Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

海老蔵と小林麻央

海老蔵(僕より年下なので敬称略)、あんまり好きじゃなかったんですよね。
 
学校のクラスにいたら、僕とは友達にならないタイプ、それどころかその存在を疎ましいとさえ思ってたことでしょう。
 
かっこよくて、金持ちで、歌舞伎役者で、芸能人とも知り合いがいてなんて同級生、僕のような存在は彼の視界の隅っこにすら映ってないはず。
 
ひがみで言ってるんじゃなくて、経験則でそうだって話しです。
 
実際、麻布のBARで暴行事件に巻き込まれた時、彼はそういう世界を好む人間であり、想像ではありますがそこで粋がってたが故の事件だったんだろうなと。
 
そういうお店に出入りして素行の悪い連中とつるむ人間は、僕とは、たぶん一生接点がないだろうし、お互いが近づくこともありえないということですね。
 
おまけに小林麻央という美しく、上智大出身の聡明な女性と結婚できるわけですから。
 
これは単にひがみですが(^_^;
 
小林麻央がフジTVのめざましTVで、お天気キャスターとして出てきた時も、声の感じや喋りが女子大生っぽくて(実際に大学生だったわけですが)、キャスターに向いてそうな感じがしませんでした。
 
頭良くて容姿も良いから、まあTV向きなんだろうなぐらい。
 
その後、海老蔵と結婚したニュースを見知っても、二人に対する僕の見方はけっこう冷ややかでしたね。
 
どうせ、海老蔵が女性問題起こして揉めるだろうにと。
(実際には女性問題より衝撃的な事件の当事者となったのですが)
 
で、彼女の病気の公表、ブログ開設となりましたが、それでも僕はあまり好意的には見てなかったです。
 
海老蔵夫妻は、どちらも有名人であり、もちろんそのことで苦労することもあるかもしれませんが、基本は何か発信すればメディアも飛びつくし、一般の人達も必ず注目します。
 
彼女の闘病生活がブログで綴られれば、そりゃ、「頑張れ」「応援してます」といった反応がいくらでもつくでしょう。
 
でも実際、34歳で癌や他の重い病気に苦しみながら亡くなられる人は、たぶん、他にもいっぱいいるはず。
 
僕はどちらかというと、そういう不条理さばかりに目が行き、小林麻央がブログ開設したという話しを聞いても、全く興味や関心が持てませんでした。
 
もちろん、小林麻央の闘病に関する報道やブログは、そういった人たちの励みになったとも思いますが。
 
僕が同じような病気になっていて、いつ死ぬかわからない状況だとしたら、海老蔵夫妻の報道を見ていても、羨ましいなぁぐらいにしか思わなかったんじゃないかと。
 
しかしながら、妻が死んだ後の海老蔵の会見は僕も泣いてしまいました。
 
生で見ていたのですが、愛する人を失った悲しみが我が事のように伝わってきました。
 
有名人であろうと、その悲しさは僕らが感ずる事と同じなんです。
 
妻が亡くなった翌日も、歌舞伎座の公演をこなし、そして本当はやりたくなかったであろう記者会見を開き、自分の口で喋ったのですから、これはとても僕には真似できそうもないなと。
 
もし、僕の妻が病気で亡くなってしまったら、、、。
 
想像するだけでも恐ろしく、悲しいことであり、僕はその事実に耐えられるだろうかと考えてしまいました。

心の底からやりたいと思ってることがあるだろうか

ほかの人のブログを読んでいると、よく、「好きなことだけをやっていくことにした」とか、「心の底からやりたいと思ったことしかやってない」というのを目にします。
 
正直、羨ましい。
 
心の底からやりたいと思うこと、自分にあるだろうか?
 
その関連で、自分が本当にやりたいことは何かを問う質問で「一生困らないお金が今手に入ったら、何をしたいか」というのがあります。
 
僕はたぶん、想像するに「好きな時に行きたい旅行に出かけ、好きなものを食べ、それ以外は家でネットしたり、映画見たり、ゲームしたり、ギター弾いたり、料理したり、アニメ見たり、本読んだり、、、。」ぐらいしか思いつきません。
 
