Walking backstreet(裏道を歩いていこう)

Walking backstreet(裏道を歩いて行こう)

40代後半になっても自分の生き方、進む道が分からない男のブログです。「40にしても惑う」人間の悩みや日常の思考などを趣味も交えて書いています。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドが面白過ぎて

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ここのところ約1ヶ月、ゼルダの伝説の新作にはまっております。
 
仕事で忙しくて遊べない時もありましたが、ほぼ、家で時間がある時はそれをプレイしていました。
 
改めて任天堂って凄いなと実感しました。
 
それぐらい面白い。
 
ゼルダは全シリーズというわけにはいきませんが、ほぼプレイしてます。
 
そして、どれもハズレがない。
 
ただ、「スカイ ウォード ソード」では、行き着いてしまった感も確かにあり、このあたりがゼルダシリーズの限界かなぁと感じておりました。
 
名作シリーズとはいえ、やはりマンネリ感は続けていると必ず出てくるものです。
 
フィールド→ダンジョン→謎解き→中ボス倒す→ニューアイテム入手→新しく行けるところが増える→フィールド、、、という王道パターンに、ストーリーが上手く絡まり、これはこれでプレイヤーの達成感を充分満足させてくれるものでした。
 
主人公リンク(ゼルダではないところが面白いですが)は、ゲームシステム上、レベルアップはしません。
 
ハートの数が増えたり、装備できるものが増えたりするぐらいです。
 
レベルアップしていくのは、それを操作するプレイヤー。
 
謎を解き、新しく手に入れたアイテムを上手く使って中ボスを倒す。
 
この繰り返しにより、段々とプレイヤーは上達していき、最後のラスボスを倒せるようになる過程は、本当に微妙なゲームバランスを保ちながら作られており、毎度感心するばかりでした。
 
でも、これがずっと続くと、プレイヤーも学習し、どうせここで新アイテムが手に入って、これを使わないと倒せないボスが登場するんだろ、とブツブツ言いながらプレイすることになります。
 
しか~し、今回の新作「ブレス オブ ザ ワイルド」は全く違ったのであります。
 
ほぼ、全くのフリー。
 
何がフリーかって?
 
いや、だからほぼ全てにおいて、です。
 
開始直後こそ、チュートリアル的な展開がありますが、それ以降は自由にどこへでも行けます。
 
いきなりラスボスへ向かってもかまいません。
(倒せるかどうかは別ですが)
 
崖や壁、木にも登れます。
 
空も滑空できます。
 
川や海を泳ぐこともできます。
(ただし潜れないのが残念)
 
広大な世界を一人で走り抜け、食料を集めたり、マップを開放したり、魔物を倒したり、祠を探して謎解きをしたり、神獣ダンジョンをしたり、ともかく自由に行動できます。
 
今日はこれをやろうと思ってプレイしていても、寄り道が寄り道を呼び、結局は最初の目的とは全然違うことをしてその日は終わったなんてこと、しょっちゅうです。
 
今は、マップを全て開放し、神獣ダンジョンも2つクリアし、そこそこ地図の中が埋まったなぁと思っていますが、それでも、プレイしてみると常に新しい発見がある。
 
それが今回のゼルダなんですよ。
 
いやぁ、すげぇなぁと思って。
 
制作陣も、これまでのやり方を全てなかったこととし、ゼロベースで作り上げたんでしょうね。
 
これって、実は大変なことなんですよ。
 
ゼルダシリーズっていうのは、色んな人、世代に愛され評価されているゲームであり、成功しているコンテンツであります。
 
普通ならね、まあ、そんなに危険を冒さずとも、新作をこれまでの作品ベースプラスαで作っていけば、それはそれで売れたはずなんです。
 
でも、敢えて変化を求め、新しく構築した制作陣に頭が下がります。
 
たかがゲームなんて言わせないぞ、そのくらいの気合いが込められた新作であり、たかがゲームと呼べるわけがない出来になっております。
 
こんな中年親父を熱く熱中させる任天堂、賞賛せずにはいられません。
 
いやあ、べた褒めし過ぎですかね?
 
