
それぞれにメリット、デメリットがあるはずです。
正社員のメリットって何でしょう?
安定した固定給と、賞与ぐらいじゃないですかね。
ここ最近は昇給幅もたいしたことないし、賞与だって支給されれば御の字みたいなご時世。
賃金メリットと引き替えに要求されるのが、組織への忠誠や従属、長時間労働、転勤、成果達成の締め付けなどです。
もちろん、そういった要求を苦にしない人もいますが、どちらかというとそれは少数でしょう。
にも関わらず、大半の人は正社員という地位に拘り続け、デメリットと引き替えに会社にずっと居続けようとします。
老後のため、子供の学費のため、とその理由は様々ではありますが、たいていは漠然としたよくわからない不安によるものです。
そして、その不安の情報発信元はメディアだったりします。
「老後にはこれだけのお金が必要」、「年収○○円以下の人は結婚できない」とか。
何故?という思考をあまりしない国民性を突っつくのが、上手なんでしょうね。
僕も、これまで何の気無しに会社という組織に属し、働いて収入を得てきました。
それが当たり前だと思って。
でも、よくよく考えてみると、別に手段は何だって良いんですよね。
正社員で長時間拘束され大半の時間を会社に捧げるより、自分の時間で色んな手段を掛け合わせて収入を得るスタイルを確立した方が、最終的には自分の強みになるんじゃないかなと。
それに気づくのが、僕としては遅かったんですが。。
自分の時間を自分の裁量で使って、収入に結びつくことをする。
どっちかつうと、これが健全なスタイルであって、組織勤めというのは本来は亜流だと思います。
それがいつの間にか、主流は就職して働くことみたいになってしまっていて。
たぶん、その方が税金の徴収とかで国にとって都合が良いので、そういう方向に持っていったのだと想像しますが(^_^;
松居一代騒動
もう、単純な話しで、メディアが取り上げなければいい。
彼女が何をブログで書こうが、動画をアップしようが無視すれば良いだけのこと。
本人(松居一代)にとっては重要な事なのかもしれないが、所詮は夫婦の離婚問題ですよね。
それを、わざわざ大騒ぎして、世間を巻き込むやり方は嫌悪感すら覚えます。
仮に旦那が本当に不倫していたとしても、だから何?という話しであります。
二人の問題でしょうよ。
「これから戦いが始まる」だとか、表立って言う意味がわかりません。
やるんなら、身内で粛々とやってればいい。
最近は、ネットのネタをTVや週刊誌が取り上げ火を付け、一生懸命扇いで大きくするパターンが多すぎです。
もはやメディアのプライドも何もあったもんじゃありません。
海老蔵と小林麻央
海老蔵(僕より年下なので敬称略)、あんまり好きじゃなかったんですよね。
学校のクラスにいたら、僕とは友達にならないタイプ、それどころかその存在を疎ましいとさえ思ってたことでしょう。
かっこよくて、金持ちで、歌舞伎役者で、芸能人とも知り合いがいてなんて同級生、僕のような存在は彼の視界の隅っこにすら映ってないはず。
ひがみで言ってるんじゃなくて、経験則でそうだって話しです。
実際、麻布のBARで暴行事件に巻き込まれた時、彼はそういう世界を好む人間であり、想像ではありますがそこで粋がってたが故の事件だったんだろうなと。
そういうお店に出入りして素行の悪い連中とつるむ人間は、僕とは、たぶん一生接点がないだろうし、お互いが近づくこともありえないということですね。
これは単にひがみですが(^_^;
小林麻央がフジTVのめざましTVで、お天気キャスターとして出てきた時も、声の感じや喋りが女子大生っぽくて(実際に大学生だったわけですが)、キャスターに向いてそうな感じがしませんでした。
頭良くて容姿も良いから、まあTV向きなんだろうなぐらい。
その後、海老蔵と結婚したニュースを見知っても、二人に対する僕の見方はけっこう冷ややかでしたね。
どうせ、海老蔵が女性問題起こして揉めるだろうにと。
(実際には女性問題より衝撃的な事件の当事者となったのですが)
で、彼女の病気の公表、ブログ開設となりましたが、それでも僕はあまり好意的には見てなかったです。
海老蔵夫妻は、どちらも有名人であり、もちろんそのことで苦労することもあるかもしれませんが、基本は何か発信すればメディアも飛びつくし、一般の人達も必ず注目します。
彼女の闘病生活がブログで綴られれば、そりゃ、「頑張れ」「応援してます」といった反応がいくらでもつくでしょう。
でも実際、34歳で癌や他の重い病気に苦しみながら亡くなられる人は、たぶん、他にもいっぱいいるはず。
僕はどちらかというと、そういう不条理さばかりに目が行き、小林麻央がブログ開設したという話しを聞いても、全く興味や関心が持てませんでした。
もちろん、小林麻央の闘病に関する報道やブログは、そういった人たちの励みになったとも思いますが。
僕が同じような病気になっていて、いつ死ぬかわからない状況だとしたら、海老蔵夫妻の報道を見ていても、羨ましいなぁぐらいにしか思わなかったんじゃないかと。
しかしながら、妻が死んだ後の海老蔵の会見は僕も泣いてしまいました。
生で見ていたのですが、愛する人を失った悲しみが我が事のように伝わってきました。
有名人であろうと、その悲しさは僕らが感ずる事と同じなんです。
妻が亡くなった翌日も、歌舞伎座の公演をこなし、そして本当はやりたくなかったであろう記者会見を開き、自分の口で喋ったのですから、これはとても僕には真似できそうもないなと。
もし、僕の妻が病気で亡くなってしまったら、、、。
想像するだけでも恐ろしく、悲しいことであり、僕はその事実に耐えられるだろうかと考えてしまいました。
心の底からやりたいと思ってることがあるだろうか
ほかの人のブログを読んでいると、よく、「好きなことだけをやっていくことにした」とか、「心の底からやりたいと思ったことしかやってない」というのを目にします。
正直、羨ましい。
心の底からやりたいと思うこと、自分にあるだろうか?