つまるところ、自分がしたいと思うのはその程度の事であって、要はぐうたらしたいだけです。
 
「心の底からやりたいと思ってること=ぐうたらしたい」
 
う~ん、、そんなんでいいのかなぁ。。
 
最近読んだ「好きをお金に変える心理学」(DAIGO)では、
 
"好きな事とは「ラーメンが好き」、「部屋でのんびりするのが好き」、「かわいい子が好き」といったレベルの「好き」ではありません。
 
「一生をかけて追求しても、まったく飽きないほど好き」
「誰に反対されても、非常識だと罵られても貫き通すほど好き」
「手持ちの現金、財産を全て失っても手に入れたいほど好き」
 
といったレベルの好き。
 
いうならば、全てをつぎ込んでも惜しくないほど大好きだからです。"
 
と書いてありました。

 

「好き」を「お金」に変える心理学

「好き」を「お金」に変える心理学

 

 

そうなんだよ、そういう「好き」なものが果たして自分にあるのだろうかと考えると沈黙しちゃうのです。
 
でも、今まで自分の考えていた「好き」が浅はかなレベルだって事には気づかされました。
 
本を読むのは好きだけど、追求するほどの「好き」レベルだろうか?
 
アニメ好きだけど、財産全てつぎ込んで関連商品買い漁るほどの好きだろうか?
 
と、考え出すとまたまた蟻地獄のような思考に陥るのです。
 
考えちゃダメなんでしょうね、感じる事がたぶん重要。
 
ブルース・リーが言う「Dont think.Feel!」です。
 
これだと感じる何かを探さねばならないんでしょうね。
 

結局、自分の好きなことを見つけるのが一番ムズイ~「好き」を「お金」に変える心理学/DAIGO

メンタリストDAIGOの「好きをお金に変える心理学」って本を、買って読んでみたわけですよ。

 

「好き」を「お金」に変える心理学

「好き」を「お金」に変える心理学

 

 

あるブログで、本当に好きなことの見つけ方が、具体的にこの本に書かれているという紹介があったからですが。
 
「好き」を「お金」になんか変えなくてもいいから、自分が本当に好きなこと、やりたいことを見つけたい、という必死の思いでAmazonで購入したわけ。
 
結果から言うと、本を読んだぐらいじゃ見つけられないってことです。
 
好きなことを見つける、というよりは、「気づく」というのが本当のところ。
 
既に答えは自分の中にあって、ただ、それに気がついてないだけ。
 
そういう意味においては、この本に書いてある『今の仕事が「本当に好きなこと」かわかる9つの質問』は、気づきを与える手段としては有効かなと。
 
でも、すぐには何かが分からない。
 
フロー体験の構成要素と照らし合わせながら、これがそうだろうか、違うのだろうかという作業を時間かけてする必要があります。
 
ま、当たり前の話しですよね。
 
自分のこと、自分の好きなことについてですから。
 
他人が「あなたが好きな事は○○ですよ」って教えてくれるわけがない。
 
40歳後半にもなって、未だにそんなことが分からないなんて。
 
いや、本当はわかっているけど、手っ取り早い方法に飛びついてしまおうとする自分がいるのです。
 
でも、とりあえず、今の仕事は辞めた方が良さそうだと「9つの質問」をやってみて理解できました。
 
「Yes」となったのが2つしかありませんでした(^_^;
 
ちなみに質問内容はこんな感じ。
1.仕事の目的を即答できますか? 
→<NO>
 
2.仕事中は集中できていますか?
→<NO>
 
3.仕事中、作業に30分以上没頭して周りが見えなくなることがありますか?
→<YES
 
4.仕事がある日は1日を短く感じますか?
→<NO>
 
5.今日の仕事で得られた成果について即答できますか?
→<NO>
 
6.あなたの仕事は未知への挑戦が多いですか?
→<YES
 
7.仕事のスケジュールや内容を自分でコントロールできている感覚がありますか?
→<NO>
 
8.あたなの仕事場は作業を誰かに邪魔されにくい環境ですか?
→<NO>
 
9.毎日働いて得られるのと同じ給料が働かなくても自動的に振り込まれるようになったとしても、今の仕事を続けますか?
→<NO>
 
仕事も、ずっと前から辞めたいって思ってることなんで、何を今更という感じですが。。。
 
著者のDAIGO氏は、今の仕事は出来るだけ続けながら、つまりリスクを回避しながら好きな事を見つけるのが良いと言っていますが、それでも「Yes」が1~2個しかつかなかった人は、辞めることも視野に入れてと書いています。
 