改めてゲームの素晴らしさが実感でき、ゼルダをプレイしている間だけは嫌な事も忘れられます。

元官僚の前川氏の行動を賞賛する意味がわからない

森友学園問題はどうなったんですかね?
 
野党もメディアもそっちは飽きてしまったのか、今度は加計学園問題に躍起です。
 
森友学園の時は、理事長とその奥さんという面白いキャラクターがいたおかげでメディアも群がったわけですが、長続きしなかったですね。
 
所詮はぽっと出の一発屋芸人と同じで、一周回ると一発芸以上の何かがないと見向きされなくなってしまうのと同じかなと。
 
ですが、加計学園問題は一発屋芸人のレベルではありません。
 
なんせ、元高級官僚の文部次官が登場してあれこれと喋ってくれるわけですから、当然、野党もメディアもこっちの方が美味しいわけです。
 
経歴といい、当事者感覚といい、大物タレントと言っても遜色ありません。
 
挙げ句の果ては、前川氏は今の政治と行政のあり方に堂々と私見を述べることができる正義の味方、みたいな風潮もちらほら見受けられます。
 
でも、「安倍首相(巨大権力)に歯向かっている人=正義」という図式、安直過ぎやしません?
 
昔のヒーローものならいざ知らず、最近はそんな簡単な図式で作ってる子供向けコンテンツも少なくなってきているこのご時世に、そんな話しがあるわけがありません。
 
前川氏って、次官時代に例の組織的天下りを斡旋していた中心人物であり、その批判を受けて退職に追い込まれた人です。
 
問題を起こした組織の責任者にも関わらず、懲戒処分ではなく依願退職扱いで退職金を何千万ももらって辞めた人です。
 
実際に認めている在職中の風俗店通いを、当時、官房長官から注意されていた人物です。
 
しかも、堂々と若い女性の貧困問題を探るためと言ってのける人です。
 
だったら、若い男性の貧困問題は何故取り扱わないのか、誰か突っ込んで欲しいです。
 
とまあ、そんな人なんですよね。
 
うちの会社もそうなんですが、自分のところの組織を辞めた人間が、途端に今いる社員と敵対したりクレーマーになったりするのが多々あるんですよ。
 
それは、悲しいしツライことです。
 
そういう人たちの話しを聞いていていつも思うのは、「じゃああなたが在籍中の時に、なぜその課題を解決しようとしなかったんだ?」っていうツッコミだけです。
 
外に出て見えてくる部分もあるとは思いますが、得てして組織を辞めた途端にクレーマーになる人は感情的な物言いで自分の不満だけを並べ立てます。
 
前川氏も、だいたいそんな感じじゃないでしょうかと密かに思っております。
 
彼自身が在職中の時、政府の進める規制改革に対して反対の意見を積極的に言っていたとか、抵抗勢力だったといういう話しもないようですね。
 
今、残っている人達は、じゃあなんで在職中に言わなかったんだ?ってみんな思ってるのではないでしょうか。
 
そんな前川氏を、正義の味方みたいに持ち上げる風潮が僕にはよくわからないのであります。
 
で、結局のところ、森友学園問題にしろ、この加計学園問題にしろ、着地点ってみんなどこを見てるんでしょうね?
 
前からこの件に関してはブログでも書いてますが、落としどころなんて無いんですよ。
 
忖度だろうが何だろうが、この問題を追求したところで安倍政権を追い詰めることは不可能です。
 
野党、特に民進党はいい加減に考え方を変えて欲しいものですね。
 
揚げ足を取ったり、細かい重箱をつつくのではなく、今の与党とは違う日本国の方向性を打ち出し、その民意を持って政権交代を目指すべき。
 
そう期待してるんですが、今や烏合の衆と化してる感じがします。

海外のテロ事件でふと思ったこと

フランスも含めて、ここ最近はヨーロッパでのテロ事件が頻発していますね。
 
イギリスではコンサート会場での事件からそれほど時間も経ってないなかでの更なるテロです。
 
今回のロンドンのテロでは、既に12人の容疑者を拘束と報道されています。
 
記憶が不明瞭なところもありますが、前回のテロも同じように、事件後すぐに容疑者が特定され関係者等が逮捕されていたように思うのです。
 
事件発生からすごく早い対応ですよね?
 