その関連で、自分が本当にやりたいことは何かを問う質問で「一生困らないお金が今手に入ったら、何をしたいか」というのがあります。
僕はたぶん、想像するに「好きな時に行きたい旅行に出かけ、好きなものを食べ、それ以外は家でネットしたり、映画見たり、ゲームしたり、ギター弾いたり、料理したり、アニメ見たり、本読んだり、、、。」ぐらいしか思いつきません。
つまるところ、自分がしたいと思うのはその程度の事であって、要はぐうたらしたいだけです。
「心の底からやりたいと思ってること=ぐうたらしたい」
う~ん、、そんなんでいいのかなぁ。。
最近読んだ「好きをお金に変える心理学」(DAIGO)では、
"好きな事とは「ラーメンが好き」、「部屋でのんびりするのが好き」、「かわいい子が好き」といったレベルの「好き」ではありません。
「一生をかけて追求しても、まったく飽きないほど好き」
「誰に反対されても、非常識だと罵られても貫き通すほど好き」
「手持ちの現金、財産を全て失っても手に入れたいほど好き」
といったレベルの好き。
いうならば、全てをつぎ込んでも惜しくないほど大好きだからです。"
と書いてありました。
そうなんだよ、そういう「好き」なものが果たして自分にあるのだろうかと考えると沈黙しちゃうのです。
でも、今まで自分の考えていた「好き」が浅はかなレベルだって事には気づかされました。
本を読むのは好きだけど、追求するほどの「好き」レベルだろうか?
アニメ好きだけど、財産全てつぎ込んで関連商品買い漁るほどの好きだろうか?
と、考え出すとまたまた蟻地獄のような思考に陥るのです。
考えちゃダメなんでしょうね、感じる事がたぶん重要。
ブルース・リーが言う「Dont think.Feel!」です。
これだと感じる何かを探さねばならないんでしょうね。
結局、自分の好きなことを見つけるのが一番ムズイ~「好き」を「お金」に変える心理学/DAIGO
メンタリストDAIGOの「好きをお金に変える心理学」って本を、買って読んでみたわけですよ。
あるブログで、本当に好きなことの見つけ方が、具体的にこの本に書かれているという紹介があったからですが。
「好き」を「お金」になんか変えなくてもいいから、自分が本当に好きなこと、やりたいことを見つけたい、という必死の思いでAmazonで購入したわけ。
結果から言うと、本を読んだぐらいじゃ見つけられないってことです。
好きなことを見つける、というよりは、「気づく」というのが本当のところ。
既に答えは自分の中にあって、ただ、それに気がついてないだけ。
そういう意味においては、この本に書いてある『今の仕事が「本当に好きなこと」かわかる9つの質問』は、気づきを与える手段としては有効かなと。
でも、すぐには何かが分からない。
フロー体験の構成要素と照らし合わせながら、これがそうだろうか、違うのだろうかという作業を時間かけてする必要があります。
ま、当たり前の話しですよね。
自分のこと、自分の好きなことについてですから。
他人が「あなたが好きな事は○○ですよ」って教えてくれるわけがない。
40歳後半にもなって、未だにそんなことが分からないなんて。
いや、本当はわかっているけど、手っ取り早い方法に飛びついてしまおうとする自分がいるのです。
でも、とりあえず、今の仕事は辞めた方が良さそうだと「9つの質問」をやってみて理解できました。
「Yes」となったのが2つしかありませんでした(^_^;
ちなみに質問内容はこんな感じ。
1.仕事の目的を即答できますか?
→<NO>
2.仕事中は集中できていますか?
→<NO>
3.仕事中、作業に30分以上没頭して周りが見えなくなることがありますか?
→<YES>
4.仕事がある日は1日を短く感じますか?
→<NO>
5.今日の仕事で得られた成果について即答できますか?
→<NO>
6.あなたの仕事は未知への挑戦が多いですか?
→<YES>
7.仕事のスケジュールや内容を自分でコントロールできている感覚がありますか?
→<NO>
8.あたなの仕事場は作業を誰かに邪魔されにくい環境ですか?