結局のところ、仕事を辞めたいのになかなか行動に移さない自分自身に苛立ち、焦り、そして疲れて追い込まれているのでしょう。
 
つまりは自分自身が悪いわけで、やりたいことが見つけられないのは、この本のせいではないんですよね。
 
この本自体は、けっこう面白く読めましたし、なるほどねと思う部分もけっこうありました。
 
タレントが出す本とか、「好きをお金に変える」っていう錬金術的なタイトルとか、自分としては普通であれば手を出さない本ですが、これは意外と良かったです。

心療内科でのカウンセリング状況

自分がADHDかもしれないと思い、10数年ぶりに心療内科に行くことにした記事を書きました。
 
今回は、その後の続きです。
 
先生からの指示で、毎日の活動とその時々での感情や気持ちを表に記し、毎回の受診時にそれを見てもらうことになりました。
 
いわゆる、簡易的な認知療法ってやつです。
 
以前、個人的にそれに取り組もうとした過去もあったのですが、続きませんでした。
 
性格的に、やり出したらけっこう細かく書き出してしまい、挙句は書き記すことに疲れてダメだったんですよね。
 
でも、今回は先生の指示でもあるし、そんなに詳細に時間をかけて記すのはやめようと思いました。
 
とりあえず、一週間分の行動と感情を記録したものを2回目の受診時、先生に出しました。
 
先生はそれを見て、「けっこう詳しく書いてるね。こんなに書いてあるのを見るのは初めてだよ。」と驚きの評価。
 
え?そうなの?
 
自分的には、けっこう手抜きというか、簡潔にしたつもりだったんだけど。。
 
つまりは、そういう性格なんでしょうね、僕は。
 
取り組みだしたら、高みを目指しできるだけ完璧に近いものを作ろうとする、けど、途中でやっぱり無理だと思いすぐにあきらめる。
 
こういうパターン、これまで数限りなく経験してきました。
 
100からゼロ、どちらかしかないのが自分の抱える問題の一つかも。
 
とりあえず50ぐらいの出来でも良しとするか、という余裕がないんでしょうね。
 
それと、やってみて思ったのが、自分のその時の気分をテキストに起こすのは意外に難しい、ということ。
 
あの時、この時、自分はどういう気持ちだったんだろうと考えてはみるのですが、正直よくわかんないです。
 
何も考えてなかった、特に感じることもなかったような気もするし、なんかモヤモヤしてた気もするし。
 
ずっとそんなことの繰り返しです。
 
語彙も豊富じゃないので、「リラックス50%」とか「不安70%」、「憂鬱40%」といった言葉なかり並びます。
 
こんなんで自分の問題解決につながるのかなぁと疑問ですが、当面は先生を信じて通院するしかないですね。

銀座3丁目にあるBarで交わされた中身のない会話

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東京出張で銀座、築地方面に来てました。
 
会議も終わり、取引先の人と築地で夕食を食べ、そこでその人とは別れて一人で銀座をブラブラ。
 
もう少し軽く飲んでからホテルに帰ろうと思い、どこか手頃なBarがないか探していたらちょうど良い店を見つけちゃったんですよね。
 
どちらかというと狭い店内で、女性バーテンダーがやってるBarでした。
 
入った時は僕一人しか客がおらず、ゆっくり静かにお酒を味わっていましたが、やがて男性客が一人来店。
 
短髪で、ほどよく日焼けしていて、サーファー系の人かなと勝手に想像していました。
 
その時のバーテンダーとサーファー系男性客の会話。
 
男性客「あそこの鰻屋にこないだいったんだけどさあ。店主が気難しい感じだったんだけど、なぜか会話が弾んちゃって。」
 
バーテンダー「気が合ったんだね」
 
男性客「鰻あんまり好きな方じゃなかったんだけど(じゃあ何故行ったんだという心の中でツッコミ)、美味しくてねぇ。でももう鰻重とか量多すぎて食べられないじゃん?(だから何故鰻屋に行ったんだ?という更なるサイレントツッコミ)」
 