テロが起こってしまうのは悲しいことですが、その犯人や関係者を特定し捕まえるまでの時間はものすごく迅速であります。
 
これって、テロ事件に限った話しなのか、テロ以外の事件でもそうなのかは知るすべがないのですが、、仮にテロ事件に限ったものとしても、日本はそれに比べてどうなんだろうってちょっと考えちゃいました。
 
イギリスは日本とは比べものにならないぐらい監視社会と言われてますし、人種も様々な人たちがいますから安易に比較はできませんが。
 
少なくともテロに関しては、日本と比べものにならないぐらい色んな事に力を入れてるのでしょう。
 
日本が共謀罪のことで大騒ぎしているのを見ると、改めて日本は平和なんだろうなと実感した次第です。
 

心療内科で受診した結果

前回、自分はADHDかもしれないと思い、心療内科へ相談しにいこうと思った話しの続きです。
 
受診する心療内科はネットで探しました。
 
電話すると、「初診の方は1時間近く時間を取って話しをする必要があるので、日時が限定されるのですが…」というじゃありませんか。
 
心療内科を受診しようとして、そんなこと言われたの初めてだなと思い、よし、ここで受診しようと決心がついた理由でもあります。
 
行ってみると小さな病院でしたが、先生は思ったよりも若い感じでした。
 
といっても、50歳はいってると思われますが。。
 
面談の最初では、自分の今の状態を聞かれましたが、仕事に行くのもしんどいという感じではないので、何をどう説明して良いか悩みました。
 
とりあえずのところ、以前も心療内科に通院歴があることを話し、今もやっぱり身を削るような毎日からなんとか脱出したいと思っていた時にADHDの簡易診断をやってみたら、どうもそれに該当するのじゃないかということを伝えたのです。
 
もちろん、その簡易テストの結果もプリントアウトして提出しました。
 
先生はそれを見ながら、「ネットにある病気関係の診断って、医薬品会社が作ってたりするのが多いんですよね。もちろん全部ではないにしろ、どちらかというと利用者の不安を煽って、最終的には薬が売れればいいみたいなやつ。」と、なるほどなと思うネタを提供してくれました。
 
で、僕の子供時代の話しや社会人になってからの話しを細かくヒヤリングし、小中学校時代は多少落ち着きが無い少年ではあったものの、それで問題児と呼ばれるほどでもなかった事を聞き、今の時点では何とも判断できないとのこと。
 
可能性はあるが、基本ADHDは、子供時代の発達障害に起因するので、今聞いた話ではADHDとは違うようにも思うが、現実として僕が悩んでいるという事実も無視できないと言われました。
 
僕も正直に先生に、自分がただの怠け者とか弱虫とかの問題なのか、それとも何かしらの疾病によるものなのか、できればそう判断された方が気持ちが楽になるし、薬等で解決するという道も見えてくるのでありがたいのですがと言いました。
 
ただ、先生曰く、ADHDの場合は薬の種類は限られてくるので治癒の因果関係がわかりやすいが、鬱の方だと何十種類もあり、どれがその人に合うのか、薬のおかげで改善されたのかというのが掴みにくいということです。
 
なので、すぐに薬を処方するという方法もあるが、最初はカウンセリングから入って状態を見て必要なら薬も併用するというのはどうでしょう?と提案されました。
 
僕もこれに同意し、1週間ぐらいの間隔で通うことで今日の診療は終わり。
 
気がついたら、面談を開始して1時間が経過していました。
 
心療内科に行って、こんなに話しができたのは初めてのこと。
 
確かにADHDとは診断されませんでしたが、じっくりと話しを重ねながら対処法を考えましょうと言ってくれた先生を信用することにし、しばらくはカウンセリングを続けてみようと思います。
 
さてさて、この先どうなるのか?
 