→<NO>
9.毎日働いて得られるのと同じ給料が働かなくても自動的に振り込まれるようになったとしても、今の仕事を続けますか?
→<NO>
仕事も、ずっと前から辞めたいって思ってることなんで、何を今更という感じですが。。。
著者のDAIGO氏は、今の仕事は出来るだけ続けながら、つまりリスクを回避しながら好きな事を見つけるのが良いと言っていますが、それでも「Yes」が1~2個しかつかなかった人は、辞めることも視野に入れてと書いています。
結局のところ、仕事を辞めたいのになかなか行動に移さない自分自身に苛立ち、焦り、そして疲れて追い込まれているのでしょう。
つまりは自分自身が悪いわけで、やりたいことが見つけられないのは、この本のせいではないんですよね。
この本自体は、けっこう面白く読めましたし、なるほどねと思う部分もけっこうありました。
タレントが出す本とか、「好きをお金に変える」っていう錬金術的なタイトルとか、自分としては普通であれば手を出さない本ですが、これは意外と良かったです。
心療内科でのカウンセリング状況
今回は、その後の続きです。
先生からの指示で、毎日の活動とその時々での感情や気持ちを表に記し、毎回の受診時にそれを見てもらうことになりました。
いわゆる、簡易的な認知療法ってやつです。
以前、個人的にそれに取り組もうとした過去もあったのですが、続きませんでした。
性格的に、やり出したらけっこう細かく書き出してしまい、挙句は書き記すことに疲れてダメだったんですよね。
でも、今回は先生の指示でもあるし、そんなに詳細に時間をかけて記すのはやめようと思いました。
とりあえず、一週間分の行動と感情を記録したものを2回目の受診時、先生に出しました。
先生はそれを見て、「けっこう詳しく書いてるね。こんなに書いてあるのを見るのは初めてだよ。」と驚きの評価。
え?そうなの?
自分的には、けっこう手抜きというか、簡潔にしたつもりだったんだけど。。
つまりは、そういう性格なんでしょうね、僕は。
取り組みだしたら、高みを目指しできるだけ完璧に近いものを作ろうとする、けど、途中でやっぱり無理だと思いすぐにあきらめる。
こういうパターン、これまで数限りなく経験してきました。
100からゼロ、どちらかしかないのが自分の抱える問題の一つかも。
とりあえず50ぐらいの出来でも良しとするか、という余裕がないんでしょうね。
それと、やってみて思ったのが、自分のその時の気分をテキストに起こすのは意外に難しい、ということ。
あの時、この時、自分はどういう気持ちだったんだろうと考えてはみるのですが、正直よくわかんないです。
何も考えてなかった、特に感じることもなかったような気もするし、なんかモヤモヤしてた気もするし。
ずっとそんなことの繰り返しです。
語彙も豊富じゃないので、「リラックス50%」とか「不安70%」、「憂鬱40%」といった言葉なかり並びます。
こんなんで自分の問題解決につながるのかなぁと疑問ですが、当面は先生を信じて通院するしかないですね。
銀座3丁目にあるBarで交わされた中身のない会話
東京出張で銀座、築地方面に来てました。
会議も終わり、取引先の人と築地で夕食を食べ、そこでその人とは別れて一人で銀座をブラブラ。
もう少し軽く飲んでからホテルに帰ろうと思い、どこか手頃なBarがないか探していたらちょうど良い店を見つけちゃったんですよね。
どちらかというと狭い店内で、女性バーテンダーがやってるBarでした。
入った時は僕一人しか客がおらず、ゆっくり静かにお酒を味わっていましたが、やがて男性客が一人来店。
短髪で、ほどよく日焼けしていて、サーファー系の人かなと勝手に想像していました。
その時のバーテンダーとサーファー系男性客の会話。
男性客「あそこの鰻屋にこないだいったんだけどさあ。店主が気難しい感じだったんだけど、なぜか会話が弾んちゃって。」
バーテンダー「気が合ったんだね」
男性客「鰻あんまり好きな方じゃなかったんだけど(じゃあ何故行ったんだという心の中でツッコミ)、美味しくてねぇ。でももう鰻重とか量多すぎて食べられないじゃん?(だから何故鰻屋に行ったんだ?という更なるサイレントツッコミ)」
バーテンダー「何を食べたんですか?」
男性客「鰻料理ってやつ?刺身みたいなのとか、そういうの食べさせてもらったんだけど、美味しくてはまっちゃったよ。店主が色々と勧めてくれたんだよね」
バーテンダー「気が合ったんですね」
男性客「気難しい人だって聞いてたんだけどね、話が弾んでさあ」
バーテンダー「気が合ったんですね」
男性客「昨日も4時間しか寝てなくてさぁ。(唐突だな)忙しすぎるんだよね。週休0日だよ」
バーテンダー「忙しくて何よりじゃないですか」
という不毛な会話を残して、男性客は帰っていきました。
傍で聞いてると、なんて中身のない会話なんだと笑ってしまいましたが、こんな会話が夜の銀座ではあちこちで交わされているんでしょうね。