バーテンダー「何を食べたんですか?」
 
男性客「鰻料理ってやつ?刺身みたいなのとか、そういうの食べさせてもらったんだけど、美味しくてはまっちゃったよ。店主が色々と勧めてくれたんだよね」
 
バーテンダー「気が合ったんですね」
 
男性客「気難しい人だって聞いてたんだけどね、話が弾んでさあ」
 
バーテンダー「気が合ったんですね」
 
男性客「昨日も4時間しか寝てなくてさぁ。(唐突だな)忙しすぎるんだよね。週休0日だよ」
 
バーテンダー「忙しくて何よりじゃないですか」
 
という不毛な会話を残して、男性客は帰っていきました。
 
傍で聞いてると、なんて中身のない会話なんだと笑ってしまいましたが、こんな会話が夜の銀座ではあちこちで交わされているんでしょうね。
 
 

提案のつもりかもしれないがクレームでしょ

仕事の話しです。
 
受け持つ業務の中で、一般人を対象にした研修講座を開催したりしています。
 
単発的な研修もあれば、大学っぽく2年ぐらいに渡って講座開催したりするのですが、そうした長期間のものは研修生も仲間意識が出来てきて、講座が終了してもOB会のような活動として繋がりが残ったりします。
 
もちろん、それはそれで良いことだし、それならと、こちらもそうしたOB会活動を支援してあげたりするわけです。
 
約10年近くやってる研修講座なので、初代1期生から始まり、現在は5期生が研修を受講している状況です。
 
一番最近の修了生が4期生になります。
 
数ヶ月前に修了したばかりなので、そのOB会の活動も実に活発にしておられます。
 
ま、それはそれで嬉しい話しなんですが。。
 
ちなみに、そうしたOB会活動に我が社からは1回の活動(OB同士が交流するイベントなど)について5000円助成しています。
 
一応、OB会からの自主申告としていて、何の活動をしたかを簡単に1枚紙に書いて提出してもらうだけです。
 
初代OB、つまり1期生も始めの方は、割と頻繁に活動していて人数も20人近く集まっていたらしいんですよね。
 
らしい、というのは前任者時代の話しだからですが、それがここ最近は集まっても4~5名程度、活動回数もかなり少なくなっています。
 
しょうがないですよね。
 
みなさん社会人だし、家庭や仕事もあるしで、段々とOB活動から遠ざかるのは仕方ないことだと思っています。
 
ところが、そんな状況に渇を入れるべく進言してきたのが第4期生のリーダー(女性)。
 
何を言ってきたかというと、「我々4期生の活動は20人ぐらい集まるのに、1期生はせいぜい5人程度で、助成金額が同じ5000円はおかしい。参加人数に応じて増額するか減額するべきだ」というのです。
 
正直、「は?」という感じでした。
 
まあ、僕が直接言われたわけではなく、事務局をしている担当者がそう言われて上司の僕に相談があったという流れです。
 
その担当者には、「OB活動はあくまで自主的な活動であり、こちらからお金出すからやってくれと頼んでいるものではない。ただ、自主的とはいえそうした活動によってこちらとも繋がりが続いていくので、少ないですが感謝の意味で支援金を出しますね、という意味合いのお金です。人数に応じて増減するとかになると、そもそもの主旨が違ってきます。また、仮にそうするのであれば、活動計画や報告、人数の出欠などをOB会の方に厳格に求めていかなければなりません。それは自主的な活動とはちょっと違ってくると思わないですか?」
 
と話しました。
 
無論、その担当者も第4期生のリーダーの提案は受け入れられないという考えでしたので、そのように話しておきますとのこと。
 
確かに、先方の意見を提案と捉えることもできなくはないですが、やっぱりね、僕からしたらほぼクレーム、言いがかりとしか受け取れない。
 
だって、1期生と自分たち4期生の活動を比べる事自体が、そもそもおかしいですからね。
 
なぜ比較する必要があるのか?
 