また、追って記事にあげていく予定です。

ADHDの可能性ありで実際に受診しようと思う

始めにことわっておきますが、このブログでは、自分のことを色々と定義づけようとする記事が多く登場します。
 
セルフネグレクトかもしれない」

 
愛着障害を自覚する」


 
「コミュ障害かもしれない」

 
「鬱で通院していたとき」


 
で、今回が「ADHD」かもしれないと思った話しです。
 
自分に対するツッコミどころとしては、○○かもしれないって思うぐらいなら、ちゃんと病院で受診してはっきりさせたらってところでしょうか(^_^;
 
「自分は○○である」ことを模索しているのは、自分自身のダメさ加減が何かしらの病状によるものだと思いたいからです。
 
わからないもの、正体不明なものを定義づけしアイコン化することで、安心したいという心理。
 
自分はそういう病気なんだと思えたら、確かに気が楽になりますもんね。
 
でも、逆を言えば、病気でも何でもなく、ただのあなたの性格の問題ですよとか、そういう個性をお持ちなんですよって診断されたら、救いようが無いぐらいに落ち込みそうです。
 
病気なら何らかの処方だったり治療も考えられますが、そうじゃなかったとしたら、後は自分の力でダメさ加減を改善するしかありません。
 
自力での克服が出来てれば、この年齢になって寝汗をたっぷりかくほど毎日悩んだりしませんよね。
 
だから病院で診断してもらうというのは、ある意味では怖い話しでもあるのです。
 
でも今回、何故か自分が自信をもってADHDかもしれないと思い、病院で先生に聴いてみようと行動を起こします。
 
ADHDかもと思ったのは、ネットにある簡易診断をやってみて「あなたはADHDの可能性が高い」という結果が出たから。
 
特に、
「計画を立てたり順序立てて作業するのが苦手」
「片付けが苦手で乱雑になってしまう」
「思ったことすぐに口にしてしまう、相手の話を遮ってしゃべり出す」
「精神的努力が必要な作業や課題を嫌う」
「興味のあることは集中できるが、そうでない場合は集中できず継続できない 」
といった特徴にぴったし当てはまり、これって自分もADHDなのかもと強く感じたのです。
 
また、更に色々とリサーチしてみると、ADHDの人が向かない職業として「事務職」とか「農業」、「工場でのライン作業」があり、思わず頷いてしまいました。
 
特に農業なんか、これまでも幾度となく経験してますが全く好きになれず、なぜみんな田舎で農業やることに憧れるのが理解出来ませんでしたからね。
 
我が意を得たり、というヤツでしょうか。
 
ちなみに、今まで心療内科には2つの医院を受診した経験があります。
 
最初の1件目は15年前ぐらいに受診し、それは半年近く通いましたかね。
 
最初に血液検査とかされて、軽い面談があって鬱病と診断されました。
 
抗うつ剤やら睡眠薬を処方してもらいましたが、効いてるのか全然わからないまま通院し続け、途中から行かなくなりました。
 
なんか、ここに通っても状況は変わらないんじゃないかと思ったんですよね。
 
2件目は6年前ぐらい。
 
その時は仕事のことでしんどい思いをしていて、逃げ出したいけど逃げられない自分を何とかしようと別の心療クリニックへ行ったのですが、そこはその1回だけで行かなくなりました。
 