1期生は1期生、4期生は4期生です。
 
全く理解できません。
 
「自分たちは人数も多く集まるんだから、もっと金を出せ」、もしくは「1期生は少ないんだからもっと金を減らせ」なんて、OB会から言う話しじゃないでしょ。
 
それに、1期生の助成金を減額したところで、それを4期生に回せるわけがありません。
 
道理が無いってやつですね。
 
4期生のリーダーは、自分の行ってることが正論だと思ってるのでしょうが、そう思い込んでいる人が一番タチが悪い。
 
他人の意見や話しは聞かないですから。
 
心が広い人は、4期生の意見を提案として受け取るのでしょうが、僕には提案という衣を着たクレームにしか思えませんでした。
 
最近、仕事していると、この手の話しにかなり苛々させられます。
 
表面上はクールに受け答えしてますが、内心はかなり不愉快な気持ちになってます。
 
耐性が無いのかもしれませんが、精神衛生上よろしくないですから、早く辞めたいなとも思っちゃうんですよね。

民進党のレベルがよくわかる篠原孝議員のブログ記事

 
こんな低次元で物事を考えている議員がいるのが、今の民進党なんですねぇ。
 
読んでいて、驚きを通り越してもはや呆れかえってしまいます。
 
仕事で間接的ではありますが、家畜衛生機関の方とたまに話しをする機会があります。
 
顔を会わす度に口にするのは、家畜獣医師、特に大型家畜に対応する獣医師が不足していて、特に地方はやばい状況になりつつあるということでした。
 
獣医師が不足すると何が問題かというと、一番大きいのは、防疫対応でしょうね。
 
宮崎県の口蹄疫問題でも、獣医師の不足が初動の遅れとなり待機家畜を殖やし、結果被害が甚大になったとも言われています。
 
僕のいる島根県でも数年前に鳥インフルが発生しました。
 
これも仕事の関係で、鶏の処分に駆り出されることになりました。
 
生きている鶏の足を捕み、片っ端から大きなビニール袋に入れていくのです。
 
袋がいっぱいになったら、縛って産廃用のコンテナに放り込んでいきます。
 
地獄絵図です。
 
ここでも、行政職員等の話しで獣医が不足していてどうしても対応が後手になると聞かされました。
 
そもそも、政府や官僚が獣医師の数を規制する理屈が分かりません。
 
仮に過剰気味になったとして、困るのは獣医師や獣医師会であり、畜産農家や国民は特に不利益を被ることはないはずです。
 
民進党は、民主党政権時代に四国での獣医学部新設を積極的に推し進めていた経緯があります。
 
しかし、それを無かったことにして加計学園問題を騒ぎ立てるのが、あまりに愚かしいですし、端から見ていて滑稽でもあります。
 
安倍政権憎しだけで、とんでも論を繰り広げる事に何の疑問も出てこないほど、思考力が低下してしまってるのでしょうか?
 
記事の中で、「四国で160人の入学定員が増えれば、過剰医師が生まれるだけ」みたいに書いてますが、別に四国で獣医師になる必要はないわけで、全国どこでも獣医師はできるはずです。
 
ましてや、私立の学校がやろうとしている話しです。
 
文科省の管轄とはいえ、そこまで反対する必然性もありません。
 
「北海道は、北海道大40人、帯広畜産大40人、酪農学園大120人の計200人と全体の22%になる。畜産が盛んな九州は、鹿児島大30人…。それなのに四国は160人と15%も占める。上述のせいぜい全国の3%の家畜頭数にすぎない四国に過大な獣医師が誕生することになる。」
 
という部分も、正直意味不明。
 
学生数と地元獣医師の数を問題にする合理性がわからない。
 
仮にそうだとするなら、尚更、獣医学部が無い四国に作る必要があるという事になるし。
 
あと、ペット用獣医を含めた数で獣医一人当たりの家畜頭数云々を言ってるのも、実態から暗に目を剃らそうとしている臭いがプンプン。
 
恐らく、民間と公務員を含めた家畜獣医の数で算出すれば、家畜獣医の数が不足している事は明白となります。
 
また、「わざわざ、広島や今治を特区にしてやる必要はない」とか書いてますが、どこから目線でモノを言ってるのでしょう?
 
あまりに中四国の人たちに対して失礼じゃないですかね。
 
これを書いた篠原孝という議員は、どこの選挙区でしょうか?
 
(ググってみる…)
長野県らしいです。
 
もし、長野じゃなく広島や愛媛だったとしても、同じように言うんでしょうかね。
 
和牛肉の枝肉価格が右肩上がりで、好調を維持しており、特に肥育農家が飼育頭数も増加傾向となっているんですよね。
 
そういった現状については、何も知らされてないんですかね、この議員さん。
 
基本、加計学園の問題は文科省内部の問題です。
 
そういう文書を作るのも、隠すのも文科省内部の事であり、前事務次官がそういう文書が存在するというのであれば、○○職員が作成したものだとか、どこのフォルダーにあるとか自ら言えばよいだけの話し。
 
以前も書きましたが、獣医師の数を意図的に制限してきたのは、既得権団体である獣医師会とその族議員であり、それについて自民党は批判されるべきであり、全くもって問題の論点がずれてしまっています。