ネットではけっこう評判の良いクリニックでしたが、面談時間も短く、通り一辺倒の話しで終わってしまい、なんか違うと思ったような記憶があります。
 
先生もどんな人だったか全然思い出せないぐらい、印象の薄い心療クリニックでした。
 
そして今回、新たに3つめのクリニックで受診することを決心したわけですが、やはりネットで探しました。
 
地元の山陰は田舎ですから、そんなに心療内科がたくさんあるわけじゃないんですよね。
 
だから探すといっても、それほど選択の余地はなかったのですが家から近いところに1件あり、そこで受診することとしました。
 
受診した結果は、、長くなりましたので次回の記事でお話ししようと思います。

好きなモノのために行動する

上記の記事、全く同感でした。
 
おやつのカールが東日本で発売されなくなるという衝撃ニュースが伝わり、何故かこちら西日本でも品薄状態が続いています。
 
たぶん、大半は今のうちに買い占めておけばネットで東日本の住民に高値で売りつけられるぞ、という不届きなヤツだと想像しますが。。
 
そんな人間はごく少数だと願っております。
 
そういう輩が増えれば増えるほど、カールのような末路を辿る商品も多くなるんじゃなかろうかと危惧してます。
 
反対にそれ以外のまっとうな消費者は、自分の好きなモノの為にお金を使い、好きな商品やコンテンツを応援していくのが結局は自分のためになるんだろうなと思いますね。
 
それでも自由経済の中では、惜しまれつつも消えていくものがたくさんあって、一個人の行動ではどうにもならない事が多いでしょう。
 
でも後になってから、好きだったのにほとんど買ってなかったことを後悔しても遅いのです。
 
昔とは違い、ネットが発達した社会です。
 
個人の発信力は、ネットが無い時代とは雲泥の差があり、たった一人の行動が商品の消滅を防ぐことも全く不可能ではないはず。
 
そう考えれば、自分の好きなものの為にお金を使い、その良さを少しずつで良いから発信していく事って、とても重要で且つ本来あるべき消費者の姿なのだろうなと思うのです。
 
それはお菓子に限らず、全てに言えること。
 
本、音楽、映画、アニメ、アイドル、ゲーム、、などなど。
 
自分の好きなもの、応援していきたいものにお金をかける、これが本当の大人買いってもんでしょうね。
 
 
 
 

久しぶりに仕事で落ち込んだので記しておく

ここ最近ブログも更新せずに何をしていたのかについては、詳しくは書きませんが、単純に忙しかったからです。
 
300人規模を集めての講演イベント企画があり、担当責任者としてバタバタしておりました。
 
何とか無事にイベントも終了したのも束の間、イベント翌日の土日で出張、しかも取引先の社長夫妻、副社長夫妻を連れてのお出かけでしたし。
 
他にもあれこれありましたが、ブログ記事を書く気力も暇もないぐらいの日々で、やっと最近落ち着いたなというところ。
 
まあ割と、全般的に物事が上手く運んだおかげで気が緩んだというか、落とし穴があったというか。。
 
ある団体の視察を受け入れる話しがあって、まあ、それは懇意にしている取引先との関係もあり相応の対応をしようと準備をしていたのです。
 
先方は関東方面から来られるので一泊二日、よって夜は懇親会を計画し、費用も我が社と懇意にしている取引先とで折半にすることにして稟議を回しました。
 
ところが部長が、「なんで視察を受け入れる我が社が懇親会費用を負担しなきゃならんのだ?視察料をもらわないといけない話しじゃないのか。」と言ってきました。
 
確かに部長の言われることはごもっともなんですが、色々な絡みもあり、うちと相手団体との関係だけの話しでもないし、つまるところ忖度した結果がこうなんですと説明しました。
 
なかなかバシッと明確な返答ができない自分に凹みましたし、基本、僕の仕事は費用を使わせてもらってなんぼの業務ばかりなので苦しい答弁となってしまいました。
 
実際のところ、懇親会費用を徴収させてもらいますとか、視察料を払ってくださいとか言えないでしょうし。。
 
振り返ってみるに、自分としてはこちらが費用を持って対応すべきでそれは当然のことと思い込んでいたのが、部長の指摘によって崩され面目を保てなかったことで落ち込んだのだと思います。
 
これだけのことなんで、なんだそんな程度の話しかと思われるかもしれません。
 
けど、今の職場における自分の微妙な立ち位置からすると、けっこう冷や汗もので且つ「こいつ費用ばっかり使いやがって、事業の足引っ張ってるんじゃねぇよ」と周囲から思われてるんだろうなと考えたら、どーんと落ち込みました。
 
どうせ今の会社を辞めようと思ってるわけだから、そんなに落ち込まなくてもいいような気もしますが、、。
 
やっぱりね、他人からよく思われたい、否定されたくない、かっこ悪く見られたくない、できる人間だったと思われながら辞めたい、、そうしたしょうもないプライドや承認欲求に支配されたままなので、落ち込んじゃったんですよね。
 
しばらくはこの件で後々もありそうですが、粛々とやるしかないですね。
 
周りからは、あれこれ言われるとは思いますが